毎週金曜日行われるモーニングセミナーは朝6時からの開会で、役員の方はゲストスピーカーの確保に苦労されており、私にもその役目が回ってきたのだと推察をします。
ゲストスピーカーを務めるのは今回で3回目ですが、政治の話は会のルールでご法度ですので題材選びには苦労するのですが、3月9日が祖父武雄の命日が近いということもあり祖父を題材にしました。

日の出の時間も早くなり、ちょうど会の開会時に朝日が昇る時間となります。佐々木組さんの本社ビル7階が会場として使用させて頂いていますが、全国で行われているモーニングセミナー会場では最高の会場と言われています。

話の内容については一回ではまとめ切れないので、気が向いた時に何回かに分けて紹介したいと思います。
今回はソ連の農業視察の話。

🔝この写真は武雄がソ連の農業視察から帰国した時に家族全員で横浜まで迎えに行った時の写真です。左から母:圭子、祖母:とみ、私、祖父:武雄、大東町助役の鈴木義雄氏、3人置いて右端が父:忠雄
ソ連との友好使節派遣は地方自治体にまでプロジェクトが下りてきていて、祖父武雄は当時、岩手県町村議長会の会長だったこともあり、応募にこぎつけたのだと推察されます。視察地は現在の中央アジアでウズベキスタンが中心でソホーズやコルホーズ集団農場が目的と思われます。当時の交通手段は空路などなく横浜港からナホトカまでの海路、ナホトカからはシベリア鉄道での移動でした。
食べ物にこだわりのある祖父にとって大変厳しい旅行中の食生活ではなかったかと思われます。
祖父が撮影した写真アルバムを見ると、視察先の写真よりも現地の少女や物売りの女性の豊かな表情を撮ったものがほとんど💦でさぞ充実した視察だったことでしょう💕それにしても写真の構図がとてもバッチリ決まっていて美的センスは豊かだったです。
当時3歳になる直前の私にとってこの非日常の記憶は残っており、氷川丸のトイレの扉にぶつかって鼻血を出したこと、マリンタワーで中華そばを食べたことは今でも鮮明です。
この20年後に私が横浜港で働くことになるとは思いもよらないことでした。
この後、昭和43年の大東町議会議員選挙が最後の選挙となり昭和47年1月まで努めて、祖父は70歳で政界からきっぱりと身を引くことになります。


