2020年06月28日

コロナ禍を通じて新たな発見

日本の構造改革、コロナ禍で見えてきた弱点は
経営者ブログ 宮内義彦 オリックスシニア・チェアマン

【2020/6/26 2:00日本経済新聞 電子版】

この4カ月近く、新型コロナウイルスによる予期せぬ危機の中で、非日常を強いられる生活が続いています。危機が世界規模になったことで、いくつかの日本的特徴が明らかになりました。清潔感、高い公共性、連帯感などは日本国民の素晴らしい一面です。こうした特性によって日本はコロナと対決できたのでしょう。

一方、あまりにもがっかりというか、怒りに近い感情、「これは何とかしないと日本は駄目になるな」と思うことも出てきました。今回は、見えてきた欠陥について、今後の社会のあり方も含めて述べさせてください。分かってきた課題はいくつかありますが、特に何とかしないといけないと思ったことが2点あります。

■DXに対応しなかったツケが出た

1つ目は、デジタル技術で変革を促すデジタルトランスフォーメーション(DX)で、日本が世界から大きく後れをとっていることです。韓国や台湾などにも大きく先を越されていることが明白になりました。

これまでのコロナとの闘いで、日本のDX標準があったでしょうか。学校で非対面での授業ができない、書類にハンコを押さないといけないのでテレワークができない、テレワークのためのシステムが不十分である、あるいは公共サービスの窓口が混乱したといった数々の問題点がニュースで流れています。十数年来、要求されてきた遠隔医療がやっと一部で臨時的に実施されたというニュースもありました。これはほんの一例に過ぎません。長らくDXの到来が告げられながら対応してこなかった。旧態依然とした社会システムを変えようとしなかった。そのツケが一度に出たのです。

プライバシーの侵害、ネット広告などによる思想の刷り込みなどDXの推進によって新たな課題は生じるでしょう。仕事が人工知能(AI)などによって置き換わり、失業の可能性も出てくるでしょう。しかし、これらの課題を克服しながらDXによる社会を開く時期にきています。日本の大きな課題としてメスを入れ、早急に対応策をとらない限り、たとえコロナ禍から脱出しても明るい日本の未来はないでしょう。

■官僚的な「下書き」

2つ目は、日本の政治、行政のあり方です。今回、あからさまになったのは、国政でのリーダーシップの脆弱さと行政の混乱ではないでしょうか。「政治主導」の必要性を長く問われたことで、最近はなんとなく、「官邸を中心とした行政運営になってきたか」と感じることもありました。しかし、今回の危機で分かったことは、従来通りの官僚による「下書き」です。

それが良い悪いということではありません。行政とはもともと、短期志向で、縦割りで、保守的です。新しい事態への対応や臨機応変な動きはできにくい組織です。グランドデザインを描くには、政治がその役割を発揮するしかありません。

報道でしか知り得ませんが、コロナ対策のグランドデザインが政治主導で作られ、実行されたようにはとても見えません。政治家が主導したのかもしれませんが、内容はとても官僚的なものです。もし、そうなら、悪く言えば政治家が官僚化しているのです。行政組織でこなせる範囲内の施策のみで、それを超えた新しい動きはできませんでした。ほんの一例ですが、PCR検査では保健所の枠を超え、民間に協力を求めることを当初はやりませんでした。一度、発表された「37.5度以上の発熱が4日以上」という受診の目安はかたくなに守られ、恐らく多くの人が検査を受けられず、なかには重症化した人もいたでしょう。

「明日の日本づくり」に欠かせないことは、哲学と洞察力を備え、未来を見据え、国際的に範となるような真の政治主導力をこの国が持つことだと、つくづく感じる昨今です。

また、日本の行政組織は優秀であるとかねて目されていました。しかし今回、私たちが見たのは、少し強い言葉ですが、「その能力や連携の拙なさ」ではないでしょうか。10万円の給付金を国民にすぐに配れない、国民の情報を十分把握していない、民間に業務を丸投げしてしまう、縦割りの「たこつぼ」から出られない、限られた知見によって実施しているPCR検査について総括をしようとしない。

多くの課題が厚生労働省に集まる中、最重要の疾病対策が特定部署に大きく委ねられています。これは怖いことです。厚労省という縦割りの巨大な組織に、政治が対応できなかったのではないでしょうか。権限の確保と責任回避といった動機が、政策に結びついてしまったのでしょうか。そうだとすれば、大きな問題として手を入れなければなりません。

■中央集権から地元密着行政へ

ほかに分かったことは、地元密着行政の重要さです。地方自治体が財源をもって、問題に対応することの必要性が改めて認識されたと思います。明治以来の中央集権から地方自治を主とした分権化を図ることが、国民ひとりひとりの福祉向上につながるのでしょう。

コロナ禍後、DXの後れを取り戻すことと信頼に足る政治・行政組織をいま一度つくり上げることに、私どもはまい進しなければなりません。この2点に手が加えられれば、東京一極集中に転換がもたらされ、一挙に未来が開かれるはずです。


明日まで提出期限の意見書案(コロナ後の東京一極集中の是正)の案文作成中にこの記事に触れることができました。
なんという偶然なのかはたまた必然なのかと胸が躍りました。

DX(デジタルトランスフォーメーション)についての単語は知りませんでしたが内容は共感できていました。【官僚的な下書き】の項は組織が盤石と見えるときは五分後にはたちまち古くなっていくという危機感を政治家がもっていなければならないという警鐘と私は受け止めました。地方分権は言わずもがなです。

宮内チェアマンにはやはり民間で研ぎ澄まされた感覚は違うなと感じ入った次第です。


さて、一つの地方でもある東京都。現在都知事選挙が行われています。4年前は元岩手県知事増田寛也氏が出馬して注目してみていましたが、今回の選挙はどういう結果になるのでしょう。
私は18歳で上京して初めて都知事選挙を生で触れたときに候補者の数に驚きましたが、今回の都知事選挙が最多立候補者となったようです。記憶をたどれば1970年代から80年代にはA尾敏氏とか秋山Y太子氏とかT郷健さん(この方の表舞台への登場で現在は大きく世の中の認知が変わり、大きな成果を生み出したともいえます)とか思想的には筋金が入っている候補者がおられました。今回はすべてを把握してはおりませんがずいぶんと公共放送を使って私的な宣伝効果を狙った方が増えているという印象です。

政治に対してはまず第一に真摯な姿勢が求められると私は信じています。そうでなければ政治は先進も成熟もしていかないと思います。
posted by 飯沢ただし at 21:17| 岩手 ☀| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。