
1月。中尊寺若水送りに久しぶりに参加。一年の平安無事の祈願も併せて行いました。

2月。2月定例県議会で達増知事が与党議員の代表質問に答弁する形で国道343号新笹ノ田トンネル建設について突如として前向きな発言を行う。私的には大事件。何がそうさせたのか。結局、後日、県土整備部や関係当局の理解が進み、事務方が前に進めることを決断したことが判明。達増知事も2023知事選挙マニフェストではっきり新笹ノ田トンネル建設について明記したので、来年はさらに経過管理を厳しく行います。

3月。WBC大会、決勝でvsアメリカを下し、侍ジャパンは3度目の世界一に。特に準決勝のメキシコ戦は痺れました。当日は花泉町内で小学校の閉校式があり、合間にテレビ観戦。村上選手のセンターオーバーで2者生還のサヨナラ打。ジャパンは後攻めなのに三塁ベンチという国内ではありえない配置だったためベンチ総出で三塁コーチャーでぐるぐる回した場面が印象的でした。日本野球の質を世界に知らしめた大会になりました。

4月。知事選、県議選に向けての活動の合間に久しぶりに母校の漕艇部が出場する三大戦定期戦の応援に戸田まで駆け付ける。写真は成蹊学園に勤務している大学の同級生の熊崎君。彼には後輩たちにいつも心配りをしてもらって感謝に堪えない。コロナの影響で成蹊だけでなく成城や学習院の部員不足が深刻な問題になっている。大学生活に通常の日常が戻るのはいつになるのかという不安に駆られる。

5月。総務常任委員会の県外視察で秋田県に。秋田県はここ数年キラーコンテンツとして秋田犬を前面に出して秋田県を大アピール中。秋田県の取り組みは洋上風力発電にしても注力するといったら半端なしに追求すること。現在の岩手県には見当たらない姿勢。県民性なのだろうかといつも考えさせられる。

6月。地元が誇るソフトボール選手「那須千春」さんの後援会解散式。東京五輪に参加を目指してきた那須選手でしたが、けがの影響などで目標達成ならず。日立サンディーバも退団することに。これまで小学生の頃から熱心に応援してきたサポーターも感慨しきり。那須千春第二の人生に幸あれ。

7月。6期目最後の一般質問に登壇。議論の中に化学変化が起こらないことにいつも落胆。知事選挙への思いを強くした日。

8月その1。選挙を間近に控え多忙の中、春に岩手成蹊会の会長職に就任したことで東北成蹊会@秋田市に参加。生まれて初めての竿灯祭りに触れて感動。

8月その2。県議選挙期間中の一コマ。手を握っている方は父と一緒に子どもの頃に遊んだといつも言ってくれる熱烈な支持者。こういう方に支えられているのがわが陣営の誇り。

9月。県議選は何とか4番目で滑り込んだが、知事選は予想外の敗北。首長選挙の特異性を追求、徹底できなかったことが敗因。千葉候補には本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。人口減、支持層の高齢化、私の選挙体制も厳しさを増していることを痛感。

10月。選挙が終わり、いわて県民クラブ・無所属の会を結成。何とか交渉会派を結成できた。そのつかの間、自民県連の骨を切らせて肉を断つ今までにない戦法を実行し、その結果思いがけずに副議長の職に就任することに。県執行部とほどよい緊張感が保てる議会体制はこれから真価が問われる。

11月。文化の日の市勢功労者表彰式。これまで情熱をかたむけ社会の発展に寄与され表彰の栄に浴された方々には本当に頭が下がります。

12月。人生初めての骨折。日に日に改善はしていますが、やはり体のどこかに不安を抱えているとどこかに穴が開いてしまう。まさに心技体。健康のありがたみを只今痛感しています。
コロナも落ち着き来年は通常の経済、社会活動に戻っていくでしょう。2024問題、物価苦闘等問題は山積。来年はアクテゥブに行動していくことを心がけます。今年1年ありがとうございました。令和6年、2024年もどうぞよろしくお願い致します。