【当時の様子を報道する岩手日報】
マイクロフィルムから印刷したものなので読み取れない部分があり、岩手日報社が編集している「岩手年間」から関係部分がありましたので、ここに転記してみます。
三十年四月の議員改選後、初の議会が幕を開けた五月十七日の夜半、県議会議事堂で久しく陣痛をつづけていた正副議長選挙問題は、第一党の自由党が、少数三会派共同作戦の前にもろくも完敗、議員数わずか四名の最小数党、民主党の内村一三氏が議長の金的を射止め、さらに本会議としては初の社会党系千葉七郎氏が副議長として登壇した。決定の瞬間、さすが議場内は激しく動揺し、伝統的に県政推進の主導権を握って来た自由党が顔色を失ったのに反し、民主、革新、無所属議員にとっては県政史に一ページを刻む感激の一場面だった。
(中略)
この数日前から自由党では、正副議長を出せると確信し、(中略)議員総会の党議決定して、民主党に同調を求めたところ、民主党は『阿部県政推進のために自民同調で行こうという民主党に対し、人事では一言も相談がなく、しかも議長に橋本候補なら同調もしようが金子議長とは何ごとか』と憤慨し、これに無所属、革新クラブも同調、議長民主党、副議長革新、教育委員は無所属の線で結束を固め、自由党の決戦に入った。
三派の意外の硬化に驚いた自由党は、民主に謝って、金子議長候補を引っ込め、一切白紙に返そうと折れて出たが、妥協が成らず、自爆となったものである。
比較はできませんが、人間の行いは大して大きく変わらないものだと感じます。この年の十一月に自由党と民主党は合併して自由民主党が誕生することになりました。結党後おそらく県議会の会派も統合されたと思われ、この正副議長選の出来事は、結党後の議員諸氏の心境はいかなるものだったかと想像してしまいます。
それよりもなによりも岩手日報紙の取り扱いが破格なことに驚きます。県政がいかに県民の関心事だったことが明確に理解できます。
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