調べましたら昭和47年の12月10日が投票日で任期満了による選挙でした。
なんと選挙日が日曜日に定着したのはこの選挙からだそうです。その前は平日に行うこともあったのですね。このころ「解散バンザーイ」が同級生で一時流行しました。
昭和47年の1月に父が町議会議員に初当選したこともあり、選挙にも自然と関心が出てきたのでしょう。その頃は衆議院議員は議員の王様みたいな存在でした。テレビの政見放送も真剣に見ていた記憶があります。
解散バンザーイ流行の延長戦があって、各々の候補者になりきっての選挙ごっこなるものに発展しました。田中派では「決断と実行」バッチが、別の保守系新人候補者にはイタリア国旗に似たバッチが後援者に配られて、(今思えば余裕の時代でしたね)祖父さんとか親父からもらって学校までつけていったのでした。

あれから月日は流れて40年。
中選挙区から小選挙区へ、比例代表制度の導入など選挙制度も大きく変わりました。
公約からマニフェストへ 選挙のアプローチも変化を遂げてきました。(マニフェストの信頼性は前回の選挙で完全に失われてしまいました。本当に残念なことです)。
小選挙区制度になって候補者の品格や人間性が問われることがなくなった気がします。
一つの議席をめぐって政党と政党のぶつかり合いをマスコミも大きく取り上げ、まさに白か黒かを多くの有権者が迫られるケースが多いのです。政権交代が実現可能な制度で導入された小選挙区制度ですが、3年前の民主党の例を見ても政権政党に足る力がなかったことは明らかで、真の政党政治が我が国に熟成しないままに制度だけを先行してしまった結果となってしまいました。
今回の衆院選も一票の格差を是正しないまま違憲状態で選挙に突入する訳で、選挙後には速やかなる本質的な改革が求められます。
40年前と同じく師走選挙となった今回の衆院選挙。
政党の離散と結党が公示前にわかに繰り返され、本来であればかなり重たい政策である原発政策が軽々に取り扱われる。選挙前の重厚感は40年前の方があったような気がします。
地域政党いわて衆議院選挙における基本方針
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