2011年06月26日

平泉が世界文化遺産登録なる!



カナダのケベックで「登録延期」となって3年、登録に向けた運動を始めて10年。

やっと念願がかなった。

平泉町民をはじめ運動に関わったすべての方々に「おめでとうございます。」と「ありがとうございます。」を捧げたい。

世界文化遺産としては国内では12例目になる。

1.法隆寺地域の仏教建造物 - (1993年12月)
2.姫路城 - (1993年12月)
3.古都京都の文化財 - (1994年12月)
4.白川郷・五箇山の合掌造り集落 - (1995年12月)
5.原爆ドーム - (1996年12月)
6.厳島神社 - (1996年12月)
7.古都奈良の文化財 - (1998年12月)
8.日光の社寺 - (1999年12月)
9.琉球王国のグスク及び関連遺産群 - (2000年12月)
10.紀伊山地の霊場と参詣道 - (2004年7月)
11.石見銀山遺跡とその文化的景観 - (2007年6月)
12.平泉−仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群 - (2011年6月)

石原都知事が「小笠原諸島」が世界自然文化遺産に登録されたときのコメントで
「これからが本格的なスタートである。」のとおり平泉も正にこれからである。

文化遺産として認められたものの「浄土」を一般の観光に訪れた人(特に外国人)にうまく説明しきれるか? 勧告に従いあえて登録資産から外した遺跡をどのように管理、活用するか課題は多い。


石見銀山が登録はされたものの年数が経過すると・・・という話も聞く。


これから復興に向けた様々な施策の有機的な組み合わせが必要になる。
登録を契機として岩手県のすばらしい価値を示せるよう私も提案していきたい。
posted by 飯沢ただし at 20:47| 岩手 ☔| Comment(2) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
悲願だった「平泉の文化遺産」がついに世界遺産に登録されましたね。
平泉町の皆さん、関係者の皆さんおめでとうございます。そして、本当にご苦労さまでした。
感激の様子がテレビでも盛んに取り上げられ、平泉の地理とともにその歴史が全国に紹介されています。
隣の一関に住む私たちにとっても、嬉しいことであり誇らしい気持ちでいっぱいです。
一方で東日本大震災で甚大な被害を受けた方々にとっては「それどころではない!早く、安心して暮らしたい・・・」と切実な思いもあることでしょう。
一刻も早い復興を願うばかりですが、やはり相応の時間もかかるはずです・・・。
今から800年前の藤原清衡が創り上げようとした「この世の浄土思想」。
この思想は「安心して暮らせる」ことと理解していいのかな?
自然災害では被害が出るのはやむを得ないかもしれません。
このような状況に、日本全国から、そして世界中から様々な形で温かい支援や励ましのエールをたくさんいただいています。
そう、「困った時にはお互いさま!」の気持ちを誰もが持っているからなんですね。
「安心して暮らせる」ことの大切さがしみじみと・・・ 浄土思想に繋がるような思いです。

「五月雨の降残してや光堂」
500年経って松尾芭蕉が詠んだ句。
長い年月が過ぎようとも色褪せることのない金色堂。
清衡の願いが現代に・・・
Posted by らら at 2011年06月27日 20:14
ららさん

いつもありがとうございます。

頼朝が自分の勢力の足固めをするために平泉攻めをした、戦に勝っても平泉を根絶やしにはしなかった。いや、出来なかった。

清衡の思いがあまりに重厚かつ偉大なことを頼朝も知り得たのでしょう。

と私は思ってみたりします。

頼朝が武家社会の基礎を作り、徳川時代にまでその精神は受け継いで、今なお私たちの生活に根付いているものがあります。

貴族社会の奢侈な部分を廃し、規律をもって社会を治める。日本が明治維新以来、法治国家として東アジアで最初に歩みを踏み出すことができたのもそういう蓄積があったからこそです。

歴史の狭間で平泉は一旦は輝きを失いましたが、清衡の唱えた意義をここに住んでいる私たちが世界遺産登録を機会に受け継いでいかねばならないと思っています。
Posted by 飯沢ただし at 2011年06月28日 10:29
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