
コロナの影響や日程が議会と重なったりして久々の追悼式の参加でした。あらためて異国の地で散華された御霊にご冥福をお祈り致しました。
戦没者追悼式といえば今から23年前私が議員になって間もなくの頃、大東町摺沢地区で行われた戦没者追悼式に初めて参加して突然に追悼のことばの指名を受けて体中からいやな汗をかいたことは昨日のように思い出されます。
23年前は遺族会と戦地に赴かれた方々の団体との共催でしたが、後者の団体は今や形もなくなってしまいました。
先の苛烈な大戦の終戦から77年が経過し、今日の参列者もほとんど私より年配の方々であり、追悼式自体が年々形式的なものになっていくことは避けられない現実です。いかに人間の命が尊いものか戦争の理不尽さや無益なことは映像の世界でしか実感ができなくなっていきます。
映像は確かに視覚的には訴えますが、より深く理解するには近代史をより深く知ることが必要ではないかと思います。私は学校の歴史の授業で敗戦に至るまで原因や経過について詳しく教わった記憶はありません。教職員組合運動が全盛時という背景もあり日本は戦争に負けてすべて日本が悪かったという風潮が強かった時代でもありました。中には極端に南京虐殺について誇張する先生も存在したのも事実です。
「戦争は人格を否定するものであり、二度と起こしてはいけない。」この言葉はシベリア抑留から帰還された元軍人の方から何度も聞かされました。この言葉は実に重いものがあります。
しかしながら、武器を持ては誰かが傷つき、命を落とすとわかっていてもロシアのウクライナ侵攻のような理不尽なことが起きてしまう。我が国周辺でも台湾をめぐる情勢も緊張度を増している。理想を追求するだけでなく現実的に対応していかなければ国民の安全な生活を守れないのも事実。仮に我が国がロシアや中華人民共和国、北朝鮮の傘下に入れば人権はありません。そんな状況になることは絶対にあってはならないのです。
まさに今理想と現実の間(はざま)で我々は選択を迫られているといっても過言ではありません。私は日米同盟を基軸とした現実的な道を選択します。