達増知事は4回選挙を行っている。時の政治状況によって微妙に中身を変えているが本質は変わらない。1期目は議会の与党勢力が不足していたために慎重な姿勢であったが、2期目は国政が民主党政権だったこともあり余裕を見せ、無投票の3期目からは野党共闘路線に軸足を完全に移し、4期目においては野党共闘運動をさらに深め、選挙で大勝するや自らを容共容社のニュータイプの知事と称して得意満面であった。
ご本人が政治活動は自由と常に議会答弁され、自由な政治活動を政治家達増卓也が行うことにより、より民主的な政治が熟成されていくというのが理論の軸である。選挙で安定的な結果をこれまで得てきたこと(特に3期目の無投票は大いに自信を与えたものと推察)がこのような発言の背景にある。
政治活動は自由。それを妨げるものは何もない。問題は県民に対して知事の仕事を県民の付託に応えてやっているかどうかにかかっている。
「選挙での自由と行政との公平を両立させるのが民主主義。これは岩手県の取りえ。知事として関われたことに自信を持っている。」(河北新報記事)
一見して何を言っているのか正直理解できない。知事の発言力の影響は大きく、達増知事自身もその影響力を意識して先の国政選挙には積極的に関わり野党候補を応援したのではないか。その時点で行政の公平という立体に別の影を作っているのではないか。野党候補者の応援演説にも達増知事と紹介されるのを受けてきたこと自体、達増知事の語る公平という考え方すでに歪んでいると私は断ずる。
地方自治法の理念に沿えば知事は県民の福祉の向上を図り、県を統括し、県民の代表として事務の管理、執行するのが知事の役目。大きな権限を保有する知事はそれを第一とすべきであるが、現実は違っている。
選挙で多数を得たのを得て「県民党」と称するのは勝者の驕り。この発言は逆に県民の多様な価値観を十分に意識しないようにもとれる。期数を重ねるほど謙虚になるべきだ。
ところで、映画スターウオーズを引いて自分の弟子とまで言った衆議院候補者のその後の後始末はどうなったのだろうか。親方は最後まで弟子の面倒を見るべきと思うが如何に。
次回以降は政策の具体的内容について分析していく。
2022年09月23日
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