この度の渡欧は行政・県議会・期成同盟会(首長、一関市と大船渡市)・推進団体(推進協議会副会長)のメンバーが一団となって行ったことは今後の活動を進めるうえで共通認識が図られたことは成果として上がったと感じます。
ILCを巡る情勢は渡欧前から容易でないことは感じていたものの、実際に欧州の研究コミニティーのメンバーから現場を生の声を聞くと現時点での立ち位置が厳しいものであることを痛感することになりました。
しかしながら、今後の我々が注視している欧州の素粒子物理戦略に関しても流動的な要素が多く、これからの日本政府の動き方次第では形成が動く可能性も残されていることも確認できたと思います。
文科省の有識者会議によるILCプレラボ(準備研究所)の設立は時期尚早との結論が出て以来、コロナ禍も相まって国会議連の動きは低調となり、研究者コミニティーの働きかけもほぼ停止状態になったこの3年間の間にDESYやCERNは、結論の出ないところに振り回される暇はない、自前でできることをまずは進めようという流れになったのだと思料します。
加えて、この間にILCに関して欧州の牽引者であったリン・エバンス博士など多くの研究者が第一線を退いたことも影響を受けています。と同時にこの渡欧を通じて、欧州から遠く離れた極東地である日本で初めての国際科学施設を創るということが、いわば地の利の不利を覆すには通常の5倍も10倍も努力が必要ではなかったかと痛感しました。
IDT中田議長が申されていた「旗振り役」、石にかじりついても実現するという漢が政府にこの間不在であったことがとても口惜しい限りです。
今週、県議会では代表質問と一般質問があり、岩渕誠議員と佐々木茂光議員がILCについて取り上げました。
達増知事は自身の今後の動きについて質問を受け、周旋という単語を初めて出し、当事者間に立って世話をすることが自分の役目と本会議場で言明しました。この期に及んでこうした考え方では全く迫力がありません。佐々木茂光議員の質問を言葉尻を逆用しての答弁態度を含めてこの姿勢には残念以上の落胆を禁じ得ないものがあります。
ただ、残された時間を私はできる限りのことを実行する以外にないと心を固めた視察になりました。一関市の佐藤市長も逆境にあることは間違いないが絶対に実現するという気が高まったと話していたのは心強い限りです。
これから宮城県議会との共同議連を中心に政府筋に対して、特に自民党の政調でILCに関して取り上げることになったことを契機に効果的な要請活動を即時に進めていくことが必要と感じました。この件は帰国後に早速宮城県議会とは確認しているところです。

帰国後CERNで購入したヘルメットを被って、入場許可証を下げて写真を撮りました。いつの日かILCのヘルメットで同様のポートレートが取れる日のために。
最後に冬には珍しいマッターホルンが望むことが出来たジュネーブの市街地から。(映っている人物は関係ありません💦😖)

ジュネーブと言えばレマン湖。13年前は爆弾低気圧が来襲して大荒れでしたが、今回は静かなレマン湖でした。ちなみに身についているマフラーは13年前にジュネーブ市内の百貨店で買い求めたものでした😃

2025欧州視察レポート 完