2025年05月17日

温故知新

13日のILCに関する鈴木総務会長への要望会は、自民党の総務会長室で行われました。これまで何度も自民党本部に行ったことがありますが、総務会長室に入室したのは初めてでした。

鈴木俊一総務会長が入室するまでの間、総務会長が座る席の真後ろに歴代の総務会長の写真パネルがあり、じっと眺めていましたら椎名悦三郎氏のご尊顔を発見しました。

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党三役の総務会長も歴任されていたのは恥ずかしながら知りませんでした。

椎名悦三郎氏といえば日韓国交正常化を成就せしめた外務大臣としてあまりに有名です。今年は日韓国交正常化60周年にあたり、あらためて悦三郎氏の足跡を再認識する必要があると思います。

今からちょうど10年前、日韓国交正常化50年の折に 政治アナリストの豊島典雄氏が論評しているのを発見しましたので以下紹介します。

日韓国交正常化成功の要因は

難産の日韓交渉だったが、1965年の日韓国交正常化成功の要因としては

@ 北朝鮮の脅威に直面しながら、朝鮮戦争の被害からの復興と経済成長を企図する朴正熙政権が日本から資金を引き出すために国交正常化を強く欲していたという韓国側の事情。
A  米ソ冷戦下であり自由主義陣営の団結と韓国の安定を急ぐ米国による日韓の国交正常化を求める仲介、圧力。
B  韓国の朴正熙政権、日本の池田勇人―佐藤栄作内閣はともに強い指導力を保有する政権であった。
C  外相に椎名悦三郎、李東元という逸材を得た。

――ことがあげられる。

椎名悦三郎の存在

難交渉中の難交渉であった日韓国交正常化交渉を振り返ると椎名悦三郎(1891-1979年)の存在はひときわ大きい。

外務審議官としてこの交渉にかかわった牛場信彦は「日韓交渉がまとまったのは何といっても椎名外相がおられたからだったとつくづく思う。韓国の貴人にはああいう細長い顔をしている人が多く、向こうの人たちから多大な信用を得た。びっくりするくらい緻密な人で、問題点をよく心得ておられ、『ここはひとつ、大臣によろしく』と頼むと、ちゃんとやってくれる頼もしい人でもあった」(牛場信彦著・外交の瞬間)と評価している。

「記録 椎名悦三郎」の中で、日韓国交正常化交渉に携わった外務官僚は「正に将たる器」(柳谷謙介・当時のアジア課長代理)、「本当の経世家としての外交家だった。外交官ではなく外交家だった」(後宮虎郎・アジア局長)と高い評価を与えている。


なぜ、椎名が外相に

1964年7月18日、第三次池田内閣の内閣改造で椎名は外相に就任する。東京五輪の3ヵ月前である。

「池田勇人と前尾繁三郎が日韓をにらんでひねり出したウルトラCだった椎名の外相就任は常識からすれば意表をつくものだった。椎名は戦前の商工省出身、通産なら専門だが外務はズブの素人同然である。

しかし、池田が椎名に求めたのは、単なる外交的知識や手腕ではなかった。それは一言でいうなら、国家的見地に立って考え判断できる決断力と行動力に満ちた政治力であった」(月刊自由民主編・日本の進路を決めた男たち)。

「前尾は大局的な判断力があり、ハラが座っていて度胸がある椎名を外相の適任と考えたが、世間も椎名本人も当時は外相が適任とは思ってもみなかった。前尾の話しを聞いた川島も『いくらなんでも無理だ』と難色を示したが、池田は『面白い人事だと了承した』(2012年8月26日の日本経済新聞)。

池田と前尾は盟友であり、また、灘尾弘吉、椎名、前尾の三人は「政界の三賢人」といわれる仲間だった。


ちなみに「政界の三賢人」は写真には入り切りませんでしたが、御三方とも自民党の総務会長を歴任されています。

日本経済新聞 2012年8月26日の記事より
 政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕氏
外相就任、日韓国交正常化成し遂げる「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎

も以下紹介します。

金浦空港で「深く反省する」と声明

椎名外相の訪韓は1965年(昭和40年)2月17日から4日間と決まった。椎名はこの訪韓で一気に基本条約の仮調印にこぎ着けることをめざした。韓国内の日韓条約反対の世論は険悪で、これが朴政権を苦しめていた。日韓交渉のカギは険悪な韓国世論をどう緩和するかであった。昭和35年、戦後初めて訪韓した小坂善太郎外相は過去の植民地支配について「極めて遺憾」と表明したが、韓国世論は凍り付いたままで小坂外相は冷たく迎えられ、成果を得られず帰国した。

椎名外相訪韓では空港に到着した際のステートメントで過去の日韓関係にどう言及するかについて外務省内でもさまざまな議論があった。椎名は出発の直前に「深く反省する」との文言を入れることを政治決断した。これが椎名訪韓成功の大きな決め手になった。2月17日、「椎名訪韓阻止」を叫ぶ全学連デモ隊と警官隊の小競り合いの中を椎名外相は羽田空港を出発した。金浦空港に到着すると歓迎式典で椎名は用意していたステートメントを淡々と読み上げた。「両国間の永い歴史の中に、不幸な期間があったことは、まことに遺憾な次第であり、深く反省するものであります」

椎名のステートメントは韓国世論の沈静化に大きな影響を与えた。空港から宿舎の朝鮮ホテルに入る際に大勢の反対デモが押しかけていたが、大きな混乱はなかった。表敬訪問に訪れた丁一権首相も李東元外相も椎名のステートメントを高く評価した。17日夜の李外相主催の歓迎レセプションでは欧米の駐韓大使もこぞって椎名ステートメントを歓迎した。

レセプションには韓国記者団も大勢来て「反対デモの感想は」と椎名に尋ねた。椎名は「(韓国紙の)夕刊の反対デモの写真を見てびっくりした。反対デモの先頭にオレがいるんだものな」と答えた。韓国の野党リーダーである尹●(さんずいに普)善元大統領と椎名は風貌がそっくりだった。韓国記者団は大笑いだった。「尹氏と大臣はどちらが年上ですか」という質問に椎名は尹氏の年齢を確かめた上で「それならオレの方が弟分だよ」と答えた。こうしたやりとりも韓国内に伝えられ、韓国世論の緩和に役立った。


こうしたおとぼけ節を巧みにコメントで使うのも悦三郎氏の真骨頂です。悦三郎氏は若い頃から落語を好んでいたようで、そうしたことも氏の懐の深さを醸成した要素だったのだと推察できます。私も直接お付き合いをさせていただいたご子息の素夫氏も似たようなところがありました。

真の政治家とは我が国にとって有益となる結果を導いてこそ存在の意味があると考えさせられる椎名悦三郎氏の業績です。
posted by 飯沢ただし at 23:18| 岩手 ☔| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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