本日は2月定例議会の開会日初日。恒例の知事演述がありました。
演説とはよく耳にしますが、「演述」は普段はあまり口語では使わない単語です。
調べると「自分の意見・思想を口頭あるいは文書で述べること」となっています。
果たして、本日の演述では達増知事の意見や思想がどれほど語られていたでしょうか。
ここ最近は、政策のカテごとに割り振られた各部局の原稿を集めたものを項目に応じて読み上げることが知事の演述の仕事になっていますが、今年もそのとおりでした。そこに自身の思い入れのある熱の入った政策も語ることもなければ、自身の課題認識も示すこともありませんでした。特にILCに関する課題は、視察団の報告書を受けて自身の具体的な行動指針すら示していないことは不満です。
今から10年前に当時社民党所属の久保孝喜議員が実に的確に知事演述について一般質問で発言したことがありました。
以下議事録から紹介します。
〇23番(久保孝喜君) 社民党の久保孝喜でございます。
今任期最後となる予算議会に登壇できたことを感謝申し上げ、実りある議論となることを願うばかりであります。
最初に、今議会冒頭に行われた知事の所信表明演述についてお伺いいたします。
正直に感想を申し上げれば、私は、大変驚き、ある意味びっくりさせられました。ささやかな歴史ではありますが、私の20年に満たない議員生活の中で、ここまで徹底された自画自賛、成果、実績のオンパレードの演述は初めてであります。私の認識の中での所信表明演述とは、過ぐる年度の成果と課題を丁寧に県民に提示し、提案予算における重点と方向性へのアプローチに理解を求めつつ、県政トップとしての決意や、その理念を明確にする極めて重大な意味合いがあると考えるのであります。
知事のそれは、全く別物でございました。残念ながら、今回もまた一方的な成果、実績を羅列し、課題や問題点、克服すべき点などには深く言及することもなく、したがって、トップとしての謙虚な反省や不十分さへの弁明すらなく、岩手県政の集中点がどこにあるかの訴えも希薄でございました。改選を意識した選挙演説とでも言うべき内容に終始したと断ぜざるを得ません。
こうした実績の羅列や成果をうたい上げる姿勢は、厳しい被災地の現況、懸命な営みへのある種の傲慢さにも通じ、深刻な問題の所在を曖昧にするばかりか、県政の方向をミスリードすることにもなりかねないと思わずにいられません。県職員の誰もが一生懸命に取り組んでいることを疑う何物もないのは自明のこととして、トップとしての姿勢、振る舞いの問題として、極めて遺憾な態度と受けとめざるを得ません。
〔副議長退席、議長着席〕
行政は、法と計画に基づく真摯な営みであると思います。予算が投下された事業における問題点や課題の存在は、当然ながら常に目の前に繰り返し立ちあらわれます。そのとき、計画の達成や事業の終了を成果に読みかえてよしとしてしまう、そんなことがあってはならないと思います。
一定の時期に一定の進捗があり、事業が滞りなくまずは完了したとしても、それは新たなスタートにしかすぎません。不断に将来につなぐ課題を洗い出し、原因と背景に関しての不十分さに謙虚な反省の姿勢を示すとともに、これからの決意や展望を語る、そうできるかどうかは、まさにガバナンスのありようとして問われることになるものだと思います。
知事の所信表明には、そうした姿勢が全く読み取れませんでした。昨日の岩崎議員とのやりとりを聞いてなお、そう思わずにいられません。トップとしての感性に欠ける態度と言わざるを得ないことを指摘したいと思います。
その上で、まずお伺いいたします。復興の現状において、高らかに成果をうたう知事のスタンスと直近のいわて復興ウォッチャー調査のずれをどう説明し、対応するのか、その認識を伺います。
また、4年間の成果をこれでもかとうたいながら、復興の成否に関して大きな課題でもあるJR線の復旧問題や緊急雇用創出事業の不適正な経過や現実に一切触れない理由は何か、根拠ある説明を伺いたいと思います。見解をお示しください。
達増知事の所信表明演述は今回で19回目となることで、所信の演述とはこんなものと固定観念を持たれることを危惧します。
このブログを読んで頂いている県職員の方々も久保議員の指摘をぜひ読んで頂きたい。久保議員の指摘は県のトップのしての基本的な振る舞いであり、見事に正鵠を射ていると思います。
ちなみに、この久保議員の指摘に関しては達増知事の答弁は完全スルーでした。