
もちろん副議長としての参列も初めてでしたので、厳粛な気持ちはさらに厚みをました。
まる13年を迎えて、ここ数日のメディアの報道で一番印象に残ったのは、グループ補助金の返還に窮している経営者の苦悩。これは同じ経済人として身につまされる内容でした。借金の返済に苦しむならば無理に借りなければよかったという声はあまりに悲痛。
加えて被災地は人口の自然減と社会減が同時に急激に進行中です。
民間経営も行政施策もこれまでの成功体験はほとんど役に立たないと頭を切り替えないと展開は開けないと覚悟した方がいい。と言葉では簡単に言えるが実際にはとても難しい。
苦悩の中から光明を見つけて、いかに明るさを増すことができるか。かなりハードルが高い困難な課題ですが今を生きる私たちは挑戦し続けるしか道は開けません。
現在住んでいる長町のマンションは全壊で管理組合理事長として地震保険4回の鑑定で半損+一部損を取り震災復旧工事と長期修繕工事を行い代金すべてをまかなうことができました。
更に出身地の津谷川千厩の親戚を回り罹災証明を提出して一関市の立ち合いに仙台から9回出張して大規模半壊1件半壊2件一部損1件を獲得しました。
少し親戚の皆様のお役に立てたかなと思っています。
岩手の皆さんのために副議長の活躍を祈ります。