2023年09月15日

ラグビーワールドカップ

現在フランスで行われているラグビーワルドカップ。
第1回大会が開催されたのが1987年、場所はニュージーランドとオーストラリアでした。

私は三井倉庫の横浜支店に勤務している時代で、当時担当していた代理店がトランスメリディアンのCHARGEURS REUNISというフランス船会社の本船でスーパーカーゴアテンダントのJEAN ROUGERY氏から「ところで日本は出場出れるのか?」と聞かれ、「もちろんだ。」と真顔で答えたらかなり馬鹿にされた笑いをされたことを思い出します。

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【このポスターの通りの西アフリカ航路の貨物船の仕事でした】


JEAN ROUGERY氏はスーパーカーゴの中でも最も仲良くさせてもらった人物で、ポートキャプテンの本田さんに連れられて居酒屋で一緒に酒を酌み交わしたこともありました。南仏出身の彼は南仏で盛んなラグビーをこよなく愛しており、二人でよくラグビーの話を仕事の合間にしていました。ラグビーワールドカップ開催時にフランスの結果がとても気になって、準決勝でオーストラリアを激闘の末破った記事を見た時に彼のお得意ワードのジーザスクライストを連発して興奮していたのを記憶しています。

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彼の写真は残っていなくて私が退社する時に一緒に撮っておけばよかったと今でも後悔しております。上の写真は70年代前半無敵のオークランド・アスレティックスのクローザー、ローリー・フィンガース投手ですが、そっくりな髭をしていた人物でした。とてもお洒落で会話もユーモアに溢れており、フランス人には珍しく仕事熱心な人物でした。CHARGEURS REUNISという船会社は私が退社寸前にDELMASという会社に吸収されることが決まっており、どっちみち彼とはお別れすることになっていました。当時は40台半ばくらいの年齢ですから今御存命ならば80歳位です。お元気で過ごされているでしょうか。とても懐かしい思い出です。

当時の日本のラグビーは国際大会も親善的なテストマッチしかしておらず、本気で戦ったのはこのワールドカップだったかもしれません。予選でニュージーランドでコテンパンにやっつけられるなど井の中の蛙を知ることになった大会でした。

ちょうど当時の私と同じ年齢の選手が代表で選ばれており、私も期待していましたが、まったく歯が立たない状態にがっかりした記憶があります。

いよいよ明後日はイングランド戦。ここ40年ほどの間に大きくレベルアップした日本のラグビー。一泡吹かせて欲しいところです。
posted by 飯沢ただし at 23:58| 岩手 ☁| Comment(0) | My Favorites 【お気に入り】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする