トヨタ、揺らぐ効率経営 豊田会長「主権を現場に戻す」
【日本経済新聞電子版 2024年1月30日 12:03 (2024年1月30日 20:56更新)】
トヨタ自動車グループの不正が止まらない。日野自動車、ダイハツ工業に加え、豊田自動織機でエンジンの認証手続きに関する不正の拡大が明らかになった。開発や納期の短縮を急ぐなか、現場の負担が重くなり不正につながった。強みの効率経営の持続性が問われるなか、不正がなぜ相次ぎ起きるのかを繰り返し自問し、グループの風土を変えていく必要がある。
「ご迷惑、ご心配をおかけしていることを深くおわび申し上げる」。トヨタの豊田章男会長は30日、名古屋市内で開いたグループビジョン説明会で、相次ぐグループの不正について謝罪した。
グループが成長する中で、「大切にすべき価値観や物事の優先順位を見失う状況が発生してきた」として「私自身が責任者としてグループの変革をリードする」と強調した。
豊田会長は各社で発覚した認証試験の不正について「認証において不正を働くということは顧客の信頼を裏切り、認証制度の根底を揺るがす極めて重いことであると受け止めている」と述べた。
なぜ不正が相次ぐのか。各社の調査委員会の報告書からは短期の開発日程の厳守や、上に「できない」と言えない組織風土といった共通課題が浮かび上がる。
「量産開始日程を遅らせるのは会社に迷惑をかける」。豊田織機の調査委員会はある従業員がさらされたプレッシャーをこう紹介した。「うまく開発が進んでいないが、言っても聞いてもらえない中でやむなく不正に走った」
豊田織機の社員の間では「量産開始日の順守は絶対である」との認識が広がっていたという。
柔軟性のない日程が担当者を不正に追い込む過程も似ている。豊田織機では問題があっても上司や経営陣に共有されず、開発を遅らせるなどの対応がされなかった。
豊田織機の不正についての調査報告書には「上司に相談したとしても無駄であると半ば諦めていた」との証言が記載されていた
ダイハツでも「実際に相談しても『で?』と言われるだけ」。日野でも従業員の間に「どうせ言ったところで何も変わらないという諦め感」が広がっていたという。声をあげて問題を正す自浄作用は働かず、不正が起きてもモノを言えない空気が広がっていった。
組織体制の不備も共通する。豊田織機は21年に法規認証に特化した部署を設置したが、それ以前は専門部署が存在しておらず、専門家ではない従業員が複雑な法規則の内容を分析することを余儀なくされていたケースもあった。
グループの相次ぐ不正は3社にとどまらない。愛知製鋼は23年5月、顧客が求める許容範囲内の誤差よりも長い特殊鋼の鋼材を出荷していたと発表した。21年にはトヨタ自動車系列の複数の販売店で車検時の不正が見つかった。排ガスや速度計の検査を省略し、虚偽の整備記録を作成するなどした。
グループを代表する部品会社での不具合も目立つ。デンソー製の燃料ポンプでは断続的にリコール(回収・無償修理)が出ている。24年1月までに対象は30車種を超え、国内でのリコール台数は計約430万台となった。米国ではトヨタが23年12月に約100万台のリコールを届け出た際の原因が、アイシンの米子会社が製造したエアバッグ関連のセンサーだった。
トヨタグループでは、トヨタを頂点に部品メーカーが連なる巨大なピラミッド型の供給網(サプライチェーン)を築いている。豊田会長は「トヨタが発注者になっている場合も多々あるので、ものがいいづらいという点もあると思う」と述べた。
豊田会長は説明会に先だって、グループ17社の社長などを集めてグループビジョンを示した。「現場が自ら考え、動くことができる企業風土の構築に一歩進み始めたい」と語ったうえで「主権を現場に戻す」ことを目指したいと強調した。
問題があればなぜを5回繰り返すのがトヨタ式
トヨタは顧客の注文に応じて車を生産する「トヨタ生産方式(TPS)」を採用している。TPSはトヨタの企業風土や思想を形づくってきた。
高い生産効率で知られるが、豊田会長は「目的は効率ではなく、改善が進む風土をつくることだ」と指摘。「異常を管理し、異常が大きくなる前に個別に潰していく体質が必要だ」と述べた。
本来、何か異常があれば生産ラインを止めて不良品をつくらないのが、TPSでは「アンドン」と呼ばれて重視される。だが、グループの現場では従業員が不正を認識しながらも、見過ごされていた。
問題があればなぜを5回繰り返し、その原因を徹底追求して改善するのがTPSの基本動作だ。不正がなぜ繰り返されるのか。今こそ、トヨタ式の真価が問われる。
日野自動車、ダイハツに続き不正問題が続出するトヨタグループ。
モノを言ってもどうせ声は届かないという風土は組織として危機的な状況と言える。
QCサークルによって現場から品質の向上や作業工程の効率化を図ってきたトヨタの歴史がどこでどう歯車が狂い始めたのか。
豊田会長の陣頭指揮によってどのように検証され、改善されていくのか注目だ。
大会社でも中小企業でも組織は呼吸する生き物と同じ。このトヨタの一連の不祥事は他山の石として私の戒めとしたい。
2024年01月30日
2024年01月28日
守るより攻め
カルビー「ポテトチップス」原料のジャガイモ、宮城で生産拡大中
【河北新報電子版 2024年1月28日 6:00】
カルビーの定番スナック菓子「ポテトチップス」の原料となるジャガイモの生産量が宮城県内で増えている。2023年度の作付面積は計92・7ヘクタールで、県内で契約栽培が始まった02年度(1・0ヘクタール)の約90倍に上った。他産地との収穫時期の違いが重宝され、産地の分散化を進めるカルビーと主食用米からの転作を促す県の方針も一致する。
23年度は12団体13個人が生産し、面積は東松島市が37・2ヘクタールで最大。登米市19・5ヘクタール、美里町16・9ヘクタールと続いた。
ポテト社はジャガイモの8割を北海道から調達し、残りの大半を九州、関東から賄う。ポテト社が宮城に着目するのは7月中旬〜8月中旬にピークを迎える収穫時期。九州(5月上旬〜7月下旬)、関東(6月上旬〜8月上旬)、北海道(8月下旬〜10月下旬)の空白期を埋める役割を担う。
宮城県が21年3月に策定した「みやぎ園芸特産振興プラン」は、水稲からの転作を促す重点品目の一つとしてジャガイモを推す。県園芸推進課によると、10アール当たりの所得は1万1000円の水稲に比べ、ジャガイモは4万9000円で収益性が高い。
県は本年度、ポテト社向けのジャガイモを作る農家らを対象とした独自の表彰制度を創設。優良な生産者に県知事賞を贈るなど、増産に向け、全面的にポテト社を支援する姿勢を打ち出した。25年度中に500ヘクタールまで増やす計画を立てる。
ポテト社はここ数年、気候変動による不作のリスクを分散するため、全国各地にジャガイモ産地を広げている。作付けを増やす重点地域の一つに東北が位置付けられ、23年度は山形を除く5県で計53戸が生産。うち5割近くが集中する宮城で今後、作付面積も生産者も増える可能性が高い。
この記事は本日の河北新報の朝刊一面。
宮城県では水稲からの転作をリアルに戦略的に動いている証拠。国の水活に代表されるような人口減が要因とする既存の農業予算の縮減の対応策を求めるのも大事だが現実的に将来を見越して動き出すことはもっと価値がある。それならば県予算も生きる金となる。
民間企業へのアプローチは他県の方が先んじている。岩手ではホップの地域特定栽培契約くらしか思い浮かばない。そこにとどまっていては前進はありえない。
【河北新報電子版 2024年1月28日 6:00】
カルビーの定番スナック菓子「ポテトチップス」の原料となるジャガイモの生産量が宮城県内で増えている。2023年度の作付面積は計92・7ヘクタールで、県内で契約栽培が始まった02年度(1・0ヘクタール)の約90倍に上った。他産地との収穫時期の違いが重宝され、産地の分散化を進めるカルビーと主食用米からの転作を促す県の方針も一致する。
23年度は12団体13個人が生産し、面積は東松島市が37・2ヘクタールで最大。登米市19・5ヘクタール、美里町16・9ヘクタールと続いた。
ポテト社はジャガイモの8割を北海道から調達し、残りの大半を九州、関東から賄う。ポテト社が宮城に着目するのは7月中旬〜8月中旬にピークを迎える収穫時期。九州(5月上旬〜7月下旬)、関東(6月上旬〜8月上旬)、北海道(8月下旬〜10月下旬)の空白期を埋める役割を担う。
宮城県が21年3月に策定した「みやぎ園芸特産振興プラン」は、水稲からの転作を促す重点品目の一つとしてジャガイモを推す。県園芸推進課によると、10アール当たりの所得は1万1000円の水稲に比べ、ジャガイモは4万9000円で収益性が高い。
県は本年度、ポテト社向けのジャガイモを作る農家らを対象とした独自の表彰制度を創設。優良な生産者に県知事賞を贈るなど、増産に向け、全面的にポテト社を支援する姿勢を打ち出した。25年度中に500ヘクタールまで増やす計画を立てる。
ポテト社はここ数年、気候変動による不作のリスクを分散するため、全国各地にジャガイモ産地を広げている。作付けを増やす重点地域の一つに東北が位置付けられ、23年度は山形を除く5県で計53戸が生産。うち5割近くが集中する宮城で今後、作付面積も生産者も増える可能性が高い。
この記事は本日の河北新報の朝刊一面。
宮城県では水稲からの転作をリアルに戦略的に動いている証拠。国の水活に代表されるような人口減が要因とする既存の農業予算の縮減の対応策を求めるのも大事だが現実的に将来を見越して動き出すことはもっと価値がある。それならば県予算も生きる金となる。
民間企業へのアプローチは他県の方が先んじている。岩手ではホップの地域特定栽培契約くらしか思い浮かばない。そこにとどまっていては前進はありえない。
2024年01月26日
人口減少負のスパイラル始まる
岩手中央タクシーが破産へ 人口減少やコロナ拡大が影響
1/26(金) 18:27配信 IAT岩手朝日テレビ
岩手県盛岡市に本社を置く岩手中央タクシーが1月末付で事業を停止し、破産申請を行うことがわかりました。
東京商工リサーチ盛岡支店によりますと岩手中央タクシーは1952年に設立、盛岡市と花巻市に営業所を置き、ピーク時の1992年には13億円余りの売り上げを計上していました。
しかしその後人口減少や競合の激化に加え新型コロナの感染拡大により業績が悪化していました。今年に入ってから自社ビルなど資産関連の差し押さえが後を絶たず、経営の継続は困難と判断、1月いっぱいで破産手続きを進めることになりました。負債総額はおよそ3億6768万円です。
従業員85人は1月末で全員解雇になる見通しです。
なんとも寂しいニュース。
岩手中央タクシーさんは現在保有台数が79台であるのでマーケットにも大きな影響が出ると思われます。盛岡市内のタクシー業界の近況は議員会館からタクシーの予約を入れようとしても昼間でも断られるという状況で、その要因はドライバー不足で減車が加速的になっていることだと、どの会社の乗務員さんも話してくれました。
岩手中央タクシーさんは昼間からヘッドライトを点灯して運行している会社です。実は1988年に私がヨーロッパ旅行していた時に西ドイツの観光バスが昼間点灯していて、その目的は事故防止ということ知っていたので岩手中央タクシーさんも先進事例をすぐに取り入れてさすがだなぁという印象を持っていました。乗務員の方も親切な方が多い印象なので今回の件は大変残念です。
人口減少はこうしたサービス業に直に影響してしてきます。岩手県交通の減便、岩手県北バスの運賃値上げとユーザーにもコストが回ってくるだけでなく全体の運輸サービスの質の悪化を招いていきます。
人口減少問題にかかる交通対策を弥縫策で対応していくことはすでに手遅れということを示しています。
1/26(金) 18:27配信 IAT岩手朝日テレビ
岩手県盛岡市に本社を置く岩手中央タクシーが1月末付で事業を停止し、破産申請を行うことがわかりました。
東京商工リサーチ盛岡支店によりますと岩手中央タクシーは1952年に設立、盛岡市と花巻市に営業所を置き、ピーク時の1992年には13億円余りの売り上げを計上していました。
しかしその後人口減少や競合の激化に加え新型コロナの感染拡大により業績が悪化していました。今年に入ってから自社ビルなど資産関連の差し押さえが後を絶たず、経営の継続は困難と判断、1月いっぱいで破産手続きを進めることになりました。負債総額はおよそ3億6768万円です。
従業員85人は1月末で全員解雇になる見通しです。
なんとも寂しいニュース。
岩手中央タクシーさんは現在保有台数が79台であるのでマーケットにも大きな影響が出ると思われます。盛岡市内のタクシー業界の近況は議員会館からタクシーの予約を入れようとしても昼間でも断られるという状況で、その要因はドライバー不足で減車が加速的になっていることだと、どの会社の乗務員さんも話してくれました。
岩手中央タクシーさんは昼間からヘッドライトを点灯して運行している会社です。実は1988年に私がヨーロッパ旅行していた時に西ドイツの観光バスが昼間点灯していて、その目的は事故防止ということ知っていたので岩手中央タクシーさんも先進事例をすぐに取り入れてさすがだなぁという印象を持っていました。乗務員の方も親切な方が多い印象なので今回の件は大変残念です。
人口減少はこうしたサービス業に直に影響してしてきます。岩手県交通の減便、岩手県北バスの運賃値上げとユーザーにもコストが回ってくるだけでなく全体の運輸サービスの質の悪化を招いていきます。
人口減少問題にかかる交通対策を弥縫策で対応していくことはすでに手遅れということを示しています。
2024年01月25日
ILC実現へ5年ぶりの政府関係要望へ
岩手県議会・宮城県議会ILC建設実現議員連盟で政府等へ5年ぶりの要望活動を実施しました。岩手県議会の会長は議長が、副会長には副議長と交渉会派の代表が就任する形となっています。
コロナの影響でこの間政府要望の活動はやむを得ず控える形となりましたが、いよいよ再開です。
このコロナの間に大きな実現の分岐点となった準備研究所の設置は時期早尚と有識者会議の見解が示されてから初めての要望だったわけですが、要望会を終えての感想は・・・
現状認識がほぼ一緒なのは塩谷会長と小野寺五典副会長のみ。
その中で朗報としては、所管の文科省だけではなく、組織的に内閣府も国際プロジェクトとして検討する組織に加わったということ。
あとは鈴木大臣を含めて所管の組織を越えたILC実現に向けた前向きな考え方を示されることはなく(かなり慎重という意味)、この5年間のブランクは相当なものがあると痛感しました。
また、ILCは陽子と陽電子を衝突させる(電子と陽電子が正解)、ILC議連はほとんど役に立たない、立地場所を含めて決定していないなどの発言を耳にして落胆しました。
ガッカリばかりしてはいられないので、この現状を認識して地元として実現活動を活発化していくしかありません。来月8日には盛岡市内で岩手・宮城の議連主催で講演会を開く予定なので機運を再起動するために頑張ってまいります。
追記:東北新幹線の架線事故が発生して、主要駅は大混乱。私は常磐線を選択して帰路に就きました。17時上野発の特急ひたち21号でいわきまで、いわきから原ノ町駅を経由して在来線普通列車で仙台まで(所要5時間16分!)仙台駅からは新幹線が動いていたので助かりました。
東北本線で臨時の快速便が編成され、その便で帰った方もいたようですが、幼少期からの経験で東北本線の臨時便は通常ダイヤの運行列車の合間を縫う運行なので信号待ちが多くなることを知っていた私は迷わず常磐線を使った次第です。
原ノ町で一回下ろされて、跨線橋を渡って仙台行きの列車に乗り換えることになったのですが、座る席を求めて多くの乗客が跨線橋めがけて殺到する光景はまさに昭和時代には駅ではよく見かけた光景で妙に懐かしくなりました。
それにしても上野から6時間の列車の旅は疲れました。新幹線の威力を再認識する日となりました。
コロナの影響でこの間政府要望の活動はやむを得ず控える形となりましたが、いよいよ再開です。
【小野寺五典ILC議連副会長に橋宮城県議会議長と工藤岩手県議会議長】
【若宮自民党政調会長と岩手県議団】
【塩谷立ILC議連会長に対して昨年の期成同盟会への出席に対して私から御礼を申し上げました。塩谷会長には他用務ご多難の中ご対応を頂きました。】
【塩谷ILC会長と岩手県議団】
【鈴木俊一財務大臣と両県議団全員】
【盛山文部科学大臣と両県議団】
このコロナの間に大きな実現の分岐点となった準備研究所の設置は時期早尚と有識者会議の見解が示されてから初めての要望だったわけですが、要望会を終えての感想は・・・
現状認識がほぼ一緒なのは塩谷会長と小野寺五典副会長のみ。
その中で朗報としては、所管の文科省だけではなく、組織的に内閣府も国際プロジェクトとして検討する組織に加わったということ。
あとは鈴木大臣を含めて所管の組織を越えたILC実現に向けた前向きな考え方を示されることはなく(かなり慎重という意味)、この5年間のブランクは相当なものがあると痛感しました。
また、ILCは陽子と陽電子を衝突させる(電子と陽電子が正解)、ILC議連はほとんど役に立たない、立地場所を含めて決定していないなどの発言を耳にして落胆しました。
ガッカリばかりしてはいられないので、この現状を認識して地元として実現活動を活発化していくしかありません。来月8日には盛岡市内で岩手・宮城の議連主催で講演会を開く予定なので機運を再起動するために頑張ってまいります。
追記:東北新幹線の架線事故が発生して、主要駅は大混乱。私は常磐線を選択して帰路に就きました。17時上野発の特急ひたち21号でいわきまで、いわきから原ノ町駅を経由して在来線普通列車で仙台まで(所要5時間16分!)仙台駅からは新幹線が動いていたので助かりました。
東北本線で臨時の快速便が編成され、その便で帰った方もいたようですが、幼少期からの経験で東北本線の臨時便は通常ダイヤの運行列車の合間を縫う運行なので信号待ちが多くなることを知っていた私は迷わず常磐線を使った次第です。
原ノ町で一回下ろされて、跨線橋を渡って仙台行きの列車に乗り換えることになったのですが、座る席を求めて多くの乗客が跨線橋めがけて殺到する光景はまさに昭和時代には駅ではよく見かけた光景で妙に懐かしくなりました。
それにしても上野から6時間の列車の旅は疲れました。新幹線の威力を再認識する日となりました。
2024年01月19日
摺沢幼稚園閉園によせて
令和6年4月に摺沢こども園の開園に伴い、摺沢幼稚園が閉園となります。
昭和40年に私立摺沢幼稚園として開園以来、私立から町立、市立へと運営形態は変わりつつも60年間の長きにわたり幼児教育の殿堂として存在できたのも関係者各位、とりわけ地域の皆様のご理解とご協力の賜物であり、深く感謝を申し上げます。
私も創立の年に入園し、昭和43年3月に卒園致しました。年少から入園した第一期生になります。実は当時は摺沢保育園に入園できる園児の数や要件に制限があり、保育園に入れない子どもたちを何とかしたいという摺沢婦人会の発意と行動により摺沢幼稚園は開園したと聞いています。当時の婦人会の会長は私の祖母である飯澤とみでありました。まだまだ子どもがたくさんいた時代でした。孫たちを幼児教育のしっかりとした場所に送りたいという情熱が社会を動かした画期的な行動でした。この婦人会の快挙は新聞でも報道されたほどです。
私自身の幼稚園の頃の思い出は、半世紀以上のことですのでかなり断片的にしか思い出せませんが、当時の白い帽子と濃い青色の園児服はとても目立ったことや私は1月生まれの早生まれでしたので4月生まれの同学年の女の子にコートのボタンを閉めてもらうなどよく面倒を見てもらった記憶に鮮明にあります。私はよほど幼く見えたのでしょう。
園の行事は遠足、運動会、クリスマス会が主要な行事でしたが当時の園児は大勢で先生方は少ない数でよく管理されたと思います。入園して2年間は旧摺沢小学校の校舎の一部を利用しました。その園舎ではなぜか雨の日の記憶が強く蘇ります。
その時代は高度経済成長期の入り口の頃でしたので大人たちは皆生気に溢れていて、大人たちの元気な姿を見て子どもたちも溌溂としていました。昭和の時代で一番活力のあった時代だったと思います。また、いい先生方に恵まれ私はとても感謝の気持ちでいっぱいです。
実はすでにこの頃からこどもの数は年々漸減し続け、平成の終わりには急減していきます。この現状を招いた要因は経済発展を最優先とし、地方を在り方を重視しなかったことが都市への人口集中に歯止めがかからなかった結果と言えます。
愉快で楽しい思い出がたくさん詰まった摺沢幼稚園が閉園することはとても寂しいことですが、今生きている私たちは時代の変化に適応しながら未来へと続く道を確かなものとしていかねばなりません。人づくりは国づくり。幼児教育こそ礎となるものです。ふるさとがこれからも光り輝いていけるよう皆さんでこれからもできることから頑張ってまいりましょう。
昭和40年に私立摺沢幼稚園として開園以来、私立から町立、市立へと運営形態は変わりつつも60年間の長きにわたり幼児教育の殿堂として存在できたのも関係者各位、とりわけ地域の皆様のご理解とご協力の賜物であり、深く感謝を申し上げます。
私も創立の年に入園し、昭和43年3月に卒園致しました。年少から入園した第一期生になります。実は当時は摺沢保育園に入園できる園児の数や要件に制限があり、保育園に入れない子どもたちを何とかしたいという摺沢婦人会の発意と行動により摺沢幼稚園は開園したと聞いています。当時の婦人会の会長は私の祖母である飯澤とみでありました。まだまだ子どもがたくさんいた時代でした。孫たちを幼児教育のしっかりとした場所に送りたいという情熱が社会を動かした画期的な行動でした。この婦人会の快挙は新聞でも報道されたほどです。
私自身の幼稚園の頃の思い出は、半世紀以上のことですのでかなり断片的にしか思い出せませんが、当時の白い帽子と濃い青色の園児服はとても目立ったことや私は1月生まれの早生まれでしたので4月生まれの同学年の女の子にコートのボタンを閉めてもらうなどよく面倒を見てもらった記憶に鮮明にあります。私はよほど幼く見えたのでしょう。
園の行事は遠足、運動会、クリスマス会が主要な行事でしたが当時の園児は大勢で先生方は少ない数でよく管理されたと思います。入園して2年間は旧摺沢小学校の校舎の一部を利用しました。その園舎ではなぜか雨の日の記憶が強く蘇ります。
【おそらく摺沢幼稚園の第一回の運動会 雨天のため摺沢公民館で行われました。真ん中ら辺が私。写真はもちろん白黒!】
その時代は高度経済成長期の入り口の頃でしたので大人たちは皆生気に溢れていて、大人たちの元気な姿を見て子どもたちも溌溂としていました。昭和の時代で一番活力のあった時代だったと思います。また、いい先生方に恵まれ私はとても感謝の気持ちでいっぱいです。
実はすでにこの頃からこどもの数は年々漸減し続け、平成の終わりには急減していきます。この現状を招いた要因は経済発展を最優先とし、地方を在り方を重視しなかったことが都市への人口集中に歯止めがかからなかった結果と言えます。
愉快で楽しい思い出がたくさん詰まった摺沢幼稚園が閉園することはとても寂しいことですが、今生きている私たちは時代の変化に適応しながら未来へと続く道を確かなものとしていかねばなりません。人づくりは国づくり。幼児教育こそ礎となるものです。ふるさとがこれからも光り輝いていけるよう皆さんでこれからもできることから頑張ってまいりましょう。
2024年01月18日
急がれる減災対策
避難場所5000カ所に津波リスク 5m以上浸水700カ所
【2024年1月17日 17:49 日本経済新聞電子版】
被災時に命を守る自治体指定の避難場所の約5000カ所が大規模な津波で浸水する恐れがあることが、日本経済新聞の調べでわかった。能登半島地震では津波に弱い避難場所の存在が顕在化した。同様の避難場所は西日本に多く、約700カ所で5メートル以上浸水する可能性がある。非常時の混乱を防ぐため、自治体と国が一体となってリスクを軽減する取り組みが欠かせない。
「家を出ると、泥水のような黒い波がゴーッという音をさせながら押し寄せてきた」
1月1日に発生した能登半島地震で4メートルを超える津波が襲った石川県珠洲市在住の梶武夫さん(89)は大津波の警報発令後、直ちに避難を考えた。だが、最も近い「指定緊急避難場所」の公民館は海岸からさほど離れていない。「逃げ込んでも津波被害に遭う可能性がある」と判断し、少し離れた学校まで走った。
避難場所の公民館はすぐそばまで津波が迫った(石川県珠洲市、国土地理院の写真や資料を基に作成)
全国の市町村は地震、津波、高潮などに備え、それぞれで緊急の避難場所を指定している。ただ、災害情報論を専門とする東京大の関谷直也教授は「どの災害時にどこに逃げればいいかの周知は広がっていない」と指摘する。珠洲市の公民館は今回の津波で浸水しなかったが、避難場所で被害に遭った、という事態はいつ起こってもおかしくない。
能登半島地震では2011年の東日本大震災以来となる大津波の警報が発令され、地震と津波が同時発生する中での緊急避難の難しさが浮き彫りになった。日経は各地域で試算された最大クラスの津波を前提とする「津波浸水想定区域」の公開データを活用し、全国の「指定緊急避難場所」との重なりを調べた。
垂直避難が可能な津波用(約4万カ所)以外の7万3506カ所の避難場所うち、4989カ所(6.8%)が津波リスクの高い区域内にあった。2569カ所で1メートル以上5メートル未満、727カ所では2階建ての建物が水没する5メートル以上の浸水の可能性がある。
避難場所の代表例は学校や集会所などの公共施設だ。低層の建物の場合、避難後の浸水被害で逃げる場所がなくなることもあり得る。
災害対策基本法は、災害対応は地域の実情に詳しい市町村が担うと規定している。11年の東日本大震災を機に、津波への備えの強化を促す法律も制定された。市町村には最大クラスの津波を想定し、避難場所や一時的に生活する避難所を指定したり、地域防災計画を作成したりする義務がある。
対策に前向きな市町村では、交付金を活用して「津波避難タワー」を設置したり、民間と協定を結んで中高層ビルを「津波避難ビル」に指定したりする動きが見られる。代替の避難施設を確保するこうした努力が、全ての市町村に求められる。
日本には地震を引き起こすプレート(岩板)の境目や断層が多くあり、政府の地震調査委員会は南海トラフ地震や首都直下地震にとどまらず、大規模な地震がいつどこで起きてもおかしくない状況と警告する。
市町村は防災を担当する職員数や災害時の経験が少なく、現行の体制下での防災対策は必ずしも機能していない。防災に詳しい関西大の河田恵昭特別任命教授は「市町村は津波への備えが甘く、国や都道府県の役割も曖昧になっている」と指摘する。代替施設の整備や住民への周知といった市町村の防災対策が機能するように、国や都道府県も効果的な制度づくりや財政支援で後押しする必要がある。
昨日のブログ投稿に関連した新聞記事を転載します。
十勝沖を含む千島海溝沿い超巨大地震に備えて本県でも沿岸部の「津波想定浸水区域」マップを作製するなど予測レベルでの行動はすでに起こしていますが、上記記事の最後の部分、市町村への防災対策が機能するように〜は最も大事な視点だと私も痛感しました。
【2024年1月17日 17:49 日本経済新聞電子版】
被災時に命を守る自治体指定の避難場所の約5000カ所が大規模な津波で浸水する恐れがあることが、日本経済新聞の調べでわかった。能登半島地震では津波に弱い避難場所の存在が顕在化した。同様の避難場所は西日本に多く、約700カ所で5メートル以上浸水する可能性がある。非常時の混乱を防ぐため、自治体と国が一体となってリスクを軽減する取り組みが欠かせない。
「家を出ると、泥水のような黒い波がゴーッという音をさせながら押し寄せてきた」
1月1日に発生した能登半島地震で4メートルを超える津波が襲った石川県珠洲市在住の梶武夫さん(89)は大津波の警報発令後、直ちに避難を考えた。だが、最も近い「指定緊急避難場所」の公民館は海岸からさほど離れていない。「逃げ込んでも津波被害に遭う可能性がある」と判断し、少し離れた学校まで走った。
避難場所の公民館はすぐそばまで津波が迫った(石川県珠洲市、国土地理院の写真や資料を基に作成)
全国の市町村は地震、津波、高潮などに備え、それぞれで緊急の避難場所を指定している。ただ、災害情報論を専門とする東京大の関谷直也教授は「どの災害時にどこに逃げればいいかの周知は広がっていない」と指摘する。珠洲市の公民館は今回の津波で浸水しなかったが、避難場所で被害に遭った、という事態はいつ起こってもおかしくない。
能登半島地震では2011年の東日本大震災以来となる大津波の警報が発令され、地震と津波が同時発生する中での緊急避難の難しさが浮き彫りになった。日経は各地域で試算された最大クラスの津波を前提とする「津波浸水想定区域」の公開データを活用し、全国の「指定緊急避難場所」との重なりを調べた。
垂直避難が可能な津波用(約4万カ所)以外の7万3506カ所の避難場所うち、4989カ所(6.8%)が津波リスクの高い区域内にあった。2569カ所で1メートル以上5メートル未満、727カ所では2階建ての建物が水没する5メートル以上の浸水の可能性がある。
避難場所の代表例は学校や集会所などの公共施設だ。低層の建物の場合、避難後の浸水被害で逃げる場所がなくなることもあり得る。
災害対策基本法は、災害対応は地域の実情に詳しい市町村が担うと規定している。11年の東日本大震災を機に、津波への備えの強化を促す法律も制定された。市町村には最大クラスの津波を想定し、避難場所や一時的に生活する避難所を指定したり、地域防災計画を作成したりする義務がある。
対策に前向きな市町村では、交付金を活用して「津波避難タワー」を設置したり、民間と協定を結んで中高層ビルを「津波避難ビル」に指定したりする動きが見られる。代替の避難施設を確保するこうした努力が、全ての市町村に求められる。
日本には地震を引き起こすプレート(岩板)の境目や断層が多くあり、政府の地震調査委員会は南海トラフ地震や首都直下地震にとどまらず、大規模な地震がいつどこで起きてもおかしくない状況と警告する。
市町村は防災を担当する職員数や災害時の経験が少なく、現行の体制下での防災対策は必ずしも機能していない。防災に詳しい関西大の河田恵昭特別任命教授は「市町村は津波への備えが甘く、国や都道府県の役割も曖昧になっている」と指摘する。代替施設の整備や住民への周知といった市町村の防災対策が機能するように、国や都道府県も効果的な制度づくりや財政支援で後押しする必要がある。
昨日のブログ投稿に関連した新聞記事を転載します。
十勝沖を含む千島海溝沿い超巨大地震に備えて本県でも沿岸部の「津波想定浸水区域」マップを作製するなど予測レベルでの行動はすでに起こしていますが、上記記事の最後の部分、市町村への防災対策が機能するように〜は最も大事な視点だと私も痛感しました。
2024年01月17日
阪神淡路大震災から29年
今日は阪神淡路大震災が発生してまる29年の1月17日です。
なぜか今朝は5時半頃に目を醒ましました。テレビをつけると震災発災時の5時46分の直前でした。時間に合わせて私も祈りを捧げました。
1995年(平成7年)は父が選挙後に発病、入院した年でもあり、私の中で強いアクセントがある年です。
あらためて犠牲になられた方に対してご冥福をお祈り致します。
29年前のその日、私は仙台市内のホテルに宿泊しておりテレビで大地震が起こったことを知りました。最初に目に飛び込んだのは生田神社の大きな石灯篭が横倒しになった映像でした。
その後、長田地区の大火災。燃え盛る炎を食い止める有効な手立てがないことに大きな無力感を感じました
東日本大震災でもこの度の能登半島大地震でも火災を初期に食い止められないこの事実は繰り返されることになります。
無力感を感じつつも私たちは起こる可能性のある災害に備えて、あらゆる手立てを講じなければなりません。日本列島は地震被害から逃れられない以上、それが減災という観点に立つ備えを確かなものにしていかねばなりません。
今回の能登半島大地震では移動式トイレや水の供給など報道ベースでは以前の震災よりも迅速に救援の手が伸びているという印象ですが、まだまだ整備体制を強化していかねばなりません。
特に感染予防の観点から水とトイレはハード支援として優先順位が高く重要です。例えば各自治体でトレーラなどで常備しておき、災害時には直ちに供給する必要性を私は感じています。これから情報を整理して2月定例県議会に提案することを考えたいと思います。
2024年01月16日
答えは現場から
去る1月15日(月)に令和5年度岩手競馬関係者と岩手競馬振興議員クラブとの意見交換会が行われました。
私が振興議員クラブの会長を仰せつかっており、この意見交換会も定例化しております。本会員は14名の参加、関係者は盛岡厩舎関係者関係者を中心に調騎会、厩務員会から出席を頂きました。
調騎会会長:板垣吉則氏、騎手部会理事:南郷家全氏、騎手部会会員:大坪 慎氏、厩務員会会長:佐々木剛氏、厩務員会理事:佐々木文子さん
・日本人の厩務員の雇用が年々困難な状況にある。外国人厩務員は現在31名(ウズベキスタン、インド)。水沢競馬場では厩務員住居の老朽化、貧弱化、数が足りない。
・騎手不足が著しい。一人でも怪我をすると全体を回すのに大変な状況。水沢競馬場の調整ルームが老朽化が酷いので早期の改善を求む。
・盛岡競馬場の鹿の出現が多頻度しているので対策が必要。
・芝コースの馬場が年度後半になると極端に悪化、危険。芝の根付きが悪く部分的ではなく全面的な改修が必要ではないか。
・厩務員は両競馬場で168名(うち外国人厩務員31名)、平均年齢46歳。高齢化が進み攻め馬、調教ができない人が年々増えている。
・近年の夏の酷暑で競走馬のクールダウンが不可欠。ミストやシャワーなどの設備充実を求む。
の意見、要望が出されました。
昨年とほぼ同様の内容ですが、組合側も一部は対応しているようですが、弥縫策にとどまり、施設整備については予算不足を理由に手がついていない状況が明らかになりました。
後半に入り、意見交換が活発になり、要は単年度予算で行っている制度上、利益が出ないと必要な設備に手がかからない現状について強い疑義が両者から出されました。単年度黒字になっているのになぜ現場にお金が回らないのは疑問だ。との声は現場を預かる責任者としては当然の感覚と私は受け止めました。
最後の講評で私個人の意見を述べましたが、必要な施設整備について(特に安全に関するもの)は優先順位を上げて検討すべきものと考えます。施設整備は人材の確保にも直結する問題であり、このまま何となく売り上げを確保していけば組合や職員の身分は安泰との考えにたっていては何の問題解決にならないのは明らかです。特に副官職については長期的スパンで戦略的に物を捉える能力と競馬に対する情熱がある人を人選すべきと改めて認識しました。
私が振興議員クラブの会長を仰せつかっており、この意見交換会も定例化しております。本会員は14名の参加、関係者は盛岡厩舎関係者関係者を中心に調騎会、厩務員会から出席を頂きました。
調騎会会長:板垣吉則氏、騎手部会理事:南郷家全氏、騎手部会会員:大坪 慎氏、厩務員会会長:佐々木剛氏、厩務員会理事:佐々木文子さん
・日本人の厩務員の雇用が年々困難な状況にある。外国人厩務員は現在31名(ウズベキスタン、インド)。水沢競馬場では厩務員住居の老朽化、貧弱化、数が足りない。
・騎手不足が著しい。一人でも怪我をすると全体を回すのに大変な状況。水沢競馬場の調整ルームが老朽化が酷いので早期の改善を求む。
・盛岡競馬場の鹿の出現が多頻度しているので対策が必要。
・芝コースの馬場が年度後半になると極端に悪化、危険。芝の根付きが悪く部分的ではなく全面的な改修が必要ではないか。
・厩務員は両競馬場で168名(うち外国人厩務員31名)、平均年齢46歳。高齢化が進み攻め馬、調教ができない人が年々増えている。
・近年の夏の酷暑で競走馬のクールダウンが不可欠。ミストやシャワーなどの設備充実を求む。
の意見、要望が出されました。
昨年とほぼ同様の内容ですが、組合側も一部は対応しているようですが、弥縫策にとどまり、施設整備については予算不足を理由に手がついていない状況が明らかになりました。
後半に入り、意見交換が活発になり、要は単年度予算で行っている制度上、利益が出ないと必要な設備に手がかからない現状について強い疑義が両者から出されました。単年度黒字になっているのになぜ現場にお金が回らないのは疑問だ。との声は現場を預かる責任者としては当然の感覚と私は受け止めました。
最後の講評で私個人の意見を述べましたが、必要な施設整備について(特に安全に関するもの)は優先順位を上げて検討すべきものと考えます。施設整備は人材の確保にも直結する問題であり、このまま何となく売り上げを確保していけば組合や職員の身分は安泰との考えにたっていては何の問題解決にならないのは明らかです。特に副官職については長期的スパンで戦略的に物を捉える能力と競馬に対する情熱がある人を人選すべきと改めて認識しました。
2024年01月15日
生成AIは救世主なるか!?
先週閉会中の委員会が開かれ、私が所属しているデジタル社会・新産業創出特別委員会では仙台市のITベンチャー企業「MAKOTO Prime」の竹井智宏代表取締役から生成人口知能(AI)の可能性について講演する機会を得ました。
私はお話を聞くまで漠然としたイメージでAIを捉えていましたが、具体的な活用方法(文章作成アシスタント、事業や企画のアイデア出し、相手先に呼応したメール返信、英文作成など)を事例を出して説明頂き、ツールとしての有効性を認識することが出来ました。
定型的な雑務に時間を取られていた総務関係のアシストには大きな効果があるでしょう。
こうした便利なツールがこれからも加速的に普及していくことは必須であり、AIの利用はごく普通になっていくものと考えられます。
一方、定型的な作業は生産性が飛躍的に向上するとしても、人間の独自性を育てていくという観点ではよほど気をつけて利用しなければならないと感じました。便利の裏側には危険が必ず潜みます。これから学校教育の過程でもAIの活用について学習する機会は増えていくと推察しますが、肝心の人材の育成が薄っぺらいものになってしまっては本末転倒です。
社会のニーズが多様化する昨今ただでさえ我が国の教育システムの陳腐化を私は強く感じていますが、こうしたAIをコントロールしつつ創造的な発想や対人関係を重視する人材が養成されるのかどうか、講演を拝聴して大きな課題だと痛感しました。
翌日社内のラジオでたまたまAIの話題があり、ドイツの車メーカーではAIを標準装備にする考えだとか。近くのお勧めのレストランはどこかなど音声によってナビをしたりする機能を付するそうです。
講演の中でも紹介された伊藤園のCMが生成AIによってつくられたことにもラジオ番組で言及されていました。高額なタレントを起用するコストを下げられる、タレントが不祥事を起こしてCMに損害を受けるリスクがないとのメリットがある一方、多くの企業が利用すると購買者へのインパクトは弱くなるとのデメリットも生ずるとの分析もありました。
結局、AIをどのように活用するかは人間の能力次第なので、デジタル化とアナログ(あえて無駄をつくる)を合わせた人材の育成策を講じる必要がありそうです。いやはや便利になるということは別の課題も浮上してくるということです。
私はお話を聞くまで漠然としたイメージでAIを捉えていましたが、具体的な活用方法(文章作成アシスタント、事業や企画のアイデア出し、相手先に呼応したメール返信、英文作成など)を事例を出して説明頂き、ツールとしての有効性を認識することが出来ました。
定型的な雑務に時間を取られていた総務関係のアシストには大きな効果があるでしょう。
こうした便利なツールがこれからも加速的に普及していくことは必須であり、AIの利用はごく普通になっていくものと考えられます。
一方、定型的な作業は生産性が飛躍的に向上するとしても、人間の独自性を育てていくという観点ではよほど気をつけて利用しなければならないと感じました。便利の裏側には危険が必ず潜みます。これから学校教育の過程でもAIの活用について学習する機会は増えていくと推察しますが、肝心の人材の育成が薄っぺらいものになってしまっては本末転倒です。
社会のニーズが多様化する昨今ただでさえ我が国の教育システムの陳腐化を私は強く感じていますが、こうしたAIをコントロールしつつ創造的な発想や対人関係を重視する人材が養成されるのかどうか、講演を拝聴して大きな課題だと痛感しました。
翌日社内のラジオでたまたまAIの話題があり、ドイツの車メーカーではAIを標準装備にする考えだとか。近くのお勧めのレストランはどこかなど音声によってナビをしたりする機能を付するそうです。
講演の中でも紹介された伊藤園のCMが生成AIによってつくられたことにもラジオ番組で言及されていました。高額なタレントを起用するコストを下げられる、タレントが不祥事を起こしてCMに損害を受けるリスクがないとのメリットがある一方、多くの企業が利用すると購買者へのインパクトは弱くなるとのデメリットも生ずるとの分析もありました。
結局、AIをどのように活用するかは人間の能力次第なので、デジタル化とアナログ(あえて無駄をつくる)を合わせた人材の育成策を講じる必要がありそうです。いやはや便利になるということは別の課題も浮上してくるということです。
2024年01月09日
27回目の1月9日
今日は父の命日で亡くなってから27年が経過しました。
月日の経つのは早いものです。今日はそのことをFBに記事をアップしたり、また千厩地区の新年交賀会で父のラグビーの教え子さんにその話をしたら、とても懐かしがってくれた反応がありました。
27年経っても父の面影を慕ってくれる方々に心から感謝申し上げます。
父はラグビーをこよなく愛し、麻雀も大好き、機械ものについては生涯好奇心を持ち続けていました。(少なからず私も父の趣味の影響を受けています(笑))人懐こく、人を疑わない純心の持ち主でした。生き物についても犬をはじめとして愛情を注いだ人でした。そんな意味では人の裏の心理を突くような政治家は向きではなかったかもしれません。多くの人に忠雄ちゃんと呼ばれて慕われていました。
物事を深く探求するという点においてはまったく今の私は父の足元にも及びません。「現状維持は後退と同じ」厳しい叱咤が父から飛んでくるようです。しっかり頑張れねばなりません。
月日の経つのは早いものです。今日はそのことをFBに記事をアップしたり、また千厩地区の新年交賀会で父のラグビーの教え子さんにその話をしたら、とても懐かしがってくれた反応がありました。
27年経っても父の面影を慕ってくれる方々に心から感謝申し上げます。
父はラグビーをこよなく愛し、麻雀も大好き、機械ものについては生涯好奇心を持ち続けていました。(少なからず私も父の趣味の影響を受けています(笑))人懐こく、人を疑わない純心の持ち主でした。生き物についても犬をはじめとして愛情を注いだ人でした。そんな意味では人の裏の心理を突くような政治家は向きではなかったかもしれません。多くの人に忠雄ちゃんと呼ばれて慕われていました。
物事を深く探求するという点においてはまったく今の私は父の足元にも及びません。「現状維持は後退と同じ」厳しい叱咤が父から飛んでくるようです。しっかり頑張れねばなりません。
2024年01月03日
満62歳になりました。
本日、誕生日を迎えました。
FBの友人やメッセンジャーからお祝いのことばを頂戴しました。この年になっても祝福されるということは嬉しいものです。
👆「62年も生きるなんてすごいじゃん!」のことばどおり今この瞬間に生きていることを感謝しなければと思います。
令和6年能登半島地震、日航機と海保機材の衝突事故
正月早々に大災害、大事故が起こりとても心が穏やかにはなれません。今を生きている私たちができる限りの手を尽くし、現状と未来に向けて教訓としなければならないと痛感します。
肩の怪我もあり、今年の正月は静かに自宅で過ごしておりましたが、明日から始動します。
FBの友人やメッセンジャーからお祝いのことばを頂戴しました。この年になっても祝福されるということは嬉しいものです。
👆「62年も生きるなんてすごいじゃん!」のことばどおり今この瞬間に生きていることを感謝しなければと思います。
令和6年能登半島地震、日航機と海保機材の衝突事故
正月早々に大災害、大事故が起こりとても心が穏やかにはなれません。今を生きている私たちができる限りの手を尽くし、現状と未来に向けて教訓としなければならないと痛感します。
肩の怪我もあり、今年の正月は静かに自宅で過ごしておりましたが、明日から始動します。
2024年01月01日
恭賀新年2024
令和6年 新年あけましておめでとうございます。
今年の正月は飯澤家にとっては大ピンチ。同居している妹が足の骨折で先月15日に入院。私は先月9日に右肩鎖骨骨折。
年老いた母と犬(フレブル犬あずき)の世話、正月の準備がほとんど妻の負担に・・・私は右腕を使えないのでほとんど役立たず・・・
家神様には申し訳ない正月を迎える準備については相当省かざるをえず。一年の計は元旦にありと言えども労力不足でやむなし。旧正月には私の骨もくっつくと勝手に思っているのでその時で勘弁してもらうほかないです。
ということで晴れがましいとは決して言えない元旦を迎えたのですが、
そうしているうちに午後の4時に北陸地方で大津波警報を伴う大地震発生!東日本大震災時を思い出し、ますます気持ちが落ち込んでしまいました。倒れた家屋もいまだ数が知れない現状。被害が最小限に住むことを願わずにいられません。
とはいえ、今年は昇竜の年。体を早く治して前に進みたいと思います。
今年の正月は飯澤家にとっては大ピンチ。同居している妹が足の骨折で先月15日に入院。私は先月9日に右肩鎖骨骨折。
年老いた母と犬(フレブル犬あずき)の世話、正月の準備がほとんど妻の負担に・・・私は右腕を使えないのでほとんど役立たず・・・
家神様には申し訳ない正月を迎える準備については相当省かざるをえず。一年の計は元旦にありと言えども労力不足でやむなし。旧正月には私の骨もくっつくと勝手に思っているのでその時で勘弁してもらうほかないです。
ということで晴れがましいとは決して言えない元旦を迎えたのですが、
そうしているうちに午後の4時に北陸地方で大津波警報を伴う大地震発生!東日本大震災時を思い出し、ますます気持ちが落ち込んでしまいました。倒れた家屋もいまだ数が知れない現状。被害が最小限に住むことを願わずにいられません。
【60年前の琉球年賀切手 沖縄はまだ返還前で郵便料金は米表記】
とはいえ、今年は昇竜の年。体を早く治して前に進みたいと思います。