一塁ベースを駆け抜けてライトの守備位置まで行きつくくらいの全力疾走、この姿勢が隙あらば次の塁を狙う基礎になっている。これを全選手が徹底して行っていることは、いかに実戦を意識した演習を日ごろ行っている証拠だ。
こういう意味づけのある鍛錬を重ねるチームにはいつか好機がくる。
間違いなく真紅か紫紺かいずれかの優勝旗を岩手に持ってくる日は必ずくると私は信じる。
ところで、千葉選手の打法について大会本部から説明らしきものが(以下新聞記事引用)あり、賛否両論が未だに展開されている。
大会本部によると、19日にあった準々決勝終了後、赤井淳二・大会審判副委員長が花巻東の佐々木監督と流石部長に対して「高校野球特別規則(17)バントの定義」を説明した。「バントとは、バットをスイングしないで、内野をゆるく転がるように意識的にミートした打球である。自分の好む投球を待つために、打者が意識的にファウルにするような、いわゆる“カット打法”は、そのときの打者の動作(バットをスイングしたか否か)により、審判員がバントと判断する場合もある」と明記されている。準々決勝での千葉選手の打法に紛らわしく見えるものがあったため、伝えたという。
この説明は高野連の立場とすれば、事前の善処ということなるのだろうが、2回戦と3回戦が問題なしで準々決勝だけが問題ありとしたことの判断は、まったく統一性に欠けており説得力がない。
混乱の原因者は、まぎれもなく高野連である。その責任は免れることはできないと思う。
高野連の定款第3条(目的)には
この法人は、日本学生野球憲章に基づき、高等学校野球の健全な発達に寄与することを目的とする とあり、今回の不透明な経過判断は定款に定めている目的を逸脱している。
ただ、現場対応として、今回の原因を明確にするために、あくまで結果論に基づくものであるが、準決勝であえて千葉選手にカット打法封印させずにゲームの中で主審の判断を仰ぐ選択肢はなかったか。
(蛇足ながら当日の主審は堅田主審。昭和54年 箕島ー星稜戦の星稜のエース)
もしバントと見なされアウトとなれば主審はグランドでの説明責任を伴うし、プレーヤーも納得して次の打席に臨める可能性が高まるはすだ。
しかし、素人の私が考えている以上に千葉選手の努力を知る佐々木監督には葛藤があったにちがいない。
不平等感は否めないと皆が思いつつも、現実は変えられないのが現状。
この現状を打破していくには圧倒的な実力をもって、対応するしか今のところ道はないと思う。
準決勝後に花巻東の選手が「明かに実力不足」とのコメントを語っているのが救いである。
高野連の不手際に対して外野があまりに一方的に加熱、先鋭化すると一生懸命に地道に鍛錬している選手や家族、関係者に迷惑がかかるので、その点は十分留意せねばならないが、高野連は純真無垢に白球を追い続けているプレーヤーの心を汲み取ることが基本であることを肝に銘ずべきである。
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