2025年08月16日

終戦80年

今年は先の大戦が終結して80年の節目の年でした。

私は父を早く亡くしたので、父よりも先輩方との交流の機会も多く貴重な経験を頂いたと感謝していますが、なかんずく戦争を経験された先輩方からの一つ一つの言葉はとても身に染みて今でも記憶として鮮明に残っています。一関市との合併前は大東町成人の日を祝う会が8月15日に固定されており、議長の三浦芳一さんが必ず終戦の日について祝辞の中に入れていました。また、シベリア抑留を経験された加藤公平さんからは戦争は人間の人格を否定する惨いものだから、絶対にその悲劇を繰り返してはならないと戦没者慰霊祭で申されていたのも思い出します。

10日(日)に挙行された一関市戦没者追悼式では岩手県遺族会の副会長でもある槻山勝宏さんから、「あゝモンテンルパの夜は更けて」の楽曲に関するエピソードを紹介するミニ講演があり、戦後もBC級戦犯が他国でも処刑されていたことを知りました。この曲を歌うことによって心動かされた歌手の渡辺はま子さんが自らの危険も顧みずフィリピンに出向き、モンテンルパのニュービリビット刑務所で振袖姿で歌ったことが、後に刑務所に入っていた日本人を救い出す契機になったとなったというお話です。

あゝモンテンルパの夜は更けて

作詞:代田銀太郎元大尉
作曲:伊藤正康 元大尉
歌唱:渡辺はま子

(一)
モンテンルパの 夜は更けて
つのる思いに やるせない
遠い故郷 しのびつつ
涙に曇る 月影に
優しい母の 夢を見る

(二)
燕はまたも 来たけれど
恋しわが子は いつ帰る
母のこころは ひとすじに
南の空へ 飛んで行く
さだめは悲し 呼子鳥

(三)
モンテンルパに 朝が来りゃ
昇るこころの 太陽を
胸に抱いて 今日もまた
強く生きよう 倒れまい
日本の土を 踏むまでは


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昭和27年に流行したこの曲を私はなぜか以前より知っていたのは、大変失礼ながらドリフターズのコントがきっかけでしたが、槻山氏の講演から深い内容であることを知らされ、自分なりに調べて理解を深めました。

戦中戦後の記憶されている方は確実に年々減っていく中で、今を生きている私たちの努めは、なぜ我が国があの大戦に参戦せざるをえなかったのか、なぜ無謀な戦略から抜け出せなかったのかなど、正確な歴史認識をしたうえで二度とこの繰り返しをしないように努力をすることだと思います。特に私たちは肝心の戦後史を学校教育で避けられたと私は思っているので、アメリカだけでなく東南アジアから視座した歴史をしっかりこれからも積極的に学んでいくつもりです。
posted by 飯沢ただし at 23:34| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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