明日は太平洋戦争の敗戦から75回目の夏を迎える。
議員という公職を頂いてから戦没者慰霊祭に出席し、追悼のことばを述べる機会があるが、厳しい体験がないだけにことばを選ぶのに毎年苦労する。どれだけ言葉巧みに追悼の意を表しても本質の琴線に触れることはできないと思っている自分がいると気がついているからだ。
惨めな敗戦から見事に経済復興を成し遂げ、世界から羨望のまなざしで見つめられるようになったのは先人たちの努力のおかげである。心から敬意と感謝をどれだけ述べても足りないくらいだ。また、この間、特に高度成長期まで大きな災害が起こらなかったのも幸いしたのかもしれない。
一方、GHQによる国民への戦争罪悪の思想プログラムの影響により、中等教育課程までに必要な戦後の歴史や放射線の正しい知識などの学習が軽んじられたのは、とても大事な部分が抜け落ちてしまったと言わざるをえない。
私のベッドの横には常に戦後を中心にした歴史物の書物が積んであって、就寝前には必ず読むことにしている。幕末期から明治維新を経て列強の仲間入りを果たし、日清・日露戦争を経て第二次世界大戦に至るまで遡って辿らないと戦後史は語れない。戦後の東西冷戦下から現在に至るまで日本の地政学的位置を鑑みながら我が国の立ち位置について理解を深めるには東京裁判の事実など、まだまだ私自身も足りていない。
ただ、現況で最も憂慮すべき問題は現在の中共の覇権主義による実効支配を続ける行動は恐ろしいということだ。政治体制が変化しても中華思想は健在である。中共は絶対にそんなことをするわけがないと力説した都知事選挙にかつて立候補した方が言っていたのを記憶しているが、そうしたお花畑の平和主義が我が国の存立を脅かすにまで至っていることに直接的に触れることをなぜか多くのメディアは避けている。
中共はコロナで弱体化している米国を見て、海洋進出だけでなくすかさず実力で香港の民主化に歯止めをかけている。日本も他国の災難と思っていたら大変なことになってしまう。明日は我が身であることを決して忘れてはならない。
戦争は決して起こしてはならない。この言葉はシベリア抑留を経験した地元の大先輩からもらった言葉でとても重いものがある。戦争は人格を否定し、あらゆる法を乗り越えてしまうことは歴史が証明している。
しかし、中共の脅威からどのように我が国の存立を守れるか。現実的な対応を今後求められることは間違いない。人権が蹂躙された国家の下部(しもべ)などには誰もがなりたくないはずだ。こうした厳しい選択や決断を迫られることは戦後100年までに必ず来るだろう。そうしたことを想定して我々は熟慮し行動していかねばならない。
2020年08月14日
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