東日本大震災津波復興特別委員会の現地視察で故郷を離れて北上市に住んでいる被災者の方々と意見交換をしました。
以前の居住地は大槌町、陸前高田市、釜石市の皆さん。
一様に北上市の社会福祉協議会らが中心となって被災者の皆さんに寄り添ったサービス提供されていることに感謝をしつつも・・・
やはり話が進んでくると望郷の念忘れがたく、将来のことに不安を感じている声は切実でした。
・北上の冬季の降雪にいまだに慣れないこと(沿岸の人は雪かきではなく雪掃きですんでいた)
・北上在住の被災者でつくった、ふるさと会(大槌会や陸高の会)に参加しようにも足の確保が困難なこと
・故郷に土地とお墓があるのだが、生活の拠点は北上にあり今後どうしようかという悩みのこと
・防災広報の仕方が故郷の自治体と異なり、地震や川の増水の度にとても不安に感じること
移転された方は高齢者の方がほとんどで、健康面の不安も二重になりいまだに熟睡できない方もいらっしゃいました。
私が関心を持ったのは、なぜ北上市に移ってきたかという理由。
そのほとんどが子どもさんが北上市に住んでいる(住んでいた)という理由が多かったこと。
すなわち、震災前から若者の就労場所はすでに沿岸地ではなく内陸志向であったことなのです。故郷に思いはあれど安定した生活、希望する職種、それらの引力が強かったというこなのでしょう。(それは沿岸地のみならず、私の住んでいる中山間地にも同じ状況であるのですが・・・)
この現実をどれだけ深堀した課題として政策に起こしているのかどうか。
具体的には、震災後、若い人たちに魅力ある雇用の場をどこまでやってきたかということ。
起業件数は大いに増えて着実に復興は進んでいるとの新聞報道がある一方、故郷を将来支える若者の流出をどれだけ抑えられる骨太の産業振興策が果たして存在したのかどうか・・・被災地自治体は市民の生活再建にエネルギーの殆どを費やされ将来の産業振興策にまで手が回らないのが実情。ゆえに広域の産業戦略を担う県こそがその役目を担うべきなのに目だしとなるような新戦略は未だに見えないのです。
東芝メモリー(株)の誘致が決定し、北上市周辺の賑わいとは対照的な被災地の実情。労働者不足が懸念される中「被災地からバスで通勤したらいいのではないか」という県のトップリーダーの発言があったとか・・・この程度の認識では言わずもがな。
被災地の社会的人口流出に歯止めがかかったとか一時的な現象を声高に喧伝して成果を強調する体質では将来への布石など打てるはずもない。また、批判的な声は遠ざけるようなトップリーダーの差配では希望や幸福などの言葉も空想に過ぎません。
このままでは被災地からの若者の人口流出は止まらないことは明らかです。そのことは重大に被災地の復興に関わってくるのです。
幸いにしてILCという明るい材料が手が届くところまできていますが、エネルギーの地産地消策等を提案してきた私たちにとってこの間の県の対応は納得のいくものではありません。
そのことを改めて認識を起こしてくれた北上市に在住している被災者んお皆さんの声でした。まさに答えは現場にありです。
2018年10月31日
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