2026年01月08日

本年こそが岩手県誕生150年

本日は久しぶりに東山地域の新年交賀会で祝辞を述べる機会を頂きました。

祝辞の中で岩手県が数年前から県政150周年記念事業を始めましたが、真の150年は本年であることを強調しました。


以前達増知事は盛岡県が岩手県に改称となった明治5年を岩手県の誕生と本会議の所信演術で述べたことに私は大いなる違和感を感じ、その後の予算特別委員会では歴史事実を曲げるような発信は改めるべきと強く申し入れた経緯があります。

 明治5年1月、盛岡県が岩手県と改称しました。明治9年4月、磐井県が廃止され岩手県に編入、5月1日には青森県だった二戸が岩手県に編入し、5月25日には宮城県だった気仙が岩手県に編入となり、戊辰戦争から9年の歳月を経て現在の岩手県が誕生しました。

明治9年は西暦1876年です。

私たちが住んでいる磐井地方がいかにも従属して岩手県に編入されたような間違った発言は断じて許されないと考えます。

👇以下は令和4年の予算特別委員会で私が質疑した発言内容の一部です。

〇飯澤匡委員 この4年間をどう捉えるかということが問題なのです。この特別委員会室に初代の議長の写真が出ているけれども、明治11年です。県議会もこの4年間の間に開会されてないのです。まだ設置されてない。
 だから、岩手県の歴史をきちんと後世に伝えるのはわかるけれども、しっかりとした歴史を、岩手県が確定したのは明治9年です。
 私が一番懸念するのは知事演述。知事演述の結びに、ことしで岩手県150周年を迎えましたと断言してしまっている。その前段で、皆さんが説明したように、恐らくあなた方が下書きを書いたのでしょう。知事の演述の前段で、令和8年には県境が確定したということは言っています。ところが、御丁寧なことに、結びにと、岩手県150周年になりましたとぴたっと断言してしまっているわけです。これはいささか問題だと思っています。
 ちょっとうがった見方をすると、この4年間、私は県南出身ですけれども、我々は編入された歴史を盛岡中心に書かれるのではないかと。今までも岩手県の博物館にしろ、ほとんど南部藩中心の品物をそろえて、こういう歴史があり、直近の例では、例の飲食店の協力金。あれについても盛岡市限定だと。これは大いに私たちの地域でも問題視されました。
 こういう歴史認識をしっかりした上でやっていかないと、私たちはちょっと我慢できないのです。説明が足りないと思うのです。知事が断言したということは、私は大変問題だと思っているのです。そこの中に思いやりだとか、こうして岩手県が形づくられましたという説明が後段の中にもあったら、100%納得はしないけれども、式典をやるのだったら、150周年というきちんと歴史の節目の中に岩手県という県境が形づけられたときに、私はやるべきだと、こういう考えです。
 それから、この際に申し上げますけれども、明治4年の盛岡県の規模は、確かに人口は6郡で31万9、000人余、それから、磐井県と気仙郡を合わせたこの4郡は20万7、000人。確かに10万人以上の開きはあるけれども、石高とすると、盛岡県は25万3、000石、磐井県は気仙郡と合わせて44万石あった。これだけの経済力の差があったのです。そういうこともあわせてやっていただきたい。
 宮城県の150周年とは違うのだから。岩手県としては、そこは丁寧にこの150周年についてはやるべきだと思うのですが、熊谷ふるさと振興部長いかがですか。


当時の予算特別委員会でかなり強硬な意見を述べたので、後に菊池哲前副知事からその件は大目に見て下さいとの話を承ったこともありましたが、歴史事実は事実として正確に発しなければなりません。況や知事がそうした間違った認識では困るのです。

2022年の2月17日と2月19日、3月14日のブログにも同様の意見をつづっています。よろしけれそちらも目を通して頂ければ幸いです。
posted by 飯沢ただし at 22:24| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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