2025年06月03日

巨星落つ

今朝飛び込んできたニュースに多くの国民が落胆したことでしょう。
野球界のスーパースターの長嶋茂雄氏が本日ご逝去されました。この日がいつかは必ず来るとは想像しておりましたが、とても悲しき寂しい思いです。それも背番号の同じ3の日に亡くなるなんて何という奇遇でしょうか。

プロ野球界は長嶋の出現によって大きく大衆化されたと思います。球界にとってまさに至宝的存在でした。

私は以前取引先のご招待パーティーでご本人を近くで見たことがありました。盛岡グランドホテルの玄関口に登場した瞬間のオーラを忘れることができません。本当に後光がさしているように見えました。

小学校2年生頃から父や祖父と一緒にプロ野球中継を観るようになり、ON砲、特に長嶋の格好良さは少年の目にすぐ留まりました。残念ながら生観戦での長嶋選手を観る機会を得ることはできませんでしたがブラウン管からでも十分でした。子どもだけでなく大人も長嶋ファンは多く、昭和45年の日本シリーズ中継を我が家に訪れていた取引先の営業マンが長嶋、長嶋と仕事そっちのけで叫んでいたのも思い出されます。

母は学生時代を東京で過ごしており、神宮球場で長嶋選手を観たそうです(なんとうらやましい)。長嶋選手とは同じ昭和11年の2月生まれで同学年です。当時学生選手のころから「長嶋〜」と泣きながら声援を熱狂的に送るファンがいたそうで、特別なアイドル的存在だったことが伺い知れます。

小学校6年生の巨人軍V9の年、昭和48年にカルビー社がプロ野球スナックを発売を開始し、付録のプロ野球カード目当てに当時の野球少年たちは駄菓子屋に走りました。(当時一袋20円)私もその一人で今でも手元にあります。

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手で持っているサインボールは長嶋選手が引退の年に一関の千葉久デパートで記念セールがあり、従弟に頼んで購入したものです。もちろん印刷された販売用のサインボールですが、当時の長嶋引退は社会的現象になっており、何が何でも手に入れたい品でした。

今日のご逝去により、球界も一時代が終わりました。もう長嶋のような選手は出現することはないでしょう。現役時代の後半とはいえライブで共感できたのは私にとって大きな宝です。

球界の発展のみならず、社会を明るく発展させた長嶋茂雄氏の功績は計り知れぬものがあります。私にとっても豊かな時間をに過ごさせてくれた長嶋氏に心から感謝を申し上げたいです。心からご冥福をお祈り申し上げます。
posted by 飯沢ただし at 23:04| 岩手 ☔| Comment(0) | My Favorites 【お気に入り】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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