しつこいですが、達増知事の盛岡県が改称された年を基準として県政150周年とする認識についてです。
岩手県の成り立ちについて岩手県公式ホームページに以下の記述があります。
近世、四つの藩、明治維新
近世の岩手県は、北半は南部氏の盛岡藩領、南半は伊達氏の仙台藩領となりました。後に盛岡藩から八戸藩、仙台藩から一関藩が独立し、4つの藩から構成されていました。
明治時代に入り、維新直後は岩手県の行政区画は目まぐるしく変わりましたが、最終的には明治9年(1876年)5月に現在の県域が決定しました。岩手県誕生の記念すべき年です。
この記述の方が正解で、知事の見解はダブルスタンダードで明らかに矛盾しています。
明治9年は西暦1876年。今年は2022年。150年に到達していません。
おそらく達増知事は自分の任期中に150周年事業を手掛けたいとの思いから、こうした仕掛けを考えたと推察したしますが、盛岡県以外の地域住民の感情に対して深謀遠慮もなしにスラっと盛岡県を主体にする考え方を素通しするやり方には納得できません。
2022年02月19日
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