久々に降り立った久我山駅は立体駅に変貌していました。国学院久我山の学生がホームにたむろしていたのは変わらずの風景です。
駅から降り立って周囲を見わたすと当時とはうって変わった生活感が感じられない雰囲気になっていました。
理容店も本屋も喫茶店も八百屋さんもクリーニング屋もなくなり、全国どこにでもある居酒屋チェーン店やコンビニ店に。昔からあったスーパーピーコックが同じ場所にあったのみ。
アパートに行く道すがらの住宅街もかつての雰囲気は薄く、生気も薄い。
ランドマークとしてあった久我山動物病院だけが40年前と変わらぬ看板で出迎えてくれました。

目的地のアパートまで道路を一本間違えたりしてやっとたどり着きましたが、大家さん宅は当時のまま木造住宅で残っていましたが、アパートは跡形もなく取り壊されて更地になっていました。
学生用の四畳半のアパートも少子化の世となれば必要なくなるのも当然。考えてみれば現代は学生もバストイレ付のマンションにお住まいになるご時世です。
かつて初夏のキラキラした光線に見た都会の住宅街も老人世帯が住む街へとなっていました。敷地の広いお屋敷があったところは立派な二世帯住宅になっていたのはごく少数の部類です。
田舎に住んでいるとシャッター街の商店街と歯抜けになった街並みに人口減を日ごろ感じていますが、都会でも例外ではないことをまざまざと感じてきました。