2026年03月07日

祖父 武雄を語る

昨日、私も会員である一関倫理法人会のモーニングセミナーのゲストスピーカーを依頼され35分間お話をさせて頂きました。

毎週金曜日行われるモーニングセミナーは朝6時からの開会で、役員の方はゲストスピーカーの確保に苦労されており、私にもその役目が回ってきたのだと推察をします。

ゲストスピーカーを務めるのは今回で3回目ですが、政治の話は会のルールでご法度ですので題材選びには苦労するのですが、3月9日が祖父武雄の命日が近いということもあり祖父を題材にしました。

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日の出の時間も早くなり、ちょうど会の開会時に朝日が昇る時間となります。佐々木組さんの本社ビル7階が会場として使用させて頂いていますが、全国で行われているモーニングセミナー会場では最高の会場と言われています。

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話の内容については一回ではまとめ切れないので、気が向いた時に何回かに分けて紹介したいと思います。
今回はソ連の農業視察の話。

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🔝この写真は武雄がソ連の農業視察から帰国した時に家族全員で横浜まで迎えに行った時の写真です。左から母:圭子、祖母:とみ、私、祖父:武雄、大東町助役の鈴木義雄氏、3人置いて右端が父:忠雄

ソ連との友好使節派遣は地方自治体にまでプロジェクトが下りてきていて、祖父武雄は当時、岩手県町村議長会の会長だったこともあり、応募にこぎつけたのだと推察されます。視察地は現在の中央アジアでウズベキスタンが中心でソホーズやコルホーズ集団農場が目的と思われます。当時の交通手段は空路などなく横浜港からナホトカまでの海路、ナホトカからはシベリア鉄道での移動でした。

食べ物にこだわりのある祖父にとって大変厳しい旅行中の食生活ではなかったかと思われます。

祖父が撮影した写真アルバムを見ると、視察先の写真よりも現地の少女や物売りの女性の豊かな表情を撮ったものがほとんど💦でさぞ充実した視察だったことでしょう💕それにしても写真の構図がとてもバッチリ決まっていて美的センスは豊かだったです。

当時3歳になる直前の私にとってこの非日常の記憶は残っており、氷川丸のトイレの扉にぶつかって鼻血を出したこと、マリンタワーで中華そばを食べたことは今でも鮮明です。

この20年後に私が横浜港で働くことになるとは思いもよらないことでした。

この後、昭和43年の大東町議会議員選挙が最後の選挙となり昭和47年1月まで努めて、祖父は70歳で政界からきっぱりと身を引くことになります。
posted by 飯沢ただし at 23:49| 岩手 ☔| Comment(0) | Iizawa Family【飯澤家を語る】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月25日

曾おじいさん、はじめまして!

今日、親戚の法事があって飯澤家の本家筋の方から、一枚の写真を見せてもらいました。
その写真がコレ↓
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私の祖父 飯澤武雄の父 飯澤養作であります。私の曽祖父にあたる方ですね。
名前は知っておりましたが、写真でお顔を見たのは初めてでしたので感激しました。

お顔は祖父に大変良く似ております。
祖父の甥姪までこのお顔によく似た方は沢山いますので、お婿さんが私たちの顔の原型だったのが判明しました。

写真の横に大正8年(1919年)65歳と書いてありましたので、嘉永5年(1852年)生まれと推定できました。父の調べた資料によりますと翌年の大正9年に亡くなっております。
祖父が生まれたのは明治35年(1902年)ですので、ということは50歳頃の子供ではないですか!
祖父の後に子供が3人もいますので、昔の方は大したものですね✨

父が50歳頃に系図に嵌ってかなり調査していたことも思い出して、父からもらっていた資料を机の引き出しから引っ張り出して眺めてみました。

誰もが祖先がいて今があるわけですが、こうした偶然の出会いが、いろいろなことを考えさせてくれます。
今日はいい一日でした。
posted by 飯沢ただし at 00:26| 岩手 ☁| Comment(0) | Iizawa Family【飯澤家を語る】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月03日

48歳の誕生日を迎える

1月3日は私の誕生日でした。

50歳までもう待ったなしですがく〜(落胆した顔)

織田信長が人生50年と言い、自らの人生の節目を設定したのに比べると、自分は「人生は一度きりだから」なんてテレホン人生相談の言葉に乗っかってしまったような生き方をしていることに反省しきりです。

今年は寅年で私は年男ですが、私の祖父も寅年生まれ(1902年)で時折吼える性格は同じトラの隔世遺伝か・・とよく家族に言われましたふらふら

虎といえば祖父と朝鮮に纏わる話を思い出し、また考えました。

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祖父は旧制一関中学を卒業後、現在の韓国のソウル市内にあった京城師範学校に進みました。渡鮮する直前に姉から「朝鮮には虎がいるというが大丈夫か」と心配されたそうです。祖父はスケートが上手くそれは冬にソウル市内を流れる漢川で経験したからと子供の頃に聞かされました。

韓流ブームに沸く今日、朝鮮併合時代に祖父が縁があったことを重ね合わせていろいろ考えることがあります。

秀吉の朝鮮出兵や明治時代の征韓論から端を発する戦中の植民地政策など歴史の影の部分も再認識する必要があると思います。

朝鮮半島は大きな政治課題として北朝鮮問題も残っており、韓国と日本の未来への発展には課題は多くありますが、江戸時代の朝鮮通信使が日本との関係を「交隣」として位置づけた歴史も強くかみ締めながら今後より豊かな発展がなされることを期待したいものです。
posted by 飯沢ただし at 23:58| 岩手 ☁| Comment(0) | Iizawa Family【飯澤家を語る】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする