大東中、大原中、興田中が統合し、旧大東町地区で一つの中学校となる。以前存在していた猿沢中は現在の大東中にすでに編入済。
約半世紀前には前出の3校は一学年150名前後の生徒数があり、町内で互いに切磋琢磨したものだったが、それも今や昔。旧大東町全体でも現在は一学年100人にも満たない。
戦後まもなく国内では人口が都市に吸い寄せられ、昭和の合併で大東町が誕生した昭和30年で当時の人口は3万人(現在は半分以下)いたが、当時の「だいとう広報」に若者の都市への流出が止まらない、新たな産業の創出が必要」との見解を議長であった祖父が寄稿していたのをおぼろげに記憶している。
大東町は昭和の合併としては大規模な合併をしたせいか、40年以上地域間の政治的対立が続いていた。町長選挙にはそのエネルギーがいかんなく投入され多くの逸話が残され、政争の町として呼ばれた時もあった。しかし、人口減と高齢化によって今やその活力は見る影もない。
人口の増減はいろいろなところに波及をもたらす典型的な事例だろう。
縮小=寂しいだけではなくて、嬉しいニュースがこの度発信された。

【5月13日 岩手日日新聞より】
現在の校歌がなくなるのは寂しいが、こうした方々が新しい校歌を作ってくれることは素直に嬉しい。どんな校歌になるのか今から楽しみである。時代は今の現況に即してどんどん変化をしていく。その変化が次世代により良くなるように考え、実行しているのが私たちの大人の役目であるのだ。
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