2013年04月29日

布佐神楽150年の重み

一関市川崎町門崎の布佐地区に伝わる「布佐神楽(ふさかぐら)」が
150周年を迎え、併せて、本年4月5日に岩手県指定無形民俗文化財に指定された
記念式典と祝賀会が挙行されました。

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講演をいただいた 橋本裕之 追手門学院教授 岩手県文化財調査員の指定文化財調査報告書によると

布佐神楽は南部神楽に分類され、
南部神楽は法印神楽と旧盛岡藩の山伏神楽という2種類の神楽が融合し、なおかつ修験廃止後在地農民によって継承されていくなか、他芸能である奥浄瑠璃の演目を劇化するなど独自の発展を遂げつつ、伝承団体で融合を繰り返して今日の姿になったと考えられている。


布佐神楽は江戸時代末期、文久3年(1863年)に隣村の相川村より神楽(おそらく法印神楽)を伝授したのを創始とし、その後も様々な神楽の要素を取り入れ大正期までに現在の芸風を確立した。


法印神楽とは
法印(修験(しゅげん)者)が伝えた神楽。宮城県の石巻、牡鹿、桃生、登米、本吉、気仙沼などに広く分布する。この地域には明治維新まで多くの修験道場が置かれ、神楽はこれらに属する法印によって各神社の祭礼に演じられた。明治維新後は神仏分離により法印の職が廃止されたため、神楽も一時中断したが、その後地元の人の手により復興および継承がなされた。二間四方の舞台の天井中央に大乗という天蓋の一種を吊るし、奥に幕を張る。囃子は多くの場合太鼓と笛のみ。演目は「初矢(しょや)」「五矢(ごや)」「道祖(どうそ)」「白露(はくろ)」「日本武(やまとたける)」「岩戸開(いわとびらき)」など記紀神話を題材として神楽に構成しており、随所に修験道色が濃くみられる。系統としては出雲(いずも)流神楽の流れをくみ、山伏神楽とは内容的に大きく隔たる。[ 執筆者:高山 茂 ]

布佐神楽は明治末、大正期に隆盛期を迎え、戦後期に活動が衰退したものを昭和47年に布佐神楽保存会が設立されて伝承活動が再興されました。以後、川崎村指定無形文化財(昭和53年)等に指定され文化財としての価値が定まりました。

橋本教授の講演において、布佐神楽が評価されている点は
@ 宗教的背景が確立している
A 演目数が充実している
B 伝承している環境が優れている(地域全体で文化を支えている)

また、橋本教授は今後の課題についても触れられ
@ 長時間の演目を披露する機会を確保すること(長時間に及ぶ演目は大会などでは物理的に披露するのは不可能である)
A 節目である周年で記録をしっかり取っておくこと
B 専用劇場があればさらに良い(行政側の民族芸能の支援のあり方を考察してほしい)

また、岩手県は隣県と比して無形民俗文化財の指定が少ないこと、また県南地域の文化財の評価が低いことも指摘をされました。

我々が見過ごしているこの地域の文化価値について的確な評価を橋本教授から頂きました。
私も見過ごしているその一人であり、少なくとも今回配布をされた布佐神楽の演目解説書をしっかり読んでおきたいと思います。

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今日は叢雲神語(むらくもしんご)(八岐大蛇退治)の演目が披露されました。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)のダイナミックな演舞と大蛇の動きが見事に調和して感動の演目でした。
大蛇は舞台の袖から二本の縄で巧みに操作され、演舞を凌ぐ迫力でありました。

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後刻、拝見した素戔嗚尊の面。内側は何代もの演舞者の汗が染み込んで黒光りしていました。

150年の歴史を刻んだ布佐神楽。
これからもその価値を伝承し続けていくことは我々の誇りにつながります。
その意識をつなぐ意味において、意義のある150周年だったと思います。

神楽とは全く関係ない話題ですが、
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門崎に行く途中の田んぼの中に狸を発見。
最初は猪かと思い、思わず車を停めました。
狸は珍しくはないのですが、こんな昼間に悠長に歩いている姿を見たのは初めてです。

狸さんも神楽を見に山から下りて来たのでしょうか。
posted by 飯沢ただし at 18:19| 岩手 ☀| Comment(0) | The Events  【各種催物】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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