写真を撮るのも憚る気持ちになる位の被害の甚大さに言葉が見つかりませんでした。
陸前高田市の矢作地区は私の住む大東町からループ橋を越えると近い部落ですが、内陸部で津波とは無縁な地区にも川を逆流して津波が押し寄せて来たのには本当に驚きで、自然の前に人間の力がいかに無力であるのかをまざまざと知らせれました。あらためて被害に遭われた方々に心からお見舞いを申し上げる次第です。
今回、大槌町には12d、大船渡市には16d、陸前高田市には16dの飲料水を一関市の善意で供給し、半分は飲料用に半分はお風呂用に使用されました。本日も同じ地区に同量の水が供給されています。
1台は盛小学校に行く途中、道を間違えて狭い道に迷い込んだようで、車両の切り替えしの作業をしていた時に周辺から主婦が次々に家から出てきて「水を下さい」と懇願されたと聞き、断水状態の深刻さが伝わってきます。
陸前高田市の米崎小学校のすぐ手前まで津波が押し寄せておりました。その証拠に漁具が目前まで流れ着いており、小学校も危機一髪の状態でした。
ちょうど私が着いたときに北海道のテレビ局(TVh)のクルーが取材中で私も水を運んだ側として取材を受けました。
「とにかく今は被災者対応が優先。近隣の自治体に住む者とすれば出来る限りのことはやる。将来に向けては、復興に向けて街づくり、特に産業振興をどのように興すか、それは大きな課題。」
陸前高田市の小さな避難所も数箇所巡って歩きましたが、食料のほうはだんだんと行き届いてる様子で、直接的な被害を受けなかった地区でも地区ごとに炊飯や食料の分配をしている様子でありました。
物資は時間と共に行き渡りますのが、本当に時間的に逼迫した物資をいかに迅速に届けるかはまだまだ課題があります。また、今後、子供たちのための空間づくりや人的支援の派遣体制、同様に高齢者のための対策も別途必要になることを痛感致しました。