菅原喜重郎氏の居宅であった「かぢや旅館」は私の祖母の生家の隣ということもあり、私の親類も深く親交があった関係で亡き私の父も衆議院議員選挙の応援には熱心に支持をしていました。私はあえてこの場で明らかにする必要もないのですが、喜重郎氏が小沢一郎氏の傘下入りしたことに納得せず、父親の関係とは別路線で政治活動を行ってきているのはご案内のとおりです。しかし、政治体制を抜きにして喜重郎氏とはご厚誼を賜っており、その寛容さにただただ感謝するのみです。

謝辞においてはご本人から現在の政治状況に対する強い不満と共産党の支持拡大傾向について強い懸念が示され、マイクを目の前にすると11月には91歳にならんとするのに相変わらずの情熱のほとばしりを感じる勢いと意気軒昂ぶりにただただ驚くばかりでありました。
思えば喜重郎氏が国政に参画した昭和54年はまだ衆議院選挙区は中選挙区で定数4に椎名、志賀、小沢と社会党一議席の地盤は固く、よくぞ当時人口一万人の町から一念発起したものと感嘆の一語です。
昨日は支持を傾けた大くの東山町民に囲まれご本人も喜んでいるご様子でした。
ご本人が強調された自由主義陣営の強化については同感するところであり、私も地方議員の立場ではありますが微力ながらしっかりとその主張は受け継いで参りたいと思っております。