スポーツ界でも元横綱 曙 さんが亡くなるというニュースが入りました。曙さんは元東関部屋所属でしたのでかつて夏季には恒例の東山町松川での合宿に来町しており、地元の人たちとの交流も盛んに行われていました。若い時から体を酷使しており膝に故障をかかえたまま相撲を取り続けていたと言われています。若貴ブームの最中に敵方として存在感を示しました。私が印象に残っている取り組みは舞の海が三所攻めで曙関を倒した一番。(負けた相撲ですみません)まだ50代とはいえ闘病生活が長く、大変苦しい晩節だったと推察します。本当にお疲れさまでした。ゆっくりお休みください。
競馬会では藤岡康太騎手がレース中に落馬負傷し、病院に収容されたものの息を引取ったという悲しい知らせが届きました。中堅どころでこれから期待されていた騎手だけにとても残念でなりません。騎手という仕事がいかに大変なものかあらためて知ることになりました。これまでもプロテクターの着衣義務など落馬事故には最小限で収まるような対応はされてきましたが、レース中の事故だけは防ぎようがありません。心からご冥福をお祈り致します。
私が大リーグファンになったきっかけとなった1970年代のシンシナティレッズ黄金期を支えた投手2人が相次いで亡くなる訃報が入りました。ドン・ガレット投手とパット・ザクリー投手。
ドン・ガレット投手は早いモーションから剛速球を投げ込む正統派。まさにビッグレッドマシーンの左エースでした。1977年にFAでヤンキースに高額の年棒でさらわれるような形で移籍したときのS.アンダーソン監督の嘆きようは著書にも記されています。
パット・ザクリー投手は1976年にルーキーとして彗星のごとく登場し、WS二連覇に貢献しました。長身なのに体を畳み込むようなフォームは打者を幻惑させたに違いありません。当時のチーム事情でトム・シーバー投手と交換トレードされることとなりました。もう少しチームにとどまって欲しかった選手でした。
お二人の突然の他界は思い出の欠片を削られる思いがして悲しい気持ちにさせられます。
しかし、これからこうした事例が多くなっていくことを考えれば、対処の仕方を考えなくてはいけませんね。
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