2024年09月10日

続 佐藤公一〜伝記と追想〜から 上

現在、岩手医療局では岩手県立病院等の経営計画(2025-2030)を策定中で県民に対してもパブリックコメントを付している段階である。

お盆の時期に曽慶の岩渕甲次郎さんからお借りした佐藤公一氏の回顧録もそろそろ返さねばならないと思っているところで、もう一度読み返しているところである。

世の変化はあれど県民の命と健康を守るという問題の神髄に頼れば答えは変わらないということにたどり着くのが、佐藤公一氏が寄稿した昭和27年2月発行「岩手の保健」21号の文章である。

以下主な部分を引用する。

筋の通らない県立病院の悩み

県立病院とは県の直営にかかる開業医なのか、或いは県民病院として、県民医療の機会均等を得せしめ様とするのか、窮極するところ、医療のための医療を為さしめて、利潤を上げようと言うのか、それとも、県民の健康保全に役立たせ様という狙いなのか、である。

医療の機会均等を得せしめるためには、経営上採算不利なの地区でも施設してやらねばならないし、採算第一主義を採れば、都市以外の施設は廃止せねばなるまい。ところが、採算有利な都市地帯ならば、県立施設が無くても、日常の医療には事かかない。寧ろ、必要度から言えば、採算不利な地区程存在の意義が深いのである。従而(したがって)、医療の普及も達し、採算を割らない様にとの考え方は、成立しないのであり、其の絶対成立しない立場を歩んでいるところに、県立病院の悩が存在するのではないか。


今、県の一般財源から200億円を繰り出している事実がここにその意味を証明している。

県立病院は県民の健康保全のため存在す

保健所は、概ね其の趣旨に設置すべきであり、其の趣旨に保健所が活動して行く、其の過程において当面する患者をば、とりあえず付属病院に収容して治療してやる、という仕組みである。県営開業医ではないのだから、座して患者の来るのを待っている、呼ばなければ往診しない、と言ったものではなく、県民の健康管理の一環として進められる保健活動の一過程として、現実の患者を発見し次第、付属病院に入院さして治療したやるのであるから、医療のための医療でなく、当然の責務として、県民の健康を保障する手段として行われる診療行為なのである。

県立病院が存在する意義を分かり易く説き、さらに保健と医療の連携をここに語っている。

続く
posted by 飯沢ただし at 23:53| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする