戦後76年。実は戦後まもなくの衆院選挙で当選した小沢佐重喜氏・小沢一郎氏親子は中選挙区時代を含めて一度も選挙で負けたことがありませんでした。まさに浮沈艦でした。同じ保守系議員では椎名悦三郎・素夫親子、志賀健次郎・節親子も各々苦杯を舐めた経験があります。
選挙後に地方紙、全国紙とも小沢氏の小選挙区の落選原因を特集を組んでいました。後援会の高齢化を主たる要因にあげていましたが、私は簡単には同調できません。選挙戦術としては今ある組織をフルに近い形で使ったと思います。それ以上にコロナ禍による影響が投票行動に変化を起こしたのではないかと推察します。
【平泉町で藤原氏の応援に駆け付けた千葉じゅんこ県議。こうした若い議員がこれからの世の中をつくっていきます】
コロナ禍が引き起こした将来への不安。現実的ではない政局論よりも身近に感じられる人に託したいという心理が大きく働いたのではないか。
私は選挙後にいろいろな人と話をしましたが、「今までは会社丸ごと小沢氏を推していたが、今回は自由にしろ」と言った会社の社長がいました。この例が象徴的な話ではなかろうかと思います。そうでなければ9300票も差がつくはずもありません。
選挙テクニックの優劣だけでは通用しなくなったということ。それ以上に有権者の深層心理に、特に若い層に将来のために一票を託すということが浸透していた結果だと推察します。
また、立憲民主党が共産党と接近したのも、トヨタ労組が反発したようにプラスに転じたとは思えません。
しかし、その素地をしっかりつくったのは、間違いなくこの4年間藤原崇氏が真摯に地域分け入り有権者と対話を重ねてきたことです。そして相手候補の悪口を言わない、決して貶めない、そうした姿、輪郭が見えてきたからこそ票が増えたのではないかと思うのです。
この勝利の結果は誇るべきことであり、藤原氏にはこれまで以上に期待がかかります。是非とも地域のため国のために汗をかきまくってほしいです。