余りに理不尽な放射能汚染の影響に、私自身がすくんでいたのも否定できない。
わが故郷、大東町は2001年まで県内の市町村品評会30連覇という輝かしい歴史がある。山の恵みを生かし、生産体制も軌道に乗り販売も消費者との信頼も得てマーケットが開けてきた矢先の事故であった。
確かに私は議会のあらゆる場面を通じて、原発事故後の対応はしてきたつもりであるが、東電からの一時的な補償はされたものの、いまだに経営再開のめどは立たないのが現実である。露地栽培の原木しいたけはまだ出荷制限が解けない。何より悲劇的なのは生産者の70%以上が再開を断念しつつあるということだ。

先日、東日本大震災津波復興特別委員会の現地視察で大東町曽慶の岩渕謙一さんのホダ場の除染状況を視察させて頂いた。謙一さんは奥様とともに自宅の裏山を中心に露地ホダ場でしいたけ栽培を経営している地域のリーダーである。
除染の状況を具体的にお聞きした。森林組合の手伝いをもらったとしても大変な作業である。
落葉層をフレコンバッグに入れる作業が完了したものの、未だに移動搬出先が決まっていない。こうしている間にもフレコンバッグはサレて搬出も困難になっていく。

県も市も除染対策や生産再開に向けて、考えられる援助策を講ずる努力はしていると私は思う。
しかし、もっと深刻なのは風評被害からくる価格の急落。評価の高かった岩手産は往時の3分の1の評価である。
謙一さん曰く、「中国産が日本に大量に攻めて来た時より深刻な状況だ。」
この問題に関しては、平野参議院議員にも時間をとってもらって生産者との意見交換会もしてもらったが、一朝一夕に解決できる問題ではない。
厳しい状況であることはその通りだが、謙一さんのように実直に取り組みを続けたいと思う生産者のために私のできる全力で好転出来うる環境を整備をする努力を今後も続けたい。この問題は大東地域だけにとどまらない岩手全体に関わる問題である。大量に保管されているしいたけやホダ木の処理策もしっかりと道筋をつけなければならない。ただ、全体像を本質的にレビューすることも大事で国が事故後に基準値として決めた100bq/kg が本当に正しい判断であったかどうか客観的に評価する作業も必要ではないのだろうか。すべきことは山ほどある。