2024年09月29日

第22回唐梅館絵巻に参加

唐梅舘絵巻を監修している東山町佐藤育郎さんのお誘いで16年ぶり2回目の武将役での参加を致しました。副議長に就任したご配慮と推察し、快く引き受けた次第です。

前回は葛西晴信役でしたが、今回は長坂大膳千葉介広胤直参旗本役、要は大将の千葉広胤の重臣役です。

DSC_4587 (002)x.jpg


今回の対象は河合郁人(かわいふみと)さん。朝から大勢のファンが全国から集まっておりました。今日の河合さんの立ち振る舞いを見て、とても真摯で気さくな方だという印象で、ファンの皆さんも会の進行を遮ることもなく整然としていました。

1727614358254 (002)x.jpg

【ファンサービスも満点。ファンの方はとても満足した1日だったと思います】


1727614308080 (002)x.jpg


16年前と大きく変わったのは武者行列の長坂町内のパレードがなくなり、会場内での行進となったこと。やはり馬の調達が近年は困難になったことや道路規制の強化が影響しているようです。

前回は京都太秦撮影所からの衣装等の調達でしたが、同じ京都市内の下京区の業者さんに変わっていました。

1727617148015 (002)x.jpg


とは言っても立派なものです。

1727615671257 (002)x.jpg


このイベントにも高校の同級生が集合。平泉町副町長の菅原幹成君とお馴染み一関市議会議長の勝浦伸行君。同級生なので君付けで。

1727617174849 (002)x.jpg


高校は違うけれど同じ年の鈴木浩一君。彼も民間人になったので選挙の影武者でお願いできそうです(謎笑)。

22回もの回数を重ねたこと本当に関係者には頭が下がる思いです。このイベントを維持するのは微に入り細に入り神経も使いますし、相当な労力が必要となります。約800年前の東北の歴史的事情をこのイベントを通じて体感し、いつの時代になっても中央からの圧力への対応を求められていることを再認識する機会となりました。人をつないてできる限り続けて欲しいイベントです。
posted by 飯沢ただし at 23:27| 岩手 ☁| Comment(0) | The Events  【各種催物】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月27日

岩手県警察学校 卒業式

本日は9月定例議会の議会中ですが、議案調査日で休会ということで議長代理で標題の式典に参列し、祝辞を述べました。

正確には「岩手県警察学校 初任課第99期短期過程 卒業式」です。

岩手県警察学校には短期過程/警察官A【大学卒】と長期過程/【大学卒以外】、警察事務があります。

短期過程では、1⃣初任科   6か月 2⃣職場実習 4か月 
       3⃣初任補習科 2か月 4⃣実戦実習 3か月
計15か月の教養機間とされています。

本日は1⃣が修了され、正式に2⃣の段階の配属先まで決定しました。

第99期では34名の卒業生が入学式から一人の脱落もなく卒業を果たされました。

1727448528042 (002)x.jpg

【議長の祝辞を代読する】


(祝辞を述べる前に卒業生からの敬礼を受けるタイミングを失してしまいました。)

半年間の短い期間でみっちりと基礎的な学習や実技を学ばれ、晴れて卒業を迎えられた卒業生の表情と態度は凜としており、警察官の職務を託すに相応しい雰囲気になっており、感激しました。34名中12名が女性というのも時代を反映してすばらしいと感じた次第です。

副議長を拝命して1年が経過し、こうした感激する機会を得てありがたいことだとしみじみ感動しております。
posted by 飯沢ただし at 23:57| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月26日

何かのサイン?!

ブログモニターから貴重な画像の提供がありました。

1727324412017 (002)x.jpg


ついに大手が商品化です(謎)。シゲキ的な味なんでしょうか?

気になる「追い」というワードは、最後の最後まで詰めて欲しいとの社会の暗示、サイン?

acecookx.jpg


エースコックさん、商品の投入時期が時宜を得過ぎです。
posted by 飯沢ただし at 23:57| 岩手 ☁| Comment(0) | Various Goods 【気になる品】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月21日

前人未到の域へ

大谷選手がついに50−50を達成した。

DSC_4579 (002)x.jpg


それどころか今日はホームに帰って52−52まで到達した。ロバーツ監督が翔平は覚醒しているとの発言があったが、まさに手のつけられない状態になっている。王選手の全盛時代に相手投手が意識しすぎて手元が狂う場面も見たことがあるが、そんな状態ではなかろうか。

過去に有名なスラッガーでも50本に届かないプレーヤーは数多く存在する。MLBで50本ホームランを打つというのは容易なことではない。

ゆえに大谷選手の打撃の技術は並外れていることに加えて50盗塁以上もしていることはファンのみならず選手間でも想像の域を超えている。

かつてドジャースタジアムは投手有利な球場ナンバーワンとされ、60年代にはコーファックスやドライスデールなどの好投手を輩出したが、現在はそうでもなくなってきたにしろ決して打者有利の球場とは言えない。

1977年にレッズのジョージ・フォスターが70年代で初めて50本を超えたときに話題となり、最終的にはMVPを獲得したが、当時以上の盛り上がりを感じる。

シーズンは残り8ゲーム。ホームでロッキーズと2試合、パドレスと3試合。敵地ロッキーズで3試合。

パドレスはペナントレースを争っているので勝負を避けられる可能性があるが、ロッキーズ戦が5試合もあることは、55−55までの可能性も高いとみる。ポストシーズンへの参加も決まっており、今年の秋は楽しみな燃える秋となりそうだ。
posted by 飯沢ただし at 23:18| 岩手 ☔| Comment(0) | My Favorites 【お気に入り】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月19日

どうなる兵庫県?

兵庫県知事の不信任決議可決 5例目、議会解散か失職選択
【日本経済新聞電子版 2024年9月19日 15:44 (2024年9月19日 18:11更新)】

兵庫県議会は19日、斎藤元彦知事に対する不信任決議を全会一致で可決した。斎藤氏がパワハラ疑惑などを内部告発された問題を巡り、「県政に深刻な停滞と混乱をもたらした政治的責任は免れない」と断じた。

知事の不信任決議可決は5例目。斎藤氏は10日以内に辞職・失職するか議会を解散するかの選択を迫られる。

斎藤氏は議会閉会後、対応について記者団に「不信任を重く受け止め、しっかり考えたい」と述べた。「新しい時代に向けて取り組んできた。それを続けていくことが私の思い」と続投の意欲を重ねて示した。

不信任決議案は、前回知事選で斎藤氏を推薦した自民党、維新の会を含む全会派と無所属議員が連名で提出した。「来年度予算は新たに県民の信任を得た知事のもとで編成されるべきだ」との文言を盛り込んだ。

可決により、知事は10日以内に議会を解散しなければ失職する。辞職か失職を選ぶと50日以内に知事選となり、解散した場合は40日以内に県議選が実施される。改選後の議会で再び不信任案が可決されると、知事は失職する。

総務省によると、過去に都道府県議会で不信任決議が可決されたのは@岐阜県(1976年)A長野県(2002年)B徳島県(03年)C宮崎県(06年)――の4例のみ。岐阜、宮崎県の例は可決後に知事が辞職を選択。長野、徳島県の例は失職後に出直し選挙に出馬しており、議会解散を選んだ知事はいない。


不信任決議を議会が全会一致で可決というのは極めて異例なこと。

県議会議員全員が「あなたは知事として不適格」とされても知事が今の時点で辞職をしないというのも異例中の異例。(だから毎日全国ニュースに流れているのだが)

長野県の田中知事のように完全無党派で戦って知事職を得た(田中氏は失職した後の出直し選挙でも当選)のではなく維新の会の支援を中心に当選された斎藤知事は出直し選挙を打ってもなかなか厳しかろう。

現在、完全孤立している状態だからがゆえに、史上初の議会解散になるかもという憶測も立つのだろう。そういうことも予想した上での全会一致であるから議員はある程度覚悟はしているのかもしれない。

それにしても一番の被害を被っているのは県民。斉藤知事がどのような選択をするのか目を離せない。


【欄外】

本日のテレビ中継を見て、本会議が普通の会議室で行われていたので、どうしたのかと思ってネットで検索したら、本会議場が耐震検査によって安全ではないという結果が出て当面使用中止の模様。これはこれで大きな県政の課題でしょう。
posted by 飯沢ただし at 23:34| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月16日

戦後80年を迎えるに当たり

本日は敬老の日。平泉町の敬老会にご招待を頂き今年も参加し、祝辞も述べさせて頂きました。選局区管内の敬老会は今年度は縮小モードで従来の集合形式で行う敬老会は少なくなりました。

これまで大東町内の大原地区、渋民地区、猿沢地区、千厩町の磐清水地区の敬老会に参加しており、出席予定は残すは地元の摺沢地区の敬老会のみとなります。

特に今年は祝辞の中で、来年は戦後80年の節目を迎えることについてお話をしています。

私は常々学校教育の中で明治維新後の近代歴史について偏りのある、もしくは不足していたと実感していて、正確な史実を知りたいと思っており、この種の書物はこれまでも積極的に接してきました。なかんづく、日本が第二次世界大戦に参画した理由については興味の深いところです。

DSC_4575 (002)x.jpg


この度、ずっと教科書検定が不合格とされてきた令和書籍出版の中学校社会科用「国史」教科書が六年の歳月を経て合格となったと聞き及び、早速取り寄せて、毎晩就寝前の読書タイムに利用させて頂いております。

現代史に多くの分量を占めているこの教科書は実に読み応えがあります。

戦後80年を迎えるにあたり今この世に生きている私たちは正確な歴史認識を持ち、それを後世につないでいく必要があると考えており、この教科書だけでなく、別の視点、考え方で編集している教科書にも接して私の考え方をこの際しっかり固めていきたいと考えています。

posted by 飯沢ただし at 23:53| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月15日

何をいまさら・・・

昨日の読売新聞岩手版の達増知事への単独インタビュー記事

DSC_4570 (002)x.jpg


5期目「長すぎる」
の中見出しが目👀を引く。

以下記事引用

知事は県政史上5選を果たし、在任期間は約17年となった。5期目の現状認識と同様に「6期目以降(の在任)も長すぎるのではないか」と今後への考えを述べた一方、「次はこの人がいいというのがない中で、絶対やらないと言っていると、それは一種の無責任だ」とも語った。

「長い」という真意がこの記事の中だけでは計りかねるが、政治家がいかなる場面で物理的でも観念的でも自身の任期について「長い」と言った瞬間に、やる気が失せてると言ったに等しいと思うのは私だけか。

昨年の選挙からたったの1年のこの発言は何のために5期目に挑戦したのかも問われる発言ではないかとさえ思う。

本音なのか何か次のステップの布石なのかは不明だが、今はっきり言えるのはこんな心持ちで県政のトップにいる方がこの方だということだ。

posted by 飯沢ただし at 23:20| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月11日

続 佐藤公一〜伝記と追想〜から 下

昨日からの続き

佐藤公一.jpg


国保直診と県営医療施設は系統的連携を保て

地方自治体として、住民の健康管理は、極めて重要な事業であり、単位国保の直営施設は、その重要使命達成機関として、開設せられたのであるが、単位直診岳で、よく其の目的が、達せられない。必ずや其の指導的な立場において、協力推進する病院施設を必要とするが、単位町村だけではできない。数ヶ町村の協同に依ればできないこともないが、各ブロック毎に設置する場合、経営上成り立つ所と、成り立たない所とあって、全県的な普及は望めない。そこで、成り立つ所、成り立たない所をプールして、全県普及を目指したのが、県立病院の現れなのだから、単位町村直診と其の設置の意義に置いて、軌を同じうすのものであり、従而(したがって)、以上述ぶる如き体系において、県民の健康保全を観守ることは当然の行き方であろう。


国保病院(自治体病院)と県立病院の連携を説いている。

佐藤公一氏が農協組合運動に挺身した54年。その大きな足跡は何と言っても組合病院を発足させたことにあると寄稿された当時の千田正知事は明言している。

時代は当時とは大きく変われども、県医療が果たす役割、自治体との連携の意義はまったく変わらない。創始者の思いを心に刻んで9月議会におおいに議論の対象となるであろう県立病院の将来についてしっかり臨もうと思う。
posted by 飯沢ただし at 23:56| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月10日

続 佐藤公一〜伝記と追想〜から 上

現在、岩手医療局では岩手県立病院等の経営計画(2025-2030)を策定中で県民に対してもパブリックコメントを付している段階である。

お盆の時期に曽慶の岩渕甲次郎さんからお借りした佐藤公一氏の回顧録もそろそろ返さねばならないと思っているところで、もう一度読み返しているところである。

世の変化はあれど県民の命と健康を守るという問題の神髄に頼れば答えは変わらないということにたどり着くのが、佐藤公一氏が寄稿した昭和27年2月発行「岩手の保健」21号の文章である。

以下主な部分を引用する。

筋の通らない県立病院の悩み

県立病院とは県の直営にかかる開業医なのか、或いは県民病院として、県民医療の機会均等を得せしめ様とするのか、窮極するところ、医療のための医療を為さしめて、利潤を上げようと言うのか、それとも、県民の健康保全に役立たせ様という狙いなのか、である。

医療の機会均等を得せしめるためには、経営上採算不利なの地区でも施設してやらねばならないし、採算第一主義を採れば、都市以外の施設は廃止せねばなるまい。ところが、採算有利な都市地帯ならば、県立施設が無くても、日常の医療には事かかない。寧ろ、必要度から言えば、採算不利な地区程存在の意義が深いのである。従而(したがって)、医療の普及も達し、採算を割らない様にとの考え方は、成立しないのであり、其の絶対成立しない立場を歩んでいるところに、県立病院の悩が存在するのではないか。


今、県の一般財源から200億円を繰り出している事実がここにその意味を証明している。

県立病院は県民の健康保全のため存在す

保健所は、概ね其の趣旨に設置すべきであり、其の趣旨に保健所が活動して行く、其の過程において当面する患者をば、とりあえず付属病院に収容して治療してやる、という仕組みである。県営開業医ではないのだから、座して患者の来るのを待っている、呼ばなければ往診しない、と言ったものではなく、県民の健康管理の一環として進められる保健活動の一過程として、現実の患者を発見し次第、付属病院に入院さして治療したやるのであるから、医療のための医療でなく、当然の責務として、県民の健康を保障する手段として行われる診療行為なのである。

県立病院が存在する意義を分かり易く説き、さらに保健と医療の連携をここに語っている。

続く
posted by 飯沢ただし at 23:53| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月07日

大谷選手は一体どこまで?

本日、ドジャースの大谷選手は45号ホームランを打ち、MLB史上初めての45本塁打45盗塁(45−45)を記録した。

otani45-45.jpg


史上初というのが凄い。

メジャーリーグで日本人が40本以上本塁打を打つのも信じられない記録だが、いとも簡単に成し遂げる大谷という選手は型破りである。盗塁に関しては確かにピッチロックシステムが導入されて【けん制は3回失敗すればボーク】というルールが追加されて、ランナーに対する投手のマークは従来より限定されてし易くなっている背景もあるが、盗塁死が極端に少ないことをみれば大谷の能力が物語っていると言っていい。

40−40を初めて達成したのが1989年のホセ・カンセコ選手だが、完全な長距離バッターで走攻守にバランスの取れた選手とは言えない。
その後バリー・ボンズやアレックス・ロドリゲスも達成しているがやはりカンセコと同系というイメージだ。

大谷は余裕でプレーしているのが他の選手は憎らしくさえ感じているのではないか。

ドジャースはまだ今シーズン残り21ゲームを残しており、夢の50−50も夢ではない。

来年は二刀流が復活する可能性があり、指名代打で一年を通すのは今年限りかもしれない。なんとか怪我無く50−50を達成してほしいものだ。
posted by 飯沢ただし at 23:42| 岩手 ☔| Comment(0) | My Boom【密かなマイブーム】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月06日

全国で頑張っている飯澤さん

今日は明治35年(1902年)に生まれた祖父の誕生日。祖父は私が大学4年生の冬にこの世を去りました。もう40年も経ちます。
飯澤家の本家は大東町鳥海丑石ですが、祖父が兄の商売を継ぐ形で昭和の初めに摺沢に根を下ろしました。祖父の兄の経済的援助があり大学まで学業を修めることができてその経歴を買われて摺沢町議、大東町議、大東町合併時の初代議長も務めました。亡き父も祖父の苦労を身に沁みて体得していたため祖父の影響(特に政治的行動)は大きく受けていたと推察します。

今日こうして祖父の幼少からの苦労を偲んで明日からの活動の糧としたいと思います。

飯澤という苗字は岩手では極めて少なく、一関市に数軒あるのみですが、秋田県や特に山形県では多く存在するようです。

何気なく飯澤でネット検索してみましたら山形県で若い方が運送業を起業されているのを見つけました。



「飯澤運送」さん

社長も若い方で2021年に創業したようです。

若い飯澤さんに触発されて頑張る気持ちが湧いてきました。
posted by 飯沢ただし at 23:47| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月01日

神子叔母さん さようなら

DSC_4542 (002)x.jpg


母の実家、千厩の神子(しんこ)叔母が亡くなった。享年81歳。

数年前から肺に血種ができる病気に侵され、5年前の私の選挙の時は酸素ボンベを携えながら生活できていたが、最近は施設に入所していた。

振り返ると決して短くはない闘病生活だった。コロナ禍の時は家族との面会が厳しく制限されさぞ寂しくされていたことと思う。

昭和39年秋に叔父の維久郎と結婚し千厩に嫁ぐこととなった。私は当時まだ3歳にならんとする頃だったが、この結婚式の仙台ホテルの雰囲気はよく憶えている。初めて経験するホテルという非日常的な都会的な雰囲気と光景が目に焼き付いていたのだと思う。

FB_IMG_5297980770900127048 (002)x.jpg

【新装開店の小野久商店前で神子叔母に抱っこされる私(当時3歳)】


千厩に行くと神子叔母はいつも笑顔で優しく迎えてくれた。歳を重ねても可憐でいつも綺麗にしていた。たまに語尾が上がる生まれ故郷の磐城のイントネーションが心地良かった。末っ子さんでちょっとおっちょこちょいなところもあったがそれが可愛い魅力だった。

千厩に嫁ぐとかなり癖のある明治生まれの千厩爺やそれにもまして癖があり過ぎる千厩爺のお友達が家に間断なく尋ねてきて、さぞ驚き戸惑いの連続だったことだろうと推察する。千厩婆はもっと大変だったが。

・自動車運転免許を取って間もなく叔父と3人で一関方面に練習のドライブに行き、ノッキングの連続ですぐ叔父に交代したこと。
・父忠雄の最初の町議選挙のウグイス嬢を初めてやることになって我が家の二階の両親の部屋でテープレコーダーで何度も練習したこと。

以上二つ、若き日の神子さんとのことを思い出した。

家庭では4人の子どもに恵まれて孫にもたくさん囲まれて、また趣味では太鼓や踊りも熱心に取り組んで楽しく充実した日々を過ごされていたと思う。

もう会えなくなると思うと寂しい気持ちになります。

明日は葬儀と火葬。心から感謝をこめて送ります。
posted by 飯沢ただし at 23:53| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする