2026年01月12日

神秘なる国インド

私の周辺で今インド国の話題がプチバズり中で、それに触発された訳ではないですが、思い出に触れながら意見を述べたいと思います。

三井倉庫在籍時代に本船荷役責任者(フォーマン)をやっていたことは何度かこのブログでも紹介してきました。三井倉庫では多様な船会社と船内荷役の契約をしていて、SCI(Shippinng Corporation of India)も主要な船会社でした。SCIは国営会社で当時の80年代前半は発展途上国でしたので私が担当していたUASC(United Arab Shipping Co.)とは荷役環境が大きく異なっており、たまに担当したSCIの本船では若かった自分はその変化に対応するのがかなり大変でした。

それでも今思い返すと人間修行の場としては貴重な体験だったと断言できます。限られた条件でいかにやりくりするかを試されました。

さらに、会社の体質かと思いますが、前日打ち合わせしたことが当日ひっくり返されるのは日常的にあり、ジャパンオフィスにいるSCI駐在代表者の言葉は絶対という社風でしたので、本船クルーと打ち合わせをしても結論を出してくれなかったことが多々あり、苦労しました。

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【本船 State of Manipur】

写真の本船はSCIが投入した在来船としては比較的性能が良く、三井造船神戸ドック製で3隻あったと記憶しています(State of Nagaland,State of Tripura)。しかし、いかんせん通常のメンテが不足している等、荷役作業にもトラブルが少なくありませんでした。今だから言えますが、接岸するときにこのファンネルマークと黒い船体が見えてくると憂鬱になったものです。

そんな中でも、私が新人の頃、当時先輩の松下フォーマンは粘り強く本船とも交渉しながら、有効な積み付けプランを絞り出している姿には強い印象があります。「飯澤君、仕事ちゅうもんは痺れないと覚えないよ」普段寡黙な松下さんから言われた言葉は強烈に私の体に刻まれています。

インドはイギリスの占領下におかれていた時からそれを乗り越えるためにガンジーが民族や宗教、階級の複雑な壁を乗り越えてきた歴史を鑑みるとこの現在においても統治の困難さが想像できます。その後も印パ戦争など激しい宗教対立もありました。近年経済力が高まってきても外交に関しては巧みに東西国とバランスをとっています。ロシアから主要兵器を購入していることからもその実態が判別できます。

国内に内在する価値観の多様性からインド国民に寛容が求められることは統治するうえで不可欠ではありますが、寛容を国の美徳としてそのまま受け取るには事は単純ではなく、したたかな戦略に基づいた行動をする国という認識を持たなければなりません。外交上のおつきあいをして行くには松下フォーマンのような忍耐と歴史に基づいた見識が求められるのです。

インドへの理解を復習するために、これまで部分的にしか観ていないデビッド・リーン監督の「インドへの道」を完全鑑賞してみたいと思います。
posted by 飯沢ただし at 23:54| 岩手 ☀| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月04日

Poltava Class Cargo ShipB

1970年代に入っても新造船の投入は続きます。

1971年に Al GurainiahAl KhalidiahAl OmariahAl Aridhiah
1972年に Al SolaibiahAl FarwaniahAl Shidadiah
1973年に Al Salehiah

al gurainiahx.jpg

【Al Gurainiah】


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【Al Khalidiah】


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【Al Omariah】


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【Al Solaibiahのデッキ上の貨物 陸軍用トラックで満載】


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【Al Farwaniah】


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【Al Shidadiah】


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【Al Salehiah】


70年代ではクレーンの同一性が確認されますが、やはり本船によって異なるものもあります。また、三井倉庫在籍時に保管していた貴重な資料によると船体の軽量化が60年代よりも100トンほど図られています。藤崎氏の話によると例えば右舷クレーンから左舷方向にジブを回した場合はギリギリにしか船外に出ず、使い勝手の自由は利かなかったとのこと。また、ソ連製ということでクレーンの故障、またネットで拾ったかつてのクルーの話では電気系統は最悪だったようです。これらの教訓を生かしていよいよ K Class の新規投入となった訳です。

貨物の需要によって新たな設備投資がオイルマネーをふんだんに使った船社は他に例をみないでしょう。Poltava Classは一回でいいから乗船してみたかったです。

ということでこのシリーズはここで閉じます。
posted by 飯沢ただし at 04:40| 岩手 ☀| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月03日

Poltava Class Cargo ShipA

造船所が Kherson Shipyard になり、続々と新船が投入されます。

1967年にAl Kadisiah
1968年にAl SabahiahAl JabiriahAl Monsouriah
1969年にAl Odailiahです。

al kadishiahx.jpg

【Al Kadisiah】


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【Al Sabahiah】


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【Al Jabiriah】


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【Al Monsoriah】


@で紹介した本船と大きく異なるのはジブクレーンの数です。各ハッチの艫に左右にクレーンが設置され、計11基にも及びます。
本来の Poltava Class の原型はこの型なので@パターンは異例に入るのかもしれません。ブリッジの丸みを帯びたフォルムが60年代という時代を感じます。

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【ネット検索で発見したPoltava Class の原型】

クレーンの形状が本船によって異なるのは理由が図りかねますが、当時は技術が日進月歩の時代なので新しいものを徐々に取り入れたと推察します。
posted by 飯沢ただし at 17:07| 岩手 ☔| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月01日

Poltava Class Cargo Ship@

船会社Kwait Shippinng がK Class を導入する前に使用していた本船を三回にわたって紹介します。
例によって私の忘備録を兼ねた投稿ですので興味のない方はスルーで結構です。

私が担当したUASC(United Aarab Shipping Co.,)より以前にはKwait Shippinng という会社が原形にあり、三井倉庫では私が入社した頃に課長だった江利川さんがフォーマンとして担当していた本船です。よって私はこれらの本船は乗船した経験もないのですが、妙に以前から気になっていました。先日これらの本船で荷役監督経験のある藤崎先輩とお会いする機会があり、いろいろとお話を伺ったことを契機に記すことにしました。今思えばストウェージプランのブランクフォームは私が在籍していた時にファイル庫にあったので、手元に置いておけばよかったです。

K Class はペルシアンガルフ向けのプラント貨物が活況を呈していた背景から重量貨物を揚げるクレーンとデリックを備え付けたカスタマイズされた本船でしたが、それ以前は標題にあるロシアのPoltava という地名にちなんだ汎用型のPoltava Classを使用していました。汎用型ということでこの造船所では当時のソ連や西ドイツ、イラク、ハンガリー、インドにも提供しています。

al shamiahx.jpg

【Al Shamiah】

後に船体は年月を経てマイナーチェンジしていくのですが、一番最初に投入されたのがの型です。K Classに比して規模が3分の2程度でハッチは計6つで、ブリッジの艫に1ハッチあるタイプはこの時代では標準的な設計です。

造船所は当時ソ連、現ウクライナのBlack Sea Ship Yardで
1968年にAl Shamiah、1969年にAl Ahmadiah
1970年にAl Rumaithiahが先行投入されました。

al shamiahx.jpg

【Al Shamiah】


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【Al Ahmadiah】


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【Al Rumaithiah】

クレーンがデリック横に並列で2基あるの特徴で、全部で7基の装備です。藤崎氏の話によるとクレーンの揚力は5〜8トン程度、デリックは50トン位とのことでした。外見からしてデリック横は5トン、その他は8トン程度と推定されます。

posted by 飯沢ただし at 11:27| 岩手 ☁| Comment(3) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年06月12日

Kuwait Class Cargo ShipB

掉尾を飾る3パターン目は、Govan 社が当時はまだ造船産業においては新興国の韓国の会社 Hyundai SB&HI(現代造船重工業)とライセンス契約を結んだもの。1976年から78年の短期間に大量投入されました。

ibn khallilanx.jpg

【ibn khallikan】

1976年に Ibn Al Atheer , Ibn Al Nafees , Ibn Duraid , Ibn Qutaibah , Ibn Askir , Ibn Khaldoon , Ibn Al Roomi

1977年に Ibn Bassam , Ibn Al Beitar , Ibn Shuhaid , Ibn Malik , Ibn Khallikan , Ibn Al Moataz , Ibn Younus

社名がHHI(現代重工業)に変更になり

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【TABUK】

1978年に Jilfar , Ahmad Al Fateh , Theekar , Fathulkhair , Tabuk , Al Fjairah , Blocks , Qarough , Danah

全部で24隻です。

大きな違いはジブクレーンにAEG社のものを採用したこと。このツインクレーンの箇所に台座(ターンテーブル)がなく、自在に回転できたので作業効率が上がりました。見た目小ぶりですが揚力(5トンと12.5トン)には変化がありません。

Kクラスの荷役上の欠点は3番ハッチにジブクレーンが一つしかないことで、3番ハッチの荷役に偏りが発生しました。もし3番ハッチのオモテにP&O社のStrath E,Fシリーズのような5トンクレーンをStulckenの柱に沿わせて設置してもらえば最高でした。

韓国製の本船は短期間での納入だったせいかところどころ鉄材の切断箇所が雑なところがあり、わが国でいうところの職人気質が感じられないところが散見されました。新光産業のよっちゃん(吉田)(ラッシング会社の責任者、他にまっちゃん(松尾)もっちゃん(望月)が存在)がよく個所を見て嘆いていました。船社は資金はオイルマネーで潤沢なので何隻か日本の造船所に製造させてくれればよかったと思います。

船社のUASCのKクラスの大量投入は中東向けのプラント輸出に活況を呈していた背景があり、特にIJPC(イラン・ジャパン石油化学プロジェクト 三井物産)が船舶投資の大きな要因となっています。その後クウェート向けのAZ ZOUR Power(東芝) プラントが続きましたが、その後は受注が途絶え、政情不安もありアラビアンガルフ向けの貨物は私が在籍していた1987年頃にちょうど終焉期を迎えたのでした。

昨年、40年ぶりに再会できた当時UASCのスーパーカーゴの網代さんがKクラスの導入時に契約されたと聞きましたので、貨物と本船が増加したためのスカウトだっと推察されます。

政情不安と言えば 1980年にIbn Al Haitham号が 航行中にガルフ内でイランからのミサイルの被弾し、爆破はしなかったものの不幸にしてクルーが2名死亡、1986年にIbn Al Beitar号が誘導ミサイルを被弾して沈没する事故があったと後に知りました💧そういえば、ちょうどこの頃イラク向けの貨物にクルーが強烈に神経質になっていた時期がありました。

今思えばKクラスの投入時期が我が国の経済も最高潮の頃と思います。いい時期に荷役監督といういい仕事をさせてもらいました。

時間とやる気があったらKクラス投入前の本船についても整理をしてアップしたいと思います。おつきあいありがとうございました。
posted by 飯沢ただし at 10:58| 岩手 ☁| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年06月11日

Kuwait Class Cargo ShipA

Kクラスの2パターン目。
2番ハッチと3ン番ハッチの間にある重量物用大型デリック(Stulcken)の代わりに40トンクレーンを2機ツインで配置した本船が7隻投入されました。

ibn bajjahxx.jpg

【Ibn Bajjah】


Ibn sinax.jpg

【Ibn Sina】


Govan Shipbuilders の子会社 Scotstoun Marine 製で

1976年に Ibn Abdoun , Ibn Al Haitham
1977年に Ibn Hazm, Ibn Zuhr

Govan Shipbuilders でも自社製作しており

1976年に Ibn Sina , Ibn Jubayr , Ibn Bajjah

おそらくアラビアンガルフ以外の航路の用途を考慮して40トンクレーンを据えたと思われますが、実際の荷役オペレーションではカーゴワイヤーが複数あり巻き上げ速度も遅く、能率はかなり悪かったです。日本⇒ガルフ航路では不評でなるべく日本にはよこさないように要請があったとUASC関連のサイトで記されていました。

私にとっては Ibn Bajjah号が山下2号埠頭に着岸したときにC/Oが開いたパーティーに招かれて楽しい思い出があり、今でもその時の雰囲気は鮮明に記憶しています。その内容は「懐かしの船」のブログカテゴリーの一番最初の記事になっていますのでご参照下さい。
posted by 飯沢ただし at 23:26| 岩手 ☁| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年06月09日

Kuwait Class Cargo Ship@

ちょっと思うところあって40年前に担当していたUASC(United Arab Shipping Co.)の本船を備忘録として整理したいと思います。
ほとんどの皆さんは退屈だと思いますが、思い立ったら吉日ということで勘弁願います。

UASCのKクラスと分類されている貨物船は1974年から1978年まで3つの造船所で製造されて計40隻存在していました。しかし、2000年代の初頭に役目を終えてすべての船がUASCに引き取られスクラップとなっています。

1970年代半ばから中東への日本からのプラント輸出が盛んになったことで、それ用途に適した船を大量投入したという背景があります。UASCのみならずP&O社も同様の動きがありました。


最初に投入されたのが1974年〜75年にかけてスコットランドのグラスゴー、Govan Shippinng Builders 製の6隻

1974年 Al Mubarakiah , Al Salimiah , Ibn Battotah
1975年 Ibn Rushd , Ibn Hayyan , Ibn Tufail

GovanShipbuildersAd-AlMubarakiahx.jpg


当時の珍しい当該造船会社のポスター画像を見つけました。Kクラス第一号のAl Mubarakiah号が掲載されています。船会社からの大量受注で意気上がっていることが感じられます。Kクラスは重量物用に105トン揚力のあるデリックを備えました。

青字の本船は私自身が荷役責任者として乗船したことがある本船で、特にIbn Hayyan号はフォーマンとして独り立ちして初めて一万トンの積荷を任された思い出深い船です。

ibn hayyanxx.jpg


同型の本船は同造船所へ

1977年に Al Yamamah
1978年に Hijaz , Al Rayyan , Salah Aldeen

また、Govan Ship builders の子会社である Scotstoun Marine 社に

1977年に Arafat
1978年に Al Muharraq

の6隻が追加発注されています。Hijaz号は私の担当で横浜港だけでほぼ満載の2万トンの積荷をした本船で、クルーとの折り合いにも苦労して一番印象に残っています。

この型の本船のクレーンは、1番と2番、4番と5番の並列しているジブクレーンは台座が固定されて使い勝手が悪い上、ジェミニというツインクレーンにした時にシンクロしなかったりの事象が起こるなどトラブルが多く、なによりクレーン自体が故障がちで随分と悩まされました。

hijazx.jpg


風光明媚なスペインの景色の中を航行するHijaz号。非常に珍しいショット。
2つあるべきオモテのクレーンが一つしかなく修理中?
posted by 飯沢ただし at 22:00| 岩手 | Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月26日

決して逃げてはいけない!

仕事でも普段の暮らしの中でもトラブルはつきものである。

問題はそれをどのように乗り越えるかにある。

arunachal pradeshxx.jpg

【SCIの本船 Arunachal Pradesh 号】


今から紹介するのはいい事例ではないが、私の反面的事例になっているので敢えてここに記して今後の自分の戒めにしたい。

三井倉庫に勤めていた若かりし時にの画像の本船で貨物事故が発生した。4番ハッチで鉄パイプの積み入れ荷役中にワイヤースリングからパイプが滑り落ち本船のダンブル(一番底の船倉)に凹みを生じさせてしまった。そもそもワイヤーの絞りが甘いのを組長(5組)が見逃していたのが原因で、こんな事故は初歩的な事故で滅多に起きるものではない。

運悪くこの本船のキャプテンがなかなかの性格の持ち主で、本国の船会社の上席の役員にまで連絡をすると言い始めてクレーム処理が前に進まない状況になった。そこで私が所属している課長は、たまたまキャプテンの家族が乗船しているのを聞きつけてキャプテンの子息に大きな見栄えのいいおもちゃをプレゼントしてキャプテンを鎮静化させるという懐柔策をいきなり取ったのであった。

事故を起こした起因者が謝罪するのは当然だが、キャプテンとろくにコミニケーションを取らずにこうしたやり方をするのは若い私でも違和感があった。もう少し十分に話し合って問題の解決を図るべきだと思った。あにはからんやキャプテンの要求はさらにハードルが上がり、事故の収拾が別の方に行ってしまったという事案である。後処理はどうだったかは知らないが船会社の代理店を巻き込んで何とか処理をしたみたいである。本船は次の港に行くスケジュールがあるので荷役が終われば本船は出港するのでそれに救われた感はある。

この事案からの教訓は、事故処理の初動を間違えると問題の本質がボケて結局解決が遅くなるばかりか、余計な時間と労力を要することになるということだ。本県で言えば不幸にして起きてしまった県立高校での教師の不適切な指導事案がこれに当てはまるのではないか。県教委が双方からよく話を聞き丁寧な行動を初動で起こしていれば問題は拡大しなかったと思料される。

責任者は苦境にあっても逃げない。人のせいにしない。初動に細心の注意を払い、即座に対応する。

このことは自分自身の糧として今後も行動指針としたい。
posted by 飯沢ただし at 22:33| 岩手 ☁| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月21日

クリスマス近くなると

クリスマス季節前は現在もサラリーマン時代もとにかく忙しいことしか頭に浮かびません。

今回の記事も私の備忘録ですので、関心のない方はスルーされて下さい。

先日上京した折に三井倉庫時代(かれこれ35年も前)の先輩と同僚と会食したばかりということもあり、またフォーマン時代を思い出してしまいました。確かに年末を控えて忙しかったけれど、英国の上級船員がいる船にはクリスマスはやはり特別で船内の厨房からいい匂いが漂ってくるのでした。夜勤のシフトの時には気の利いたウオッチマンさんがこっそりと料理を調達してくれたこともありました。

私の担当船会社はこのブログで何度も登場しているUASC(United Arab Shipping Co.,)の在来船。プラント輸出が末期の頃で私の退職後にはほとんどプラント輸出がなくなりコンテナ船へと振り替わりました。

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上の写真はUASCのKクラスという本船で、上が前期でスコットランドのGOVAN造船所製造、下が韓国のHYUNDAI造船所製造です。ジブクレーンが韓国製は改良されて機能的になりました。アラビアンガルフ向けプラント輸出が盛んになった頃にシュタルケンと呼ばれる重量物を吊れる大型デリックを備えた本船が必要となりました。Kクラスのシュタルケンは105tまで可能です。このシュタルケンを備えるために通常のデリックを備えることになり、これが実に荷役の機能性を落とすことになっていました。3番ハッチの荷役は艫の一基のクレーンしか対応できず大変苦労した記憶が残っています。けんか巻のデリックを使えないことはないのですが揚力が2.5tと低く、本船クルーもセットすることを好みませんでした。

ところが、同じ時期にガルフ向けに作られたP&O社の本船、Starath E,Fシリーズは実にかゆいところに手が届く設計の妙を得ています。

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こちらのシュタルケンは何と揚力300t。さらにデリックを備える代わりに両サイドの支柱に5tのクレーンが各々2機づつ配置されています。このクレーンは実に機能的を発揮して荷役を活性化したことと推察します。Eクラスはポーランドのグダニスク造船所、Fクラスは三菱造船所と藤岡さんから聞きました。

私はFクラスに2〜3度しか乗船経験がなかったので記憶が定かではないですが、ジブクレーンの機能速度はKクラスの方が早かったと思います。

担当していた藤岡さんがいつもお話していたようにこうして写真で見てもStarath E,Fシリーズは船体が実に美しい。

コンテナ船は主流になった現在はこうした船体美を比較して楽しむこともなくなったと思います。
posted by 飯沢ただし at 23:48| 岩手 ☁| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月22日

大型貨物の輸出全盛時代

昨年同時期に引き続き三井倉庫時代に担当したUASCの本船について記しておきます。

本人の備忘録程度なので興味のない方は軽く流してもらって結構です😵

ネット社会もかなり成熟してきたので、何の気なしにUASC「K」CLASSと検索してみましたら、出てきました!Kクラスの全ての全船名リストが!なおかつ造船所と廃船日まで記載されていました。35年ぶりの汗の記憶が蘇ります。

UASCは「UNITED ARAB Shipping Company」の略で,その前身は「Kuwait Shipping Company」という船会社になります。

推察するにクウエート国内だけの資本で経営していましたが、ペルシアンガルフ周辺国の石油開発が旺盛になり各々の国において近代的な石油プラント設置の必要性が出てきて、そこにプラント輸出の大きな波が現れたわけです。日本も三井物産が手掛けた(最後はイランーイラク戦争の影響で未完成で終わる)IJPCという大きなプロジェクトがありました。

そこで1974年から78年までにKuwait ShippinngとUASCはプラント輸出に適応する100tの重量物を揚力できる大型デリックを備え、船腹も増大したKクラス(クェートのKを冠した)を大量投入したという図式と見ました。オイルマネーをふんだんに活かした大型投資です。

前回のブログで30隻と書きましたが、今回のリストで43隻もあったことが判明しました。

私が知らない本船も存在したことが明らかになりました。「BLOCKS」「QAROUG」「DANAH」の3隻。

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本船「DANAH」の画像がありました。韓国の造船所で製造された最後の3隻のうちの一隻で、私が横浜にいた4年間で一度も日本に来た記憶がないのでヨーロッパ航路専属だったのでしょう。

そして、新たな事実が判明しました。

私も乗船して働いたことのある本船「IBN AL BEITER」号は1986年12月23日にペルシャ湾を航行中に対空ミサイルの被弾を受けて沈没した。となっていました。私は当時在職中でしたが全くその事実は知りませんでした。船会社にとってもいい話ではないので外部にはあまり知らされなかったのかもしれません。

ibn al beiterxxx.jpg

【かつての本船イブンアルベイター号の雄姿】


昭和から平成になって重量物の輸出などほとんどなくなり、貨物船はほとんどがコンテナ船に変わりました。令和の時代に入るとコロナ禍の影響でコンテナの流通が滞り、船の運賃はうなぎのぼりに上がっています。こんなことは誰が予想できたでしょうか。まさに経済は生き物。

大型投資をした「K」CLASSの船たちも21世紀の声を聞くと同時に廃船となりました。実働四半世紀。アラビア諸国の砂漠に火を灯した功績を残し、魂となった船たちは今の世をどのように見ているでしょうか。
posted by 飯沢ただし at 23:52| 岩手 ☁| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月21日

蘇る20代の頃の記憶

先日、倉庫で探し物をしていたら書類キャビネットの中に一つの書類が出てきた😞

三井倉庫時代に担当していた本船のストウェージプランだ。船会社のスーパーカーゴが書いたプランを自分が独自に修正して書いたプランだ。プランには荷積みする貨物を積んだ艀(はしけ)の船名も添えて書いてある。このプランを持っていたのも忘れていた。

そのプランの本船は IBN AL ATHEER 私が担当した船会社であるUASCのKクラスという船型の本船だ。Kクラスの本船は全部で30隻ほどあったと記憶している。

ibn al atheer.jpg

【神戸港で荷役中の本船IBN AL ATHEER 大型デリック、シュタルケンが稼働中】


プラン作成の日付は1987年の8月となっている。実はこの頃からこの在来船Kクラスが活躍してきた中東向けのプラント輸出は陰りが出はじめて、貨物船はまもなくフルコンテナ船へと移行していく。まさに私が担当した4年間はKクラス本船にとっても最後の頃の航海だったと思う。

あれから40年余の時が流れ、港に関わる仕事も大きく変容した。上の写真にある艀(はしけ)業などは今でもなくなっているだろう。

人生の振り返るのにはまだ早いが、この頃、朝に乗船して組のウィンチマンが一斉にクレーンのスイッチを入れるキューンという独特な金属音は今だに覚えている。その音が仕事の始まりのサインであり、乗船している大勢の仕事人の活気がよみがえってくる。皆な若くて熱気があった。この船会社の仕事は気が抜けなかったが、緊張の中で集中力が研ぎ澄まされ、多くの人たちから多くのものを与えてもらい自信を得た。現在までの私の仕事に対する姿勢の基礎となっていることは間違いない。

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最近ではネット社会の進展のおかげでKクラス導入以前の本船の画像も見ることができる。今ではこの本船で働いた人たちも少なくなっている。近いうちに関係者とゆっくりと話ができる日が機会があることを心から願いたい。

いずれにしてもかつての熱気が懐かしい。

posted by 飯沢ただし at 21:24| 岩手 ☁| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月25日

クリスマス・・・雑感

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やっと見つけました😃。本船「Strath Fife」の画像。ということで記念アップ。今見てもシュタルケン横に表裏4つの5トンクレーンを備えたのはなかなかの機能性を発揮しますね。
この船で仕事の厳しさを知ることになりました。思い出に残る本船です。

以前アップしたEクラスよりFクラスの方が船体が長いのでしょうか。今度藤岡さんにお会いした時にじっくり聞きたいと思います。ファンネルマークの青に白地P&Oは垢抜けたものを今でも感じます。

クリスマス時期になると船内もお祝いムードが高まり、特にブリティッシュクルーの船では盛大にパーティーが催されました。

夜の荷役当番の時にごちそうの差し入れを頂き、ウオッチマン(警備員)さんと一緒に食べた記憶もだいぶセピア色に近くなってきました。ウオッチマンさんはいろいろな人生経験の方がいて、さまざまなことを教えてもらいました。荷役時間が大幅に短縮されたコンテナ船ではウオッチマンは不要になったと思います。効率化は経済的なメリットはありますが、人生の機微を接する機会など失うものもあるということですね。


サービスの高度化は時間制約がどんどん厳しくなることを含んでいます。いくら人工知能が発達しても最終的に問題を解決するのは人間。これからの時代、人間力を磨くためにあえてムダをつくる工夫も必要になるかもしれません。


私が横浜港で働いていた頃は日本のプラント輸出の終盤期。ガルフという単語は今や富よりも紛争のイメージが強くなってきました。常に社会は動いている。2020年代はその動きが急加速する10年になるのではないでしょうか。
posted by 飯沢ただし at 08:24| 岩手 ☁| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月29日

ドイツ東西統一から30年

ベルリンの壁が破られ東西ドイツの統一が成立して30年の節目の年になった。

メディアでも東西ドイツの現況を特集し、東西格差がいまだに存在していることが報告されている。

私も東ドイツとの関わりが三井倉庫在職時代にあり、興味深く新聞記事を読んでいる。特に知人の毎日新聞の念佛記者は現在ベルリン在住で活躍中であり、最近特集記事が掲載されていたが現在のドイツの政治状況は所得格差と関係が深いことがよく理解できた。


三井倉庫は当時DSRという国営の船会社の横浜港における船内荷役を請け負っており、私は本担当ではなかったが、年に2〜3回は荷役監督を任されたことがある。

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【本船 POTSDAM(ポツダム)】


DSRの本船は写真の本船POTSDAMやLEIPZIGなど東ドイツの地名を冠した船名で、ほぼ同じ構造でドイツ国民性を表したように船もコンパクトで汎用性に優れていた。

船員は東ドイツ国籍の船員のみであり、ドイツ人は仕事に対して非常に真面目で荷役中にトラブルを生じた記憶はほとんどない。当時のポーランドやソ連など共産圏の本船には必ず女性の船員が乗船しており、仕事中に船内で見かけることはちょっとした楽しみでもあった。

夜勤の時などは時間に少しは時間に余裕があり、船員たちとカタコトのお互いの英語で上陸パスをもらって東京のどこを訪問した方がいいかなどという話し合いに参加したこともあった。東ドイツ船の楽しみは昼食をご馳走になれることで、ごくたまにアイスパインという豚肉の丸焼きに当たるととても嬉しかった。いい思い出である。


東ドイツ解体とともにDSRという船会社も解散し、今は影も形もない。あの頃の船員は今どういう職業についているのであろうか。


ドイツのハンブルグにはDESYという加速器・高エネルギー物理学の研究所があり、私はまだ未到達であるのでぜひ訪問したいと計画しているが、その機会には旧東ドイツのロストック港にもぜひ寄りたいと考えている。
posted by 飯沢ただし at 16:19| 岩手 ☀| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月23日

KIWI ARROW

最近ニュージーランドに行くご縁がありまして、
突然に思い出した本船「KIWI ARROW」

以前にも紹介したGEAR BULK 社の本船名です。以前と言ってもかなり昔になりますが。検索システムで何気なく調べてみましたら、なんと同名のGEAR社の船が存在しておりました。

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しかし、私の知っているオープンハッチのガントリークレーンの本船ではなく、ジブクレーンを備えたものに変身しておりました!もちろん私が三井倉庫で働いていた船ではなく名前だけ引き継がれて新しい船になったのですが。それにしても本船ガントリーからジブクレーンに変更するとはGRAR社の柔軟性に驚くばかりです。


HAWK_ARROWx.jpg


ちなみにGEAR社を象徴する船は上の本船です。

そして二度ビックリはこの本船「HAWK ARROW」は1985年製で、私が乗船して働いていた船がいまだに現役で働いているではないですか!


本題に戻りますが、KIWIやNANDUなどニュージーランドに由来した本船は船員もニュージーランドと記憶しておりますが、船員とも別に親しくなったわけでもなく特に印象が残ってなくて、ただひたすらアルミインゴットやロールペーパーの荷役を早く終えるための効率ばかりを要求されて苦しい思い出ばかりでした。

加えてGEAR社以外に任された在来船のニュージーランド仕向けの本船は日本船籍のもので船員も日本人。これがまた日本人特性の年齢だけで人を判断する傾向がモロに出て陰湿なコミニケーションを日々強いられた記憶があるのです。


という過去の印象でありましたが、私にとって初ニュージーランド上陸は全く別の印象を与えてくれました。

報告の詳細は後日!!!
posted by 飯沢ただし at 00:22| 岩手 ☀| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月23日

メキシコとの思ひで

トランプ大統領の政策の目玉
・メキシコ国境に大きな壁をつくる
・自動車メーカーのメキシコ新規進出は認めない

メキシコが標的になってアメリカ移民の人たちは、安心して住める様子でない模様です。メキシコの人件費は米国国内と比して8分の1とか。結局トランプ旋風の瞬の嵐が去ればどちらも元に戻るのでしょう。国境壁はほとんど漫画みたいな発想で、徳川五代将軍綱吉の生類憐みの令の如く、あっという間に泡となる可能性大。

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【本船 Jalisco】

私のメキシコとの関わりは今は無きラインメキシカーナ。三井倉庫時代に準専属フォーマンとして仕事をさせてもらいました。クルーはすべてメキシコ人。英語は片言で通じたし、仕事もあまりトラブルのない船でした。日本からの輸出は機械製品や自動車部品が多かったでしょうか。荷物は大方コンテナでしたの横浜停泊に数は1日でクルーとの交流はほとんどありませんでした。

忘れられない思い出として本船横浜岸壁着岸と同時に税関の職員が大挙100名くらい乗船して、麻薬の取り締まりがあったことがありました。結局トイレの天井裏から発見されたとのこと。こういう事案は事前に情報が入るみたいです。

日本とメキシコの関係は良好でトヨタをはじめ多くの企業がメキシコに進出しています。私はメキシコはティファナ(サンデイエゴの隣)しか行った経験がありませんが、港のサリナクルーズなど訪れたい町です。
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2013年10月30日

親方日の丸がダメなのを知る

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このブログので気分を変えるために存在するカテゴリー【懐かしの船】
久々に登場する本船は、国営インド船「Vishva Anurag」
Vishva(ヴィシュヴァ)とは「栄光の・・・」という意だそうで、
「Vishva A・・・」と名乗る本船、すなわち同型の船は数種類存在しましたが、他の兄弟船は日本航路ではなく他の航路で働いていたようです。でも確か「Vishva Amber」は何回か横浜に寄港したか。

気分を変えるためと言っておきながら、私が三井倉庫在職中に「Vishva Anurag」は鹿児島沖近辺で沈没しましたがく〜(落胆した顔)
原因は積んでいた荷物が船内で移動したことによるとされています。その船に限らずインドへの輸出品は当時、鉄関係の荷が多く、パイプやコイル、プレートが多かったのですが、私もたまに担当した時に厄介な荷物で「湾曲させた鉄板」があって、荷物を動かないようにするためのラッシングにとても難儀した記憶はあります。運悪く時化に遭遇して「湾曲した鉄板」荷物が動いてしまい、船体のバランスを崩したのでしょう。

沈没後に海難裁判があって、担当したフォーマンも裁判に呼ばれることになって、かなりその方が神経質になっていたのも記憶しています。

この本船に限らず国営インド船会社(SCI)には沢山のことを教えてもらいました。

船国営会社はろくなもんではない。

船約束はいつでも破られる。

しかし、今、振り返ってみると、ビジネスの基本である「忍耐」を学んだのもこの船であり、本担当の別の本船では精神的な教訓はあまり得なかったことを思い起こすと、貴重な経験を積ませてもらったと思います。

仕事はほとんど思うとおりに進まなかったけれど、昼にご馳走になった本場のカレーと、とんでもなく甘いミルクティーと、ビールのつまみに最適なチャパティという煎餅のような食べ物は本当に美味かったです。

インド船の思い出はまた別の本船の時にまた紹介します。
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2013年04月11日

初めての貨物船

4月のこの時期になると学校を出て社会人になった時をことを思い出します。

稼業の運送業と関係のある倉庫会社に入社したものの、任された仕事は外国船の船積み監督(フォーマン Foreman)という仕事。入社間もなくは船会社の代理店の仕事でしたが、フォーマンセクションの人手不足か事務系の仕事が不適格の烙印を押されたかのどちらか、もしくはどちらもで、頭よりも体力と気合を重視する方へと配属されたのでした。

それで先輩に連れられていった最初の船がフランスの船会社で西アフリカ航路の船で
C.R.Doulaという船でした。同じ航路をC.R.AbidjanとC.R.Librevilleの3隻で回していました。(後にC.R.Librevilleが外れてC.R.Poite Noireが参入)

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当時の船の写真はなくて残念ですが、調べているといろいろな船会社を経ていまだ現役で頑張っているようです。当時の船は写真の配色とは似ても似つかぬ赤い船体にクレーンは純白で、とても海の青に映えたきれいな船でした。

後に自分がこの船の正担当となり、こちらの船会社の代理店のポートキャプテンには可愛がれてもらいました。この船に関してはいい思い出しかありません。
また、貨物の積荷責任者(スーパーカーゴアテンダント)はフランス人で、彼らと仕事の合間にいろいろなおしゃべりを交わしたのも今となっては自分の世界観を広げるのに大変役に立っています。

士官クラスはフランス人でクルーがアフリカ諸国という船員構成でしたが、一隻だけオールフランス人というのがあって、フランスの方は3時間も昼休みに時間を使い、挙句に食事をする部屋に鍵をかけられて、食事中は一切仕事とは隔絶の状態で、肝心の打ち合わせが出来なくて困ったことがよくありました。

東ドイツの船もたまに担当しましたが、フランス人とドイツ人とではこうも仕事に対する取組姿勢が違うのかとしみじみ実感させられました。

私が新入社員で入社したのも今から約30年前。最近のフォーマンは女性もいるとかで、そのような話を聞くと月日の流れを感じます。

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赤と白の船体の写真を見つけました(2013.8.24)ので追加します。

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2012年08月27日

仕事の終わりを感じない船

連日暑い日が続きます。こうした疲れの抜けない日ということで思い起こす船。

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【本船 Cormorant Arrow 】


正式な担当の船会社ではありませんでしたが、スポットのヘルプでよく行かされた船
はっきり言って、いい思い出のある船ではありません。

頻繁にトラブルがあったことしか思い出せない。そしてやらされ感が充満していた。
(本船ガントリークレーン故障、ツイストロック不足、アンフレンドリーなクルー)

インド船と並び「忍耐」を学ぶ上では大変いい機会を与えてもらったと解釈しよう。

数少ないいい思い出といえば、GBCSという北米向けのコンテナサービスを始めた時に、船内でパーティーが催されキャビア入りのサンドウィッチをたらふくご馳走になったことは記憶してます。

船会社の合従連衡が進む中、この船会社は健在で世界中の海を今でも頑張っているようです。バルクカーゴ(単一荷姿の荷物)写真のランバーやアルミインゴット、ロールペーパー等に特化した船で、船自体の機能の原型を大事にする会社なので、船型を変えることなく地方港にもニーズによって寄港する可能性が高いかもしれません。

釜石港や大船渡港が復興した時に寄港する機会があったら懐かしさは自然にこみあげてくるかもしれません。
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2012年05月25日

祝!社長就任(予定)

私が4年間お世話になった三井倉庫(株)で新社長が誕生するとの情報を耳にしました。
社長予定者(6月の株主総会で正式に決定)は私が横浜支店で大変お世話になった藤岡 圭氏。
藤岡さんと思い出は短い間でありましたが、本当に沢山あります。
身近の先輩として公私共にお世話になった方が社長になるとは大変喜ばしい限りです。

藤岡さんおめでとうございます。

正式に就任の折にはあらためてお慶びを申し上げたいと思います。

藤岡さんとはUASCやSCI、GBCSの船でもニコイチで仕事を教えてもらいましたが、なんといっても藤岡さんと言えばP&Oの船でした。スーパーカーゴのウィルス氏と仕事の打ち合わせをしている光景は眩しかったですね。

Strathelginx.JPG


写真はEクラスの船ですが、シュタルケンの横に5トンのクレーンがそれぞれあるのが特徴。これとほぼ同じ型(と思われる)Fクラスの船で初夜勤を経験。その時にセカンドオフィサーと英語での会話が通じなくて本当に悔しい思いをしました。それが契機で社会人としての自覚と仕事への取り組みが変わってきたと思います。
この船は在職中にP&Oから船籍が変わって横浜港では3回ほどしか仕事をしませんでしが、この船で8ギャングくらい動かしたかったですね。航路が私が担当していたUASCと同じアラビアンガルフでしたので中東向けのプラント輸出が下火になったので荷を集めるのが難しくなったでの航路撤退したのでしょう。

心残りなのは藤岡さんの結婚式の二次会を私が任されてのでしたが、気の利いた企画も出来ずにただの飲み会にしてしまったこと。あの時は今ほど心に余裕がありませんでしたからね。

思い出は尽きませんが、ぜひとも藤岡さんにはわが国の物流に新風を吹き込んで頂きたいと思っております。

内輪ネタで失礼しました。
posted by 飯沢ただし at 23:58| 岩手 ☔| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月29日

修行と自信と

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【本船 IBN HAYYAN】


3月末は年度末。4月に入社した新入社員が、今度は新たに新入社員を迎えるという微妙な時期であります。

この船はちょうど今の季節に私が初めて在来船で1万トンクラスの積荷を任せられた船で、とても印象に残っている船です。その前の夏の暑い季節にF岡さんという先輩と一緒に仕事をして鍛えられた本船でもありました。

1980年代半ば位まで日本の商社のプラント輸出が残っていて、この船会社では東芝の火力発電所のプラントをせっせと何度もクウェートまで運んだのでした。今日では韓国や中国がこの手の大型プラントの輸出に競争力をつけてきて隔世の感があります。

1万トンのブレークバルクを積み終わって、出航していった時は充実感に溢れていました。

鍛えられ、育てられ、自信をつけ そこで人間は成長していくものなんですね。


当時のことを思い起こすと周りで支えてくれた人達に対して感謝の念にかられます。

今、私に置かれている立場で何をすべきか、また考えさせられてくれたる思い出の本船でした。
posted by 飯沢ただし at 00:21| 岩手 ☁| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月31日

タイ国と日本

先週に頼んでおいたメガネが出来上がり、さっそくかけて目を慣らしています。

なぜ慣らすのか? とうとう遠近両用メガネが必要になったからですふらふら
ここ最近、新聞や本を読むときにメガネを外した方が読むのが楽になり、いちいち外すのが面倒になってきましたので思い切って購入することにしました。まぁそれなりの年齢になりましたから。


眼鏡店主の話ですと、昨年のタイ国の大洪水でメガネフレームの生産がストップしてしまい、影響を受けた所もあったとか。メガネフレームに限らず自動車産業や製作機械など、コストダウンのためにタイに拠点を移した企業は大きな影響が出ました。

タイ国は今やシンガポールや香港に匹敵するアジアとヨーロッパとの物流拠点にもなりつつあります。国民も仏教徒が多く勤勉であり、また山田長政来日本との交流の歴史もありますから日本企業を受け入れやすい環境が整っています。

外交面でも中国を牽制する意味においてわが国と東南アジア各国との連携の重要さはその重きをさらに増してくるでしょう。


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【本船Pipat Samut 船会社Thai Maritimeの船】


先週久しぶりに三井倉庫時代の同期と旧交を温む機会がありましたが、このタイ国の船の話題で盛り上がりました。私は当時担当ではありませんでしたが、2〜3度応援に行ったことがありました。

25年前の輸入品は冷凍エビやタピオカ(荷役作業員の頭が真っ白になりました)輸出品はピックアップトラックや小型トラックの半完成品、カーゴノックダウン(CKD)でありました。

今や現地で自動車も生産が可能になり、隔世の感があります。

お昼ご飯を船でご馳走になり、初めて食べたタイのうどん(砂糖をまぶして食べる)の味は忘れられないです。
posted by 飯沢ただし at 12:17| 岩手 ☁| Comment(1) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月24日

25年前のクリスマスイヴ

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【IBN TUFAIL】


三井倉庫に在職中、年末になると必ず横浜港に来る自分が担当だったUASC(United Arab Shippinng Co.)の本船。

この船会社はアラブ諸国の船籍(クェートとかカタールとか)でしたが、船員はパキスタン等からの出稼ぎ集で上仕官はイギリス人というパターン。

イギリス人との仕事はオンとオフとのけじめがはっきりしていたし、何しろ仕事のパートナーがの年齢に関係なく対等に対応してれたので困ったことはありませんでした。(国籍的にいうと日本人が一番厄介でした・・・)

船には国籍特有の匂いがあって、UASCの船はクルーがインド系が多かったので香辛料の匂いでしたがクリスマス時期は特別な馳走が用意されて肉系ソースの甘い感じに変わりました。

荷役を年末までに終わらせなければならない厳しい日程で、普段はやらない夜荷役も敢行されました。

日程がタイトの上に荷もなかなか揃わない、ギャングもキツイ、重いハッチのクレーンが故障・・・などなど想定外の事が起きましたが何とか積荷を積んで次の港へ出航へと仕事とはいえ関係者総出でよくやったものだと思います。

すでに写真の船も廃船となりました。今はこのような一般貨物船は見かけなくなりました。私にとってこのUASCの船の荷役監督をさせてもらったのは人生の経験で本当の宝です。
posted by 飯沢ただし at 12:04| 岩手 ☁| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月23日

立川談志さんにまつわる思ひ出

立川談志さんが亡くなられた。享年75歳。

私は偶然談志さんに会って話をしたことがある。
三井倉庫に入社して三年目の春だったと記憶している。今から25年も前のことだ。

なんと会ったその場所は外国貨物船の船上にて。

私が担当していた「UASC(United Arab Shippinng Co.)」のKクラスの本船で、通常のシュタルケン付ではなく40トンジェミニクレーンタイプだったから船名は「IBN BAJJAH」だと思う。

ibn bajjah.jpg

【ネット検索したら画像がありました 本船「IBN BAJJAH」(感激・・・涙)】


週末を挟んで、乗船したらインド系の英国人のチーフオフィサー(私が関わったC/Oでベスト3に入るナイスガイで、運よく彼とは3回一緒に仕事をした)から「昨日、鎌倉に足を伸ばして遊びに行ったら、談志というエンターテイナーに会った。奴は有名か?」と尋ねられ、「そうだ!」と応えたら「今晩彼を呼んでパーティーをするから、お前も来い。」と誘われた。船上でのパーティーは船長の許可がなくては開かれないので、彼はよほど信頼のおける男だったのだろう。船会社の人間にもスーパーカーゴアテンダントにも誘いがなく、仕事関係者で私だけに誘いがあったのでとても嬉しかった記憶がある。

その晩、作業服ではないスーツ姿で夕方に乗船したら、とんでもないお祭りがすでに始まっていた。
談志氏が10人以上も芸人を引き連れてきて、上へ下への大騒ぎ。貨物船の部屋の広さは限られているので、あちこちの部屋でマジックあり、歌あり、ダンスあり。談志氏はすでにベロンベロンに酔っ払っていてただただ皆と(主に上級仕官は英国人)と一緒になって騒いでいた。私は何しろ芸能人と一緒に酒を飲むなんて機会も初めてなので緊張しながら場を楽しんでいた。

談志氏の名前がでると必ずあの日を思い出す。そういえばいつもは交通に不便な大黒埠頭に停泊するこの船が、市街地に近い山下埠頭に接岸したのも何かの因縁だったのか。


談志師匠も亡くなられてしまい、頻繁には思い出すことはなくなるかもしれないけれど、あの愉快な夕べの船上の秘密パーティーのことは一生忘れられない思い出だ。
posted by 飯沢ただし at 23:55| 岩手 ☔| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする