午前中は社員の家族の火葬に参列後、地元摺沢地区戦没者慰霊祭に参列。午後は地元の那須議員と市政課題について情報共有後に「おきた林業祭」に参上、夜は来月14日に行われるファイナル同級会の最終打ち合わせ会へ。

【摺沢地区慰霊祭で追悼の言葉を述べる那須勇市議会議員】
毎年5月の連休中に行われる慰霊祭が今年はこの時期に行われました。摺沢公園の忠魂碑前にて開催される予定が急遽摺沢市民センターに場所が変更され、大ホールのステージ上で役員のみの参加の形となりました。
戦没者慰霊祭で思い出すのは初当選後に初めて公的行事に案内をもらったのがこの慰霊祭。今から四半世紀前のことで、まさに当時の開催も忠魂碑前で遺族会と戦争に赴いた戦友会の方々との合同開催で50人強の関係者が集まっていました。私は臨時議会も始まる前で議員バッジもまだもらっていない段階で、いきなり司会から追悼のことばをお願いしますと言われてかなりの量の嫌な脂汗をかいた記憶は今でも鮮明です。
大概のイベントの祝辞ならばなんとかこなせるにしても、追悼のことばだけはごまかしがききません。
当時は町会議員の那須勇氏の父上であった那須甫議員が私より順番が前に言葉を述べられたので、少しづつ甫議員の言葉をなぞって急場をしのいだのでした。以後、戦没者追悼式には必ず原稿を用意して臨むようにしています。
この教訓から戦争に対する経験値のなさや認識の底浅さを自覚し、また、小原伸元町長の見識や示唆に触れることによって戦後史について勉強するようになりました。
今日の慰霊祭をみても参加者の高齢化と規模の急速な縮小は著しいものがあり、これから祖国を守るために散華された英霊を誰が慰霊し、平和の大切さを誰が伝えていくのか、つきつけられた課題は深刻なものがあります。
おそらく形を変えて戦没者慰霊祭の存続を模索していくことにはなるでしょうが、平和教育については政治思想を完全に切り離すことがは困難であると私は考えることからよほどの注意が求められることとなります。