2024年09月16日

戦後80年を迎えるに当たり

本日は敬老の日。平泉町の敬老会にご招待を頂き今年も参加し、祝辞も述べさせて頂きました。選局区管内の敬老会は今年度は縮小モードで従来の集合形式で行う敬老会は少なくなりました。

これまで大東町内の大原地区、渋民地区、猿沢地区、千厩町の磐清水地区の敬老会に参加しており、出席予定は残すは地元の摺沢地区の敬老会のみとなります。

特に今年は祝辞の中で、来年は戦後80年の節目を迎えることについてお話をしています。

私は常々学校教育の中で明治維新後の近代歴史について偏りのある、もしくは不足していたと実感していて、正確な史実を知りたいと思っており、この種の書物はこれまでも積極的に接してきました。なかんづく、日本が第二次世界大戦に参画した理由については興味の深いところです。

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この度、ずっと教科書検定が不合格とされてきた令和書籍出版の中学校社会科用「国史」教科書が六年の歳月を経て合格となったと聞き及び、早速取り寄せて、毎晩就寝前の読書タイムに利用させて頂いております。

現代史に多くの分量を占めているこの教科書は実に読み応えがあります。

戦後80年を迎えるにあたり今この世に生きている私たちは正確な歴史認識を持ち、それを後世につないでいく必要があると考えており、この教科書だけでなく、別の視点、考え方で編集している教科書にも接して私の考え方をこの際しっかり固めていきたいと考えています。

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2024年09月15日

何をいまさら・・・

昨日の読売新聞岩手版の達増知事への単独インタビュー記事

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5期目「長すぎる」
の中見出しが目👀を引く。

以下記事引用

知事は県政史上5選を果たし、在任期間は約17年となった。5期目の現状認識と同様に「6期目以降(の在任)も長すぎるのではないか」と今後への考えを述べた一方、「次はこの人がいいというのがない中で、絶対やらないと言っていると、それは一種の無責任だ」とも語った。

「長い」という真意がこの記事の中だけでは計りかねるが、政治家がいかなる場面で物理的でも観念的でも自身の任期について「長い」と言った瞬間に、やる気が失せてると言ったに等しいと思うのは私だけか。

昨年の選挙からたったの1年のこの発言は何のために5期目に挑戦したのかも問われる発言ではないかとさえ思う。

本音なのか何か次のステップの布石なのかは不明だが、今はっきり言えるのはこんな心持ちで県政のトップにいる方がこの方だということだ。

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2024年09月11日

続 佐藤公一〜伝記と追想〜から 下

昨日からの続き

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国保直診と県営医療施設は系統的連携を保て

地方自治体として、住民の健康管理は、極めて重要な事業であり、単位国保の直営施設は、その重要使命達成機関として、開設せられたのであるが、単位直診岳で、よく其の目的が、達せられない。必ずや其の指導的な立場において、協力推進する病院施設を必要とするが、単位町村だけではできない。数ヶ町村の協同に依ればできないこともないが、各ブロック毎に設置する場合、経営上成り立つ所と、成り立たない所とあって、全県的な普及は望めない。そこで、成り立つ所、成り立たない所をプールして、全県普及を目指したのが、県立病院の現れなのだから、単位町村直診と其の設置の意義に置いて、軌を同じうすのものであり、従而(したがって)、以上述ぶる如き体系において、県民の健康保全を観守ることは当然の行き方であろう。


国保病院(自治体病院)と県立病院の連携を説いている。

佐藤公一氏が農協組合運動に挺身した54年。その大きな足跡は何と言っても組合病院を発足させたことにあると寄稿された当時の千田正知事は明言している。

時代は当時とは大きく変われども、県医療が果たす役割、自治体との連携の意義はまったく変わらない。創始者の思いを心に刻んで9月議会におおいに議論の対象となるであろう県立病院の将来についてしっかり臨もうと思う。
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2024年09月10日

続 佐藤公一〜伝記と追想〜から 上

現在、岩手医療局では岩手県立病院等の経営計画(2025-2030)を策定中で県民に対してもパブリックコメントを付している段階である。

お盆の時期に曽慶の岩渕甲次郎さんからお借りした佐藤公一氏の回顧録もそろそろ返さねばならないと思っているところで、もう一度読み返しているところである。

世の変化はあれど県民の命と健康を守るという問題の神髄に頼れば答えは変わらないということにたどり着くのが、佐藤公一氏が寄稿した昭和27年2月発行「岩手の保健」21号の文章である。

以下主な部分を引用する。

筋の通らない県立病院の悩み

県立病院とは県の直営にかかる開業医なのか、或いは県民病院として、県民医療の機会均等を得せしめ様とするのか、窮極するところ、医療のための医療を為さしめて、利潤を上げようと言うのか、それとも、県民の健康保全に役立たせ様という狙いなのか、である。

医療の機会均等を得せしめるためには、経営上採算不利なの地区でも施設してやらねばならないし、採算第一主義を採れば、都市以外の施設は廃止せねばなるまい。ところが、採算有利な都市地帯ならば、県立施設が無くても、日常の医療には事かかない。寧ろ、必要度から言えば、採算不利な地区程存在の意義が深いのである。従而(したがって)、医療の普及も達し、採算を割らない様にとの考え方は、成立しないのであり、其の絶対成立しない立場を歩んでいるところに、県立病院の悩が存在するのではないか。


今、県の一般財源から200億円を繰り出している事実がここにその意味を証明している。

県立病院は県民の健康保全のため存在す

保健所は、概ね其の趣旨に設置すべきであり、其の趣旨に保健所が活動して行く、其の過程において当面する患者をば、とりあえず付属病院に収容して治療してやる、という仕組みである。県営開業医ではないのだから、座して患者の来るのを待っている、呼ばなければ往診しない、と言ったものではなく、県民の健康管理の一環として進められる保健活動の一過程として、現実の患者を発見し次第、付属病院に入院さして治療したやるのであるから、医療のための医療でなく、当然の責務として、県民の健康を保障する手段として行われる診療行為なのである。

県立病院が存在する意義を分かり易く説き、さらに保健と医療の連携をここに語っている。

続く
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2024年09月07日

大谷選手は一体どこまで?

本日、ドジャースの大谷選手は45号ホームランを打ち、MLB史上初めての45本塁打45盗塁(45−45)を記録した。

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史上初というのが凄い。

メジャーリーグで日本人が40本以上本塁打を打つのも信じられない記録だが、いとも簡単に成し遂げる大谷という選手は型破りである。盗塁に関しては確かにピッチロックシステムが導入されて【けん制は3回失敗すればボーク】というルールが追加されて、ランナーに対する投手のマークは従来より限定されてし易くなっている背景もあるが、盗塁死が極端に少ないことをみれば大谷の能力が物語っていると言っていい。

40−40を初めて達成したのが1989年のホセ・カンセコ選手だが、完全な長距離バッターで走攻守にバランスの取れた選手とは言えない。
その後バリー・ボンズやアレックス・ロドリゲスも達成しているがやはりカンセコと同系というイメージだ。

大谷は余裕でプレーしているのが他の選手は憎らしくさえ感じているのではないか。

ドジャースはまだ今シーズン残り21ゲームを残しており、夢の50−50も夢ではない。

来年は二刀流が復活する可能性があり、指名代打で一年を通すのは今年限りかもしれない。なんとか怪我無く50−50を達成してほしいものだ。
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2024年09月06日

全国で頑張っている飯澤さん

今日は明治35年(1902年)に生まれた祖父の誕生日。祖父は私が大学4年生の冬にこの世を去りました。もう40年も経ちます。
飯澤家の本家は大東町鳥海丑石ですが、祖父が兄の商売を継ぐ形で昭和の初めに摺沢に根を下ろしました。祖父の兄の経済的援助があり大学まで学業を修めることができてその経歴を買われて摺沢町議、大東町議、大東町合併時の初代議長も務めました。亡き父も祖父の苦労を身に沁みて体得していたため祖父の影響(特に政治的行動)は大きく受けていたと推察します。

今日こうして祖父の幼少からの苦労を偲んで明日からの活動の糧としたいと思います。

飯澤という苗字は岩手では極めて少なく、一関市に数軒あるのみですが、秋田県や特に山形県では多く存在するようです。

何気なく飯澤でネット検索してみましたら山形県で若い方が運送業を起業されているのを見つけました。



「飯澤運送」さん

社長も若い方で2021年に創業したようです。

若い飯澤さんに触発されて頑張る気持ちが湧いてきました。
posted by 飯沢ただし at 23:47| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月01日

神子叔母さん さようなら

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母の実家、千厩の神子(しんこ)叔母が亡くなった。享年81歳。

数年前から肺に血種ができる病気に侵され、5年前の私の選挙の時は酸素ボンベを携えながら生活できていたが、最近は施設に入所していた。

振り返ると決して短くはない闘病生活だった。コロナ禍の時は家族との面会が厳しく制限されさぞ寂しくされていたことと思う。

昭和39年秋に叔父の維久郎と結婚し千厩に嫁ぐこととなった。私は当時まだ3歳にならんとする頃だったが、この結婚式の仙台ホテルの雰囲気はよく憶えている。初めて経験するホテルという非日常的な都会的な雰囲気と光景が目に焼き付いていたのだと思う。

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【新装開店の小野久商店前で神子叔母に抱っこされる私(当時3歳)】


千厩に行くと神子叔母はいつも笑顔で優しく迎えてくれた。歳を重ねても可憐でいつも綺麗にしていた。たまに語尾が上がる生まれ故郷の磐城のイントネーションが心地良かった。末っ子さんでちょっとおっちょこちょいなところもあったがそれが可愛い魅力だった。

千厩に嫁ぐとかなり癖のある明治生まれの千厩爺やそれにもまして癖があり過ぎる千厩爺のお友達が家に間断なく尋ねてきて、さぞ驚き戸惑いの連続だったことだろうと推察する。千厩婆はもっと大変だったが。

・自動車運転免許を取って間もなく叔父と3人で一関方面に練習のドライブに行き、ノッキングの連続ですぐ叔父に交代したこと。
・父忠雄の最初の町議選挙のウグイス嬢を初めてやることになって我が家の二階の両親の部屋でテープレコーダーで何度も練習したこと。

以上二つ、若き日の神子さんとのことを思い出した。

家庭では4人の子どもに恵まれて孫にもたくさん囲まれて、また趣味では太鼓や踊りも熱心に取り組んで楽しく充実した日々を過ごされていたと思う。

もう会えなくなると思うと寂しい気持ちになります。

明日は葬儀と火葬。心から感謝をこめて送ります。
posted by 飯沢ただし at 23:53| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月31日

八月の終わりに

八月も本日で終わりです。前半に体調を崩したせいか長く感じた一か月でした。

そして最後に広瀬めぐみ前参議院議員が在宅起訴のニュースがこの月の〆となってしまいました。

私自身も選挙戦で広瀬氏を応援し有権者の皆さんに働きかけた当事者ですので、私の思いに共感して動いてくれた方に対して本来であれば直にお話をする機会をつくるのが筋ですが、そうした暇(いとま)を物理的に対応するのは困難ですので失礼とは存じながら手紙に思いを託しました。


推薦企業・団体 各位
飯沢ただし後援会 役員・世話人 各位

岩手県議会議員  飯澤 匡

拝啓 残暑の候、皆様におかれましては、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
日頃より私の活動に対して多大なるご理解とご支援を賜っておりますことに心から感謝を申し上げます。
さて、去る8月15日に元参議院議員の広瀬めぐみ氏が辞職する事案が発生しました。
辞職に至る経緯は報道によれば公設秘書給与詐欺等の疑いがかかり東京地検が動いたことにより、本人もその事実を後日認めたこととされています。かかる事態になったことは看過できない重大な問題と認識致します。

もとより私、飯沢ただしは県議初当選以来、国政政党の党籍を有しない無所属の立場として一貫して活動してまいりましたが、2年前の参議院選挙に当たっては岩手の政治局面を変えること、そして私たちの最大の政治目標である知事選挙に向けての大事な選挙としての位置づけをして全面的に「いわて県民クラブ」の同志と共に全面的に自民党公認の広瀬氏を支援しました。
結果、広瀬氏は当選を果たし、椎名素夫先生が当選して以来の保守系議員の誕生を喜び、広瀬氏のキャリアを活かした活躍に期待がかかりました。
しかしながら、たったこの2年の間に社会の信頼を裏切る行為により辞職までに至ったことは慙愧に堪えません。広瀬氏が議員としての基本的な管理能力が欠如していたことを後援会活動や選挙期間中に私自身が見抜けなかったことについて皆様に心からお詫び申し上げます。皆様の期待を裏切り政治に対する期待感も失う結果となってしましました。重ねてお詫び申し上げます。自分自身の未熟さを恥じるばかりです。

今後はこの事案の反省を肝に銘じ、副議長としての職責を十分に果たしつつ私の政策課題であるILCの実現等地域発展のために研鑽と努力をあらためて傾注する覚悟です。今後とも叱咤激励をよろしくお願い致します。
末筆となりましたが、皆様におかれましては、御身ご自愛の上、ご健康に留意されますようご祈念申し上げます


本日の報道によれば、着服流用分の金額についてご本人は利子をつけて国庫に返納するとの意の文書を発信したようですが、問題の本質は金銭の移動がメインではなく、政治不信を引き起こしたことが大きな問題元公職の身ですから自分自身で説明責任を果たすべきです。
posted by 飯沢ただし at 17:06| 岩手 ☔| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月30日

県庁の闇

兵庫県知事、叱責「当時の認識は合理的」 百条委で証言

【日本経済新聞電子版 2024年8月30日 5:00 (2024年8月30日 15:19更新) 】

兵庫県の斎藤元彦知事がパワハラ疑惑などを内部告発された問題を巡り、兵庫県議会の調査特別委員会(百条委員会)は30日、斎藤氏を公開で証人尋問した。厳しい叱責を受けたとされる県職員ら4人も出頭した。

これに先立ち、非公開で職員2人の証人尋問を実施。東播磨県民局長と兵庫県まちづくり技術センター理事長(前県土木部長)は報道陣と傍聴人の前で証言した。

東播磨県民局長は、視察先の入り口まで20メートル歩かされたとして斎藤氏から「『なぜこんなところに車止めを置いているのか』とかなり強い調子で怒鳴られた」と証言。業務に必要な範囲内だったと思うかと問われ「必要な範囲とは思わない。知事から謝罪やねぎらいの言葉はなく、理不尽な叱責を受けたと感じた」と答えた。

知事の側近だった片山安孝前副知事(7月に辞職)からこの件で聞き取りを受け、「あまりしゃべり過ぎるな」と言われたとも話した。

この件について、斎藤氏は「それなりに強く指摘をした。歩かされて怒ったのではなく、動線を確保していないことを注意した。当時の認識は合理的だった」と語った。

兵庫県まちづくり技術センター理事長は、尼崎市に2025年国際博覧会(大阪・関西万博)の運搬拠点を新設するとの報道が出た際の様子を証言。斎藤氏が「こんな話聞いていない」と机をたたいたとされる疑惑について「事実」とした上で、「机をたたかれた経験がないのでびっくりした」と述べた。

23日の職員の証人尋問では、「知事が県幹部に文具を投げたのを目撃した」「知事レクなどの場で案件を『聞いていない』と叱責を受けたり、舌打ちされたりした」「深夜や休日にチャットで仕事の指示がくる」などの証言も出ている。

斎藤氏は深夜や休日の職員への連絡について「やや適切ではなかった面もあるかもしれない。(連絡した職員が)勝手知ったる仲ということで、少し甘えがあったかもしれない。反省している」と話した。

レクでの職員への接し方については「言い方が厳しく、不快な思いさせたことは反省しているし、謝りたい」と述べた。

百条委が実施した職員アンケートの中間報告では、伝聞を含め4割弱にあたる1750人が知事のパワハラについて見聞きしたとし、59人は直接目撃したと回答した。

斎藤氏はこれまで「県政をよりよくしたいという思いから厳しい叱責をすることはあるが、業務上必要な範囲内だった」と繰り返し述べている。百条委は職員の証言やアンケート結果をもとに、斎藤氏に事実関係などを問いただす。


他県で起きていることだが本県でもこの百条委員会の行方を興味深く見守っている方は少なからずいるのではないか。

本県の場合は知事ではないが、似たようなハラスメント事案を匿名で複数回報告を私も受け、県議会でも取り上げている。

書類を投げつけ「やりなおし〜」、「ブラックと言われてもいい」など数々の名言を残して現在は要職を去られている。あくまでも私の印象だが兵庫県どころではないハラスメントがあったと想像できる。しかしながら書類等の投げつけや「聞いてない」はあまりに行動が酷似しすぎて恐ろしさを感じる。

もし匿名でなく兵庫県のように氏名公表で表沙汰になっていたら本県でも百条委員会までは辿りつけたのではないかと思うが、一方で恩恵を頂いた職員もごく一部ではあるが存在したことは間違いないので、その点のリスク回避は巧妙である。

おそらくは仮に百条委員会を開催できたとしてもご本人は兵庫県知事と同様に正当性を主張するだけだろう。しかし百条委員会を開いただけでも後々に起こっている事柄(高すぎる疑惑の報酬問題等)を防げたのではと残念至極である。
posted by 飯沢ただし at 21:33| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月29日

秋田市にて二日間公務

28日は北海道・東北議長会の会議
本日29日は北海道・東北道県議会議員の研究会があり、一泊二日で対応しました。

議長会の会議は本県の工藤議長が南米の岩手県人会の式典に参加のため副議長の私が代表で応対しました。

議長会全体での政府要望への対応の確認と今回は有権者の主権者教育と投票率向上について各道県議会の取り組みが発表され質疑意見交換が交わされました。岩手県議会の取り組みに対してはYouTubeを活用した本会議の質問を発信している件について質問を受けました。各道県議会の発表を伺うと岩手県議会の広聴広報委員会の積極的な取り組み(県議会の出前講座等)は評価されていい活動です。

議員研究会では秋田県の洋上風力発電事業について講演を受けたのちに3つの分科会で各道県の取り組みについて報告と意見交換が行われました。私がこの研究会に出席したのはコロナ前の8年ほど前でその時は観光振興の分科会に参加したと思います。

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【真剣に発表に耳を傾ける本県の城内愛彦議員】


今回参加した分科会では教育がテーマでしたが、窓口が広くて教育行政方針全体を発表された県や不登校問題など問題を絞ったテーマに特化した県など内容がまちまちで議論の共通の深まりという点では課題があったと思います。これは幹事県がしっかりと対応すべきと考えます。いつもは本県の発表内容に対して辛口な私ですが、今回は特色ある県立高校の取り組みに絞った内容で、良かったと思います。

教育と言えば先進県は秋田県で個人的には注目して拝聴しました。

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レジメにあるようにかなり思い切った少人数によるチームティーチングなど、児童生徒に熟慮を促すやり方には一日の長があります。

さらに今後の課題として教員の質を上げることと平然と語ったところに常に客観的な評価がされていると感じ入った次第です。本県では絶対にそのような発表内容にはしません。

他県の議員と交流し、特に宮城県議団とはILCの実現に対して今後の活動について具体的に話合えたことは収穫の二日間でした。
posted by 飯沢ただし at 23:54| 岩手 ☔| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする