本日も大東町で地域活動に熱心に活動された方が急死され、弔問に行ってきました。
花巻市議の大原健氏は地域政党いわてを旗揚げした時に参画してくれて、以来ずっとお付き合いをさせて頂いた唯一の市議メンバーでした。入院されていたことも知らずに訃報を聞き、とても残念です。22日(土)には心をこめて感謝の意を伝えたいと思います。
海の向こうの大リーグでも名選手が他界されました。
ウィリー・メイズさんが死去 大リーグ最高の万能選手
【日本経済新聞電子版 2024年6月19日 12:05】
【ロサンゼルス=共同】米大リーグで通算660本塁打、3293安打を放つなど「史上最高の万能選手」と呼ばれたウィリー・メイズさんが6月18日、死去した。93歳だった。米大リーグ機構が発表した。
走攻守の三拍子そろった外野手。黒人リーグを経て20歳の1951年にジャイアンツでメジャーデビューし、20本塁打、新人王。52年途中から兵役に就き、復帰した54年に3割4分5厘で首位打者になるなどし、最優秀選手に選ばれた。
同年のインディアンス(現ガーディアンズ)とのワールドシリーズ第1戦、背走しながら中堅後方への飛球を好捕した。シリーズ制覇の流れをつくったプレーは「ザ・キャッチ」として語り継がれ、メジャーの歴史で最高の守備の一つになった。
本塁打王と盗塁王は4度ずつで、54年から20年連続でオールスターに選出された。史上唯一の「3千安打、300本塁打、打率3割、300盗塁」を達成した。通算3005試合出場、1909打点、打率3割1厘、339盗塁。73年限りで引退し、79年に米国野球殿堂に入った。王貞治さんらの世界少年野球大会にも携わった。
もちろんメイズ氏のプレーをライブで観たことはないですが、過去のVTRからみても抜群の運動能力を持った選手だったことは十分に窺える身のこなしでした。所属していたジャイアンツがニューヨークからサンフランシスコに本拠地を移転したのに伴い、メイズ氏も西海岸を中心にプレーしましたが、晩年の二年間はニューヨークに戻りニューヨーク・メッツでプレーして1973年にはワールドシリーズにも出場しました。ワールドシリーズのビデオで西海岸の日光があまりに厳しくてレフトフライを落球したシーンを記憶しています。
古の名選手が集うイベントにはよく出席されお元気な姿を拝見していましたが、とうとう帰らぬ人となってしまいました。
「ザ・キャッチ」と呼ばれる背面ポケットキャッチは今でもメイズキャッチとも呼ばれ、メイズ氏の名前はこれからも呼ばれていくことでしょう。
メイズ氏が大リーグに入る前は黒人リーグに所属していたのを知りました。大リーグ機構も最近になって黒人リーグの存在を公式に認めるようになり、明後日にはアラバマ州バーミングハムでアメリカ最古の球場でジャイアンツが試合をする予定となっています。メイズ氏にはこの試合を観戦してぜひ一言感想を残して欲しかったです。心からご冥福を祈ります。
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