岩手の人
高村光太郎
岩手の人眼静かに、
鼻梁秀で、
おとがひ堅固に張りて、
口方形なり。
余もともと彫刻の技芸に遊ぶ。
たまたま岩手の地に来り住して、
天の余に与ふるもの
斯くの如き重厚の造型なるを喜ぶ。
岩手の人沈深牛の如し。
両角の間に天球をいただいて立つ
かの古代エジプトの石牛に似たり。
地を往きて走らず、
企てて草卒ならず、
つひにその成すべきを成す。
斧をふるって巨木を削り、
この山間にありて作らんかな、
ニッポンの背骨岩手の地に
未見の運命を担う牛の如き魂の造型を。
高村光太郎のこの詩が好きです。
特に最後の一節が。
振り返って現在の県政にあって、斧をふるって巨木を削る如くのダイナミズムはあるのだろうか?
震災を被った大きなマイナスから大きくプラスに転じるような岩手の将来の若者が胸躍らすような大構想はなど聞いたこともなく、ILCという千載一遇の機会が目前にありながら動きが見えないトップリーダーの姿。何かに怯えるがようにリスクを避け続ける。それは県民の目には実際に触れることはないから批判は受けない、それを良しとする価値観。
こんな状況は一刻も早く打破したい。それは将来の岩手の姿に関わることだという危機感です。
私はこの流れを変えていかねばとこれまでも行動してきたし、これからもそうしていきます。
どうぞよろしくご理解下さい。
2017年10月30日
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