2013年01月11日

教育者の愛情



この記事で桑田真澄が言っている言葉で共感するのは
「指導者が体罰を行うことは、怠けている証拠である。」

我々も、規律の逸脱については厳しい指導があった時代を過ごしてきた。
しかし、だからと言って恨みだとかという感情は沸いては来ない。
なぜなら、教師や指導者が真剣になって自分に向き合っていたことを知っていたから。

情報が様々なところで行き交うようになり便利になった反面、人間対人間の単純な感情をぶつけることを避けるようになった時代になった。(韓流ドラマが流行るのは、今は見ることの出来なくなった素直な感情の衝突が新鮮に見えるせいではなかろうか)

スポーツの世界だけでなく、子供たちをたくましく育てていくために大人は何ができるか、何をすべきか常に考えていかねばならないとあらためて痛感させられた。
posted by 飯沢ただし at 23:56| 岩手 ☁| Comment(3) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自分は子供の頃より教師が振るう体罰は非常に
嫌悪を感じていた。 自分が殴られた経験は
1度しか無いが、「何でこんな事で赤の他人に
叩かれなきゃならんの」中学生の時抱いた感情
を今でも忘れない。 その教師にクラス会で1度
会ったが近寄るのも嫌だった。。

無抵抗な相手を殴る行為にいかなる場合も愛情
を感じた事は無かった。
周囲の子達が殴られるのも見るのも嫌だった。 
今でも当時の教師を軽蔑している。 
Posted by り at 2013年01月13日 21:08
ご無沙汰でっす!
7日には久々にお会いできましたね。
少しふくよかになったでしょうか?

こちらは相変わらずの「痩せ蛙」。
で、「カエル」にネーム変更しておじゃまします!

この事件について報道されてる大阪市長の一連の発言に驚いているんです!

事件は残念な結果となってしまったのですが、この発言=処置=対策で問題が改善されるのでしょうか?

生徒はバスケットが好きでこの学校に入学したはずです。そして憧れのクラブ活動を仲間とともに楽しむはずだったのに・・・その夢を踏みにじり死に至らしめた体罰に対しては厳として対処しなければなりません。

しかし、在校生やこれから入学を希望している受験生の気持ちを一方的に無視し、今度はその市長が踏みにじっているよう。

この発言は立場こそ違え、市長の衣着た絶対君主?の体罰のようにも思えるのです。

その大阪では「生徒がつける先生の通信簿」制度を試行し、「先生の質」を上げ、学力向上へ結びつけるとか・・・

※天気が悪いことを言い訳に、コタツでマスコミの報道テクニックに見惚れてます。

折しも明日、明後日とセンター試験。
受験生の中には憧れの教師を目指し、その試練に臨む子供たちも少なくないことでしょう。

エンジョイ青春!
Posted by カエル at 2013年01月18日 22:13
り さん
カエル さん 

コメントありがとうございます。

自分は小学校時分からから理不尽な教師の指令には反抗的でしたので、かなりご指導を受けました(・_・;)。

まぁ今思えば教師も人の子、情熱余ってと解釈しています。


40年前と今とでは社会や家庭環境が大きく変化してきているので、教師は別のところで神経を使わなければならないようです。

世が成熟すれば、別の問題が発生する。
社会の均衡を保つ困難さは、何時の世も同じです。


橋下市長は、首長といえど現法制度では、教育委員会の権限まで入りこむことは出来ないはずで、例の発言はそれを本人が知ったうえでのマスコミを利用したものと考えます。

市長の立場とすれば、当該校の入試云々の問題より、常態化していた暴力を止めることが出来なかった学校の体質の本質的な問題解決について今後どうするべきかを問題提起することの方が先決のように思います。
Posted by 飯沢ただし at 2013年01月19日 20:20
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