新人を迎え、また人事体制の入替による組織の新体制始まりの日でした。
私も心新たに新年度を迎えるにあたり、本県所縁の先人のことばを噛みしめて心をあらたにと考えました。
先日、叔父から書棚整理をしたら、この本が出てきたので読んでみたらと勧められたのが
椎名悦三郎 著「童話と政治」 です。
この本は悦三郎氏が岸内閣の官房長官や池田内閣の通産大臣をやっていた頃に、夜ごと自宅に来た新聞記者と雑談したものを秘書が克明にメモしたものが元にしたもので、すべて会話調で記されています。
悦三郎氏と高野長英や後藤新平との関わりについても詳しく書かれています。
その中で悦三郎氏の叔父になる後藤新平の考え方と行動には一際目につく内容があります。
後藤新平は晩年、放送事業や青年団体の指導を行っていましたが、特にも政治倫理化運動に熱心に全国行脚した話はあまり知られていません。
後藤新平は「桃太郎政治論」をもちだして直接民衆に説きました。
昔の桃太郎の歌は
「桃から生まれた桃太郎、気はやさしくて力持ち、鬼が島をば伐たんとて、勇んで家を出かけたり。情につきくる犬と猿、キジもなんとかお供する」
ところが近頃の歌は
「桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけたキビ団子、一つ私に下さいな。あげましょう、あげましょう、鬼が島の征伐に、ついてくるならあげましょう」
昔の歌は 仁徳と愛の政治をあらわしているが、新しい方は「一つ私にくださいな」は全くの功利主義、条件闘争の歌だ。
いまの政治をみて思うのだが、政党は利権獲得会社の観がある。これおは新しい桃太郎の歌の功利主義の精神だ。くだらない。こんなことでは政治はよくならない。
歴史の歯車というものは、官僚政治から民主政治に移行していく。大衆が政治を行うのは必然だ。しかし、まだまだ一般大衆は政治に対して盲目である。政党政治家はこの盲目な民衆をだまし、功利主義的政治を行っている。政治家が功利主義だから、時代の風潮は右ならえである。これはなんとか是正しなければならない。政治家に何をいっても無駄だから、国民に直接語りかける以外にはない。
90年経った平成の世において後藤新平の心配は解消されたでしょうか。
なにやら不明な蓄財で裁かれた事件が頭をよぎります。
椎名悦三郎氏はこうした後藤新平叔父の悲壮な思いを受け継いで、政党の近代化に多大な尽力をしました。
著書の中で、選挙というのは納税とともに国民の厳粛な国家に対する義務であり、派閥争い解消のための手段として小選挙区制度をやることは選挙に対する冒涜とも述べられています。
まさに温故知新。
先人の高潔なる精神を失わせてはいけません。
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