昨日の安倍晋三元首相が亡くなられたことに関して小沢一郎氏の発言が物議を呼んでいる。
一関市と奥州市において参院選の候補者への応援演説で「自民党に有利に働く」「安倍長期政権が生んだ腐敗構造がこのような蛮行を引き起こした要因のひとつ」などと発言しネットでも拡散している。その後、立憲民主党の泉代表からも注意を受けたとも報道されている。
人間の死生観をどのように持っているかは政治家にとって重要なポイントだと思うのだが、実は私にとって今回の小沢一郎氏の発言は、さほど驚くほどのものではない。小沢一郎氏の直接的接点は多くはないが、印象がとても強い出来事が過去にあった。
@平成7年の県議選で新進党公認で出馬した私の父、飯澤忠雄は当選直後に病を発症し闘病の末2年後に亡くなった。当時の小沢氏は党運営の中枢にいた存在。入院中の見舞いもなし。秘書からも何も連絡もなし。そうした経過もあり葬儀出席はこちらから丁重に遠慮してもらうように頼んだ。初盆の頃に町内の小沢支持者の方が我が家に配慮してご本人を自宅に連れてこられて仏壇に焼香を頂いたが、玄関から入って焼香、お茶を差し上げ帰るまで一切の会話なし。小沢氏の心の底を見た思いだった。
A及川幸郎先生の葬儀において、小沢氏は秋田に党務があるので葬儀開式前に焼香だけして去られた。会場には1000人強の葬列者がいたが弔いのことばもなし。及川幸郎先生は胆沢選挙区選出の小沢派の重鎮で、突然の逝去であったにもかかわらず、あっさりした対応にとても驚いた。
このたった二つの事実だけで人間の死に対する小沢氏の基本的な考え方を私の中で強烈な認識として刻まれたのだった。
それに比べて、椎名素夫先生は古くからの支持者であった藤沢町議の岩渕維雄氏が逝去された折には、葬儀で丁重に弔辞を上げて忌中払いの席にもご本人が出席され最後まで席に座られていた。
この差は天文学的である。
私が県議選に出馬を決めた時に、当時の自由党の誘いを断り無所属で立候補したのは、小沢氏の@の振る舞いも大きな要因。
結局、小沢氏にとって優先度が高いのは政局ということ。
弟子の達増知事も今朝のツイッター記事を見れば考え方は同じ。希望や幸福のワードがとても空しく響く。