3年ほど前、両肩の50肩治療のために知人の紹介で一関市内のある整骨院に通いました。
右肩の状態が特に悪く、捻挫を起こしていると診断されたこともあり、完治まで約一年を要しました。辛抱強く治療に当たってくれた先生にはとても感謝をしています。外科治療一本に頼っていたら、二年前の選挙には間に合わなかったかもしれません。
施術は硬直した筋肉や関節を伸ばして元に戻すということを念入りに行うものでしたが、最初は激痛で身が悶え、先生の手を抑えたこともありました。そういう例は私だけはなくて、3mほど先生が蹴飛ばされたこともあるという話も聞きました。
施術が終わった後に先生と会話をするのですが、今でも印象に残っているのは
「飯澤さん、私だって撫でてよくなればそういう治療をします。だけど治すために必要だからやるしかない。」
という言葉です。
ところが、通院を続けると治療が苦しくても徐々に効果が出てよくなるので、痛さは治るに直結してきます。そうなると痛くないと効いてないような気がしてくる。不思議なものです。
さて、この話、先の県財政と事業の選択の集中の話に例えると
先の知事答弁は危機感もなく、ただ撫でているようなものです。過去のいい体験だけをベースにして考えている。
このままでは県政は健全な方向に向いていかない。
日曜日の朝に、先生のことをふと思い出して、こういう結論に至りました。
2021年10月17日
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