県議会における議員の発言は本会議はもちろんのこと委員会でも公的扱いになり、必ず議事録に残る。発言の重みはとてつもなく大きい。
前回の2月定例議会では教育委員会が示した県立高校再編(案)(2月段階ではまだ(案)の段階、その後5月末の教育委員会会議で(案)は承認された)については各選挙区の地元の意向が絡んですべての交渉会派で一本化はされなかった。このような事案は過去にも岩手競馬存廃問題などの例があり、そんなに珍しいことではない。
実はこうした会派で意見集約できない時こそ議員個人としての存在が際立ってくるものだ。これは議員間でも行政においても議員の評価につながってくる。あの議員は事故の都合でコロコロ態度を豹変するんだなと思われた瞬間に株は急落、二度と右肩上がりにならないケースに至る場合もある。
議員生活も長くなる(22年)と状況の変化によって議員が過去に表明した意見陳述や表決とは真逆の態度を取るケースがまま散見される。まさに状況に応じて「君子豹変する」というやつである。
その評価結果はさておき、こうしたケースが露見した場合はなかなか議員間で公的に討議できないのが実にもどかしい。どうして✖が〇になったのか、議会は合議体でもあることから豹変に至る原因については知っておいた方が後々に役に立つ場合もあるだろうと思う。質問等の中で潔く陳述してもらうのが理想的であるが、そうでなく過去のことはなかったことするのは私個人的には容赦できないものがある。
はてさて、2月議会から状況が変わった6月議会で、反対論陣を敷いた議員がどのような立ち回りをするのが興味深いところだが、公的な発言の重みについて軽視することがあれば何らかの行動を起こしていきたい。これは議会全体のレベルアップにも関係する大事な問題だと思う。
2021年06月25日
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