2024年01月19日

摺沢幼稚園閉園によせて

令和6年4月に摺沢こども園の開園に伴い、摺沢幼稚園が閉園となります。
昭和40年に私立摺沢幼稚園として開園以来、私立から町立、市立へと運営形態は変わりつつも60年間の長きにわたり幼児教育の殿堂として存在できたのも関係者各位、とりわけ地域の皆様のご理解とご協力の賜物であり、深く感謝を申し上げます。

私も創立の年に入園し、昭和43年3月に卒園致しました。年少から入園した第一期生になります。実は当時は摺沢保育園に入園できる園児の数や要件に制限があり、保育園に入れない子どもたちを何とかしたいという摺沢婦人会の発意と行動により摺沢幼稚園は開園したと聞いています。当時の婦人会の会長は私の祖母である飯澤とみでありました。まだまだ子どもがたくさんいた時代でした。孫たちを幼児教育のしっかりとした場所に送りたいという情熱が社会を動かした画期的な行動でした。この婦人会の快挙は新聞でも報道されたほどです。

私自身の幼稚園の頃の思い出は、半世紀以上のことですのでかなり断片的にしか思い出せませんが、当時の白い帽子と濃い青色の園児服はとても目立ったことや私は1月生まれの早生まれでしたので4月生まれの同学年の女の子にコートのボタンを閉めてもらうなどよく面倒を見てもらった記憶に鮮明にあります。私はよほど幼く見えたのでしょう。

園の行事は遠足、運動会、クリスマス会が主要な行事でしたが当時の園児は大勢で先生方は少ない数でよく管理されたと思います。入園して2年間は旧摺沢小学校の校舎の一部を利用しました。その園舎ではなぜか雨の日の記憶が強く蘇ります。

DSC_2362 (002)x.jpg

【おそらく摺沢幼稚園の第一回の運動会 雨天のため摺沢公民館で行われました。真ん中ら辺が私。写真はもちろん白黒!】


その時代は高度経済成長期の入り口の頃でしたので大人たちは皆生気に溢れていて、大人たちの元気な姿を見て子どもたちも溌溂としていました。昭和の時代で一番活力のあった時代だったと思います。また、いい先生方に恵まれ私はとても感謝の気持ちでいっぱいです。

実はすでにこの頃からこどもの数は年々漸減し続け、平成の終わりには急減していきます。この現状を招いた要因は経済発展を最優先とし、地方を在り方を重視しなかったことが都市への人口集中に歯止めがかからなかった結果と言えます。

愉快で楽しい思い出がたくさん詰まった摺沢幼稚園が閉園することはとても寂しいことですが、今生きている私たちは時代の変化に適応しながら未来へと続く道を確かなものとしていかねばなりません。人づくりは国づくり。幼児教育こそ礎となるものです。ふるさとがこれからも光り輝いていけるよう皆さんでこれからもできることから頑張ってまいりましょう。
posted by 飯沢ただし at 23:55| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。