140年の歴史を積み稼重ねてきた渋民小学校も来年の4月に大東小に統合のため今年度で閉校です。
大東町のヘソに位置する渋民地区は、地政学的見地だけでなく、江戸時代の法律学者、芦東山先生の生誕の地という精神的文化発信地という背景から、まさに中心地的役割を担ってきたと私は確信しています。
渋民地区に来るとなぜかしらお日様の光量が多いような気がするのです。確かに周辺に日を遮る山や丘もなく、なだらかな丘陵地帯の中に砂鉄川に沿って平野が広がる地形に渋民は存在します。そんな恵まれた地形のせいか渋民地区の方々も温かくて、真っ直ぐで、そして建設的です。

昨日と同じく、子どもたちの素直な未来に向かっての心の誓いに涙腺が緩くなりました。

こんな表情を見るとオジさんはグラッときてしまうのです。


思い出の校歌を刻んだ記念石碑が校庭の一角に新たに設置されました。

本の形状にこだわったのも芦東山先生の「無刑録」にあやかったものだそうで、玄関前に鎮座していた二宮金次郎の像も石碑を見守るように移動となりました。

伝統の伊勢神楽が「思い出を語る会」で披露され、万雷の拍手を浴びました。

本日のご挨拶は4人目につき私の渋民小の思い出話を披歴させていただきました。私の中では定番の小学校時代に行われた大東町内陸上記録会での思い出。もちろん中身はアノ話。
撮影は神崎県議。
未来に託す人材を創るのはその時代に生きる大人の責任です。時代背景に合わせて教育環境を整えてやることが最も大事なことです。閉校は確かに寂しいけれど郷愁だけを優先しては物事は前には進みません。
いよいよ20日は母校の摺沢小学校の閉校式です。
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