さて、今日も前回紹介した「童話と政治」より
(この本は読めば読むほど面白い。)
椎名悦三郎氏が東京帝国大学を卒業して、農商務省に入る決心をした。入る動機は、やはり東北地方の貧しさを救うという目的があった。首尾よく採用通知を受け取り、叔父である後藤新平のところへ報告に行ったら、「大学で一片の法律を勉強して農商務省に入ったって、物の行政は解るまい。物の行政に必要な自然科学の教養がないのでは、モノになるはずがない。一年ぐらい役所に入るのを見合わせてもらって北里研究所に行ってナチュラル・サイエンスの手ほどきを受けてきたらどうだ。」と諭される。
悦三郎氏は唐突な提案に些か狼狽し、叔父の言葉にを気にかけたが、そのまま農商務省に入る。
しかし、その後、悦三郎氏が満洲に満洲実業部計画課長として赴任したときに、後藤新平が言った
ナチュラル・サイエンスの必要性を痛感させられたという。産業開発以前の基礎的教養、自然科学の知識がいかに実学として重要であったかということである。
後藤新平は高野長英の血を引く医師でもあり、自然科学の道に通じていたと推察するが、実際に政治の世界に入ってからも政治とは無縁ともいえる自然科学をも網羅した信念を持っていたことは、さすがに並みの政治家ではない。
こうした背景を知ると、何だかILCが椎名素夫氏に自然につながっていったのはこのような系譜が成す必然かもしれない。と思ってしまう。

科学するという言葉は昭和30年代初めに世に流行したらしいが、今からでも遅くはないと思わせる後藤新平の言葉である。

