最近の年末は別れの時節になりつつあるこの頃、今日は私の親類である金野和彦さんの葬儀があり、明後日は8年間県議会の同じ会派で時を過ごした元県議 亀卦川富夫氏の葬儀に参列の予定です。
本日の葬儀では龍泉寺の新渡戸方丈から忌中払いの席で修証義第一章を引用された法話を頂きました。
生を明らめ死を明きらむるは、仏家一大事の因縁なり、生死(しょうじ)の中に仏あれば生死なし
我々が生きているということは、どういうことか、死とはどういうことか、その真実をはっきり見極めるのが仏教者として最も根本的問題であります。生まれてから死ぬまで、我々は迷い、苦しみのまっただ中に生きているようですが、その生まれてから、死ぬまでの生きている現実の中にこそ仏(覚ったひと)はいるのですから、迷い苦しむ生活としての生死はないのです。
つまり、生きた価値は年数ではなく生きている間の中身の問題だと。
金野さんは58年という若さで亡くなられましたが、ご本人が「自分は幸せだった。」と最後に病床に横たわりながら見舞いされた方にお話したそうで、我々もその言葉に救われた思いです。
亀卦川さんは私より一期後に県議に当選されたましたが、市議5期の経験のあるベテランで地方政治家としては大先輩です。
「政和会」、「政和・社民クラブ」、「地域政党いわて」と会派もずっと一緒でした。椎名系譜の本流らしく発言もソフトな語り口で理路自然。一方政治的な局面では大局的な判断をされた方で私も迷った時は何度も助言を求めて助けられました。
中でも岩手競馬存廃の局面では表舞台でも裏舞台でも大活躍された記憶が鮮明です。
本会議で一票差で存続が決定した後、二人でガッチリ握手した瞬間は忘れられません。
ILCに関しては県議会に初めて問題提起をした議員で、当時はILCは海のものとも山のものとも分からない状況でしたが粘り強く当局に提案されて強く働きかけておられました。県議勇退後も民間団体の代表(いわてILC加速器科学推進会議)を率先してお努めになられ、市民周知を図るフォーラムの開催や児童生徒向け副読本の作成をするなどILC実現への情熱は熱くほとばしるものがありました。先日奥様からLCWSの記事を病床で読みながら「やっとここまで来たか」と感慨深く話されていたとの様子をお聞きしました。
ILCの実現を見ることなく亀卦川さんが逝去されたことは誠に残念至極です。残された私たちが亀卦川さんの分まで頑張る以外に恩に報いることはできないと思います。
よくお話しされていたのが、あるパーティーで当時の某代議士の有名夫人が「亀卦川」という苗字を目にして「あら、私の主人の義父の旧姓と同じですわね〜、どうぞ主人を応援してくださいませね。」と話しかけられた時、瞬時に近くにいた某代議士ご本人から「この人はダメだよ、別の人やってるから」と苦々しく放ったやり取りです。この話は私は10回は聞いた記憶があり、よほど亀卦川さんにとって滑稽且つ椎名陣営を支える誇りを感じたエピソードだったのだと思います。
先日同僚の及川敦元議員から東日本大震災の発生時に二人で同じテーブルの下に隠れたなつかしい思い出を電話で話されていました。彼も同じ道を進んできた同志、亀卦川さんの訃報を聞いて悲しんでいました。
まだまだお別れするには早すぎましたが、安らかにご永眠されますようお祈り致します。
2016年12月27日
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