小原宣良氏は昭和62年から5期20年の長きにわたり、県政発展にご尽力されました。私の亡き父と同期ということでありがたいことにしばしば議会内で激励を頂戴しましたし、任期最後の年は会派「政和・社民クラブ」を結成して一緒に活動したのでした。その中で平成19年の2月議会は岩手競馬存廃がかかった今でも記憶に残る議会です。当時の「政和・社民クラブ」だけが結束して存続運動に努め、宣良先生は議員人生の晩節期に策を練り大いに存続に力を尽くされたのが印象に残っています。私はいまだに宣良さんから渡された競馬に関係した手書きの質問要旨を持っています。それはあの時の緊張感を忘れないためと一緒にあきらめずに最後まで存続にかけて先輩や同僚議員との戦いの証を大事にしたいと自然発生的に思っているのかもしれません。
昭和62年組は初当選が14名でしたが、宣良氏を含め鬼籍に入られた方はすでに8人を数えます。吉田洋治氏をはじめ元気で元気な方は6名となってしましました。考えてみれば平成も数えて30年になろうとしていますから、時の流れは情けを挟む余地なく刻まれていくのです。まさに昭和も遠くになりにけり。
今日の葬儀でも多くの参列者があり、故人の遺徳がしのばれます。一方、政治の風向きが大きく様変わりしたのを実感させられたのは現自由党の代表的な方々もこぞって参列されていたことでしょうか。かつては自民党と連立政権を組み保守勢力の一翼を担っていたこともあったはず・・・と昔のことをついつい思い出してしまいました。
今、一般質問の構成を検討中ですが、地方政治家といえども未来に向けて有効な布石が打てるのか、その点を軸に今回臨みたいと思います。今日の葬儀に参列して、自らの信念を貫くことがいかに重要か知らしめられた貴重な時間を過ごさせて頂きました。
宣良先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
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