2016年09月23日

平泉町合併60周年記念式典

表題の式典に参加してまいりました。
昨日は世界遺産登録5周年のイベントもあり連日の平泉町訪問です。
昭和30年の昭和の合併以来、困難な時を乗り越えられ今日の平泉町につないでこられたこと、町民の皆様に心から敬意を表します。

今日の式典は私が議長代理の祝辞を仰せつかり、用意された原稿を素直に代読する恩恵に与かりました。議員生活17年間で議長代理は2度目で、案外、その機会は少ないものです。

平泉町は一度は現在の一関市の枠組みで合併寸前までの協議がなされましたが、最終的には単独自立の道を選択した経緯があります。式典中にはこれまでの地域の歴史的経過を思い出しながら、仮に一関市の合併が成立しなかったらどうなっていたかということも想像してみました。

地元大東町をモデルケースで振り返ると
昭和30年代の伊東四平町長時は合併間もない赤字再建団体から脱却すべく努力されたこと
昭和40年代の及川正助、伊東勇、菊池隆一町長時は財政運営に余裕が出てきたもののインフラ整備において旧合併町村の地域バランスに苦労されたこと
昭和50年代の菊隆、伊東千賀雄町長時は産業の育成に力を入れたこと
昭和60年代の鳥畑一成町長時には住民サービスに尽力されたこと
平成10年代の小原伸元町長時には企画と巧みな人事掌握により先見的な環境整備を図られたこと

10年ごとの時代で課題の変遷にともない行政の対応は変化をしていったことは明確に分かります。

そして平成17年に合併となりますが、合併から10年を経過して人口の急加速的な減少が顕著になり、もし合併成立しなければ人口規模で交付税額が算出されることを鑑みると大変な財政運営を強いられたことになったのは容易に想像できます。

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平泉町も全国の地方に存在する自治体と同じく例外なき課題に直面していくことになり、次の70年目に向けたより戦略的な町運営が求められることになります。広域で支え合うシステムを軌道に乗せれるか、それにはお金も絡んできますし、とりわけ自治体間の信頼関係が不可欠です。その点勝部一関市長は懐深く対応しており今後の発展的な動きを期待しますし、私も合併市の大きな課題である地域内分権についてさらに深く研究してまいります。
posted by 飯沢ただし at 23:58| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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