2022年05月31日

謎のイチョウの木にまつわる話

暑かったり寒かったり最近は不順な天気が続きます。

昨日は火葬に立て続けに参列しました。元藤沢町長の佐藤守氏、会社OBの佐藤靖臣氏。もう一件町内猿沢の佐藤友信さんは妻とも親交があったので代理で参列してもらいました。三氏ともご高齢でしたが、お世話になった方々なのでとても寂しく思います。月日の経過は希望もあれば悲しみもあります。

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日曜日に大東高校の獅子踊り部の演舞があったので室蓬ホールまで歩いて行きました。その帰り道、とてもいい天気だったので旧宅付近と今は無人駅になってしまった摺沢駅周辺をゆっくり散策してみました。

写真のイチョウの木は旧宅の敷地とJR(旧国鉄)の境にあり、私が子供の頃から唐突な場所にあるんだなと感じてましたが、今から思えば昭和20年代に旧宅を建てた頃に祖父の武雄が我が家に有利になるように目印として植えたものと推察します。旧宅地と旧国鉄との間で境界をわざと未定にしていたフシがありました。国鉄職員は転勤がありますから当初の事情を知る人間は月日がたてばいなくなるのです。

明治の男はまったく抜け目がありません。

明治の人の狡猾さと大胆さは相当なものがあります。

このイチョウの木の場所から少し下がると旧宅の勝手口があり、昔は洗濯場も屋外(といっても屋根付き)にあり、母は勝手口を頻繁に出入りしていたのを思い出します。そういえば書いているうちに思い出しましたが祖父の姪っ子さんたちも玄関から入らないで勝手口から出入りしていました。大船渡線がまだ機関車だった頃、当時の摺沢駅は貨物列車の待機のための引き込み線があり、真夏の暑い日に蒸気機関車の汗だくの機関士さんが「水一杯飲ませて下さい」と勝手口に来ることがありました。大きめのひしゃくで一気に飲み干した後の表情は今でも忘れられません。本当に生き返ったという満足な顔でした。

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昔はイチョウの木の先の線路を越えていくと中学校への近道になるので平気で線路を横断していましたが、今ではそんな不敵な生徒もいないし、現在では同じことをすると大変なことになってしまいます。昔は大らかでした。

考えてみるとこのイチョウの木がそのままあるのも、微妙な位置に植えてあるからかもしれません。

JR大船渡線はILCが実現すれば再び利用価値が見直されることになるでしょう。それまでこの木はこれからもずっと見守ってほしいと思います。
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2022年05月24日

県南広域振興局と懇談会

毎年恒例になっている県南広域振興局幹部との懇談会。

一関選挙区と奥州選挙区の県議10名(2人急遽欠席で8人)が対象です。花巻・北上・遠野は別途開催予定です。

懇談会は令和4年度の業務方針・施策推進方針の説明があり、県議1人約10分の持ち時間で質問と意見を述べるという形式です。通常時なら懇談会の後に懇親会もセットされるのですが今年も懇親会は中止となりました。

広域振興局体制になったのは増田県政時代ですからかれこれ15年以上経過しますが、振興局を再編して県南地区を優先して広域振興局を設置した大きな目的は「産業振興」にありましたが、年を経るごとに事業は陳腐化し、同時に予算は細くなり、さらに県庁の中央集権化が進み振興局の職員のモチベーションは年々下がっていると感じます。

振興局の職員はそうした状況にありながらも精いっぱい頑張って仕事していると感じますが、達増県政になって以来本庁と振興局の組織の建てつけに思い切った改革をすることなく何となく過ごしてきた結果、現下の状況になっていると思います。

広域振興局はエリア内の市町との意思疎通を綿密に図り、知事はじめ本庁にそれを伝達するという大きな役目を負っているのですが、今日の私が聞いた質問、すなわち「知事への直接的報告の要領、回数、時間はどうなっているか」に年に一度15分ほどの所要時間と聞き及び愕然としました。

達増知事は就任15年になりますが、市長村要望の席に同席したのは私の記憶では最初2年のたったの2回。以後は広域振興局長が知事の名代となり要望を聞き、それを知事と本庁につなぐシステムになっています。

いわて県民クラブでは「なぜ達増知事は直接自治体の首長から話を聞かないのか」と再三にわたり是正を迫ってきましたが、今のシステムで十分機能しているとの答弁を繰り返してきました。しかし、たったの15分で各自治体の課題とその重さを報告することができるのでしょうか。組織では部下から上司への報告は大半が耳触りのいいことになることが多いのが傾向としてあり、そこで15分で課題をどれだけ掘り下げて報告できるのでしょうか。県南地区の自治体は8つもあるのです。このシステムが機能しているとはまったく合点がいきません。機能していると思っているのは知事だけではないでしょうか。

震災後に起こった「大雪りばぁねっと事案」や「DIOジャパン事案」の県の後始末が悪く市町村の県への信頼は一気に失ったことは今もなお記憶に鮮明にあります。本庁では組織を再編して「ふるさと振興部」を作りましたが振興局との距離感は変わっていないように見えます。一体全体知事はこの先振興局体制をどうしようと考えているのでしょうか。まさか岩手4分の計だけで満足したのではないでしょうね。

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2022年05月23日

義経の最期

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

三谷幸喜作品ということもあり、毎週楽しみに観ています。
三谷作品は演者のキャラクターが立っていて見ていて楽しいです。今回の作品では北条時政役の坂東彌十郎さんや比企能員役の佐藤二朗さんが気に入っております。

前回は、ついに(というか あっけなく😞)の鎌倉側の平泉攻めの巻。

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義経の心理描写も菅田さんの演技もよかったのです。しかし、こちらとしてはどうしても平泉サイドで観てしまうので、義経が戦闘する場面なし状態で討ち取られたのはどうしても解せない。

鎌倉サイドの脚本なのでと言われればそれまでなんですが。(不満ならば過去に義経を描いた大河ドラマは複数あるのでアーカイブからどうぞなの?)それにしても、戸の隙間から弁慶の活躍を見てそれで終わりはないだろう。

思えば安宅関もなかった。弁慶のキャラも超薄め。やはり鎌倉中心の作品ということなんですね。

先輩の伊藤勢至議員が東北地方の歴史に精通しており、東北のヤラレ三大事件(阿弖流為、奥州藤原氏、戊辰戦争)にはいつも力が入り、いつか鎌倉に「平泉ナンバー」の車で大勢で押しかけて何かやるべ(って何を?)という話で盛り上がったことを思い出します。

後の奥州合戦で頼朝は自ら参戦して厨川まで泰衡を追いつめているので、義経の件はこれでおしまいにするのでしょう。

ドラマとはいえやるせない気持ちになるのは、やはり東北の人間の性(さが)なんでしょうね。
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2022年05月21日

つながりで町の活性化

先日総務委員会で訪問した秋田県美郷町。

美郷町は民間企業との連携を盛んに行っている自治体です。

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【視察の際に頂戴した美郷町の町政要覧より】


日本航空株式会社、株式会社龍角散、ヨネックス株式会社、株式会社モンベル、小川香料株式会社

各々関連のない会社となぜ協定を結ぶ機会を得、それを発展させたのかという私の質問に対してたまたまのご縁がつながり、町が足らないものを補うという考え方を掘り下げていった結果、包括連携協定や事業連携協定へと発展したと松田知己町長は静かに語りましたが、いやいやさにあらず。この間人間関係の緻密な構築があったに違いないと確信しました。

民間会社は絶対に会社にとって利益にならないものはやりません。信頼を得ないと協定までは結びつかないものです

日本航空からは社員が町へ出向しているほどの信頼の絆があり、町長の着眼と実行力に感嘆しました。

やる気のある自治体はこのようにどんどん先に行っているという典型的な事例でしょう。

方や本県の場合、突如として庁舎の改築構想をぶち上げ。これには驚きました。
自治体経営という観点からみるとまったく視点が違いすぎます。何しろ県内自治体の首長とすらじっくり意見交換もしないのですからお話にもなりません。
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2022年05月16日

独裁者の恐ろしさ

今回も戦争関連ネタです。

昔、奇才映画監督スタンリー・キューブリックの映画で「博士の異常な愛情」という映画がありました。

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正式なタイトルは「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったのか(Dr.Strange love or How I Learned to Stop the Bomb)という異常に長いです。

アメリカの将軍が共産主義への敵意から精神に異常をきたし、突如ソ連への侵攻命令を下し、ソ連は攻撃をされた場合、自動で地球上の全生物を破滅させる爆弾が発射されるのをその時になって知る。しかし、結局は爆撃機が目標に向かい爆弾を投下してしまう。という

ざっとこんな筋書きです。核戦争による破滅も恐ろしいですが、何より恐ろしいのは独裁者の考え方次第でそのようなことが起きる可能性があるということ。しかしながら、現に核の使用はまだないもののロシアが同じようなことをウクライナに行っているのです。

ラストシーンには「We will meet again」という曲目とともに爆弾が投下されるというキューブリックの最高の皮肉。

人の命を無差別に奪うなんて常識では考えられないことが現実として起こっている。それも大国の独裁者の一存で。日本の近くには政治体制の異なる二つの国がほぼ独裁者として君臨していることをお忘れなく。

12日から衆議院憲法審査会で議論が再開したようですが、安全保障や防衛政策を国会では具体的なきちんと議論してほしいものです。

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2022年05月15日

沖縄復帰50年

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沖縄が本土に復帰して50年となりました。

沖縄の方は内地ではアパートも借りることができなかったとか、そうした差別があったことは最近知りました。東北地方には縁遠い話です。
具志堅用高氏が衝撃的な強さで世界チャンピオンになってから沖縄県人会に参加して、君のおかげで胸を張って暮らすことができると感謝にされたとか。

私は沖縄には三回訪問する機会を得ています。

実際に行ってみないと米軍基地が島の一等地を占めていることはわかりません。

50年前の復帰当時と比べると沖縄の地政学的位置は冷戦終局を経て一時的に緩和されたと思いきや、今度は中華人民共和国の覇権主義増長によりますます位置づけの意味は深く重くなってきている感があります。

米軍基地移転問題、日米地位協定の見直しなど日米間で解決の努力をしていく課題は今後も続いていきます。弛まず交渉を重ねていくことが求められます。

沖縄問題に限らずロシアの理不尽な暴挙をみるにつけ、戦争を回避するために何が必要なのか真剣に考える必要があります。人権が存在しない国に不法占拠されてしまってからは遅いのです。



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2022年05月14日

新しい時代へ

令和5年4月に私の地元に「新生 大東中学校」が開校する。

大東中、大原中、興田中が統合し、旧大東町地区で一つの中学校となる。以前存在していた猿沢中は現在の大東中にすでに編入済。

約半世紀前には前出の3校は一学年150名前後の生徒数があり、町内で互いに切磋琢磨したものだったが、それも今や昔。旧大東町全体でも現在は一学年100人にも満たない。

戦後まもなく国内では人口が都市に吸い寄せられ、昭和の合併で大東町が誕生した昭和30年で当時の人口は3万人(現在は半分以下)いたが、当時の「だいとう広報」に若者の都市への流出が止まらない、新たな産業の創出が必要」との見解を議長であった祖父が寄稿していたのをおぼろげに記憶している。

大東町は昭和の合併としては大規模な合併をしたせいか、40年以上地域間の政治的対立が続いていた。町長選挙にはそのエネルギーがいかんなく投入され多くの逸話が残され、政争の町として呼ばれた時もあった。しかし、人口減と高齢化によって今やその活力は見る影もない。

人口の増減はいろいろなところに波及をもたらす典型的な事例だろう。

縮小=寂しいだけではなくて、嬉しいニュースがこの度発信された。

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【5月13日 岩手日日新聞より】


現在の校歌がなくなるのは寂しいが、こうした方々が新しい校歌を作ってくれることは素直に嬉しい。どんな校歌になるのか今から楽しみである。時代は今の現況に即してどんどん変化をしていく。その変化が次世代により良くなるように考え、実行しているのが私たちの大人の役目であるのだ。
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2022年05月12日

40年前の熱き思い

同居している妹が断捨離中に父親の「重要書類」と書かれたお菓子箱を見つけてきた。

その中には町議時代のポスターやら県議選挙にまつわる関係書類や新聞記事の切り抜きが雑然と押し込まれていた。

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特に目を引いたのが昭和58年4月の県議選に立候補したときの挨拶原稿だ。おそらく決起集会用の原稿だろう。なぜか原稿用紙の裏を使っている。私自身の初出馬の原稿など保管していないのに父親が保管対象にしたのはやはり自身の持っていた思いが強かったのだろう。当時52歳。東磐井地区の経済的再興を中心に書いてある。また赤ペンの添削が実に力強い。

次に紹介するのは当時の朝日新聞の「選挙戦を見る」の選挙戦展望記事。

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当時の朝日新聞は県議選の展望記事まで書くとは実に驚きだ。何より内容が実に的確で足で取材しているのがよくわかる。昔の朝日新聞には地方局でも記者が熱血をもって仕事していた確かな痕跡は現在の記者たちに見せたいものだ。

父はこの時の選挙は落選で涙を飲んでいるのだが、定数3に新聞の写真にある5人に社会党の元職金野茂氏を加えた6人が立候補する大激戦で結局現職の3人が当選した形となった。

昭和59年に亡くなった祖父も実は昭和42年頃に県議選に意欲を持った時があったらしく、昭和58年の選挙の折には父の選挙には大分心配したらしい。四年後に再度立候補をして初当選した父が祖父にその姿を見せられなかったのは残念だったに違いない。

そうした流れを汲んで今の「私」があるということを改めて肝に銘じる日となった。
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2022年05月10日

朝の街頭宣伝活動

久々に街頭宣伝活動のことを記事にします。

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最近は月に2〜4回の頻度で街頭に出ています。

🎤月曜日は千厩西小田のションピングセンター「エスピア」の対面側
🎤火曜日は一関市狐禅寺「東大橋交差点付近」
🎤主に木曜日は佐々木努議員と共に奥州市水沢西袖ノ目「四丑橋西交差点付近」

にて行っています。時間は朝の8時前後です。

火曜日の街宣活動の前に倫理法人会のモーニングセミナーに出席し、街宣後に会社のミーティングを行うことが定番になっています。

街頭宣伝を始めたのは「地域政党いわて」を立ち上げた時に本格的にスタートしたので、かれこれ15年になります。実はマイクで話すことを通じて自分の頭の整理にもなり、宣伝活動と自己鍛錬の一石二鳥の効果があるのです。

今日はロシアのウクライナ侵攻と国連の役割についてを中心に話をさせていただきました。また、知事の仕事の本質についても最後に付け加えました。その内容は以前にこのブログで書いた内容の通りです。

街頭に立つと四季を肌で感じることができます。今日は初夏の兆しそのもので清々しい空気の中で気持ちよく話すことができました。今は一年で一番いい季節です。

参議院選挙も近くなり、今月と来月は回数と場所も増やして行うことを計画しています。意外な場所で行うかもしれません。見かけましたらぜひお声がけをよろしくお願い致します。
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2022年05月06日

千田正知事

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ライオンズクラブの機関紙(3月・4月合併号)が届いた。

今号の表紙に千田正知事がドドーンと飾られている。

「県政はすべての県民のために中正、公平に行われるべきである」(最後の県議会答弁より)と本人のことばが添えられている。

なんとも重みのあることばだと思う。私は知事のリーダーシップ論を語るときによく千田正知事を引用する。なぜなら先見性と情熱をもって今の岩手県を導いた大リーダーであると評価しているからである。國分知事が基礎をつくった知事ならば、間違いなく中興の祖は千田正知事だと思う。
確かに高度成長時代という経済が右肩上がりという有利な背景はあったが、本県を畜産県岩手としてならしめたのは千田知事の功績である。

知事を4期務められたが順風満帆だったわけではない。

最初の選挙は社会党からの力添えがあったが後に自民党寄りとなり当時の社会党から批判を受けたことがあった記憶している。政治は時の流れに敏感に動かざるをえない時もあり千田知事も苦渋の決断であったことは十分に窺える。


「人物の評価は歴史が行うものだ。」この表現は自画自賛を繰り返す達増知事に対して私がよく使う。同じ4期16年の任期でどのような評価が達増知事にされるのだろうか。

最近の「タブーなし。なんでもやる。」の発言はすべての県民に対して発するべきであろう。まぁ徳のある人物はそんなことばをあえて口にはせずに黙々と仕事をするものだが。
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2022年05月03日

憲法記念日

今日は憲法記念日。

護憲派、改憲派ともに各地で活動を展開した模様がニュースで伝えられました。

憲法改正是非の前に、ロシアのウクライナ侵攻という事実を経て我が国が置かれている国際情勢をしっかり確認したいと思います。

参議院議員の和田政宗氏が自身のSNSでこのような発信をされていました。

我が国は誰が守るのか、元陸将で元中部方面総監の山下裕貴さんが問を投げかけている。国民の中には、いざとなれば米軍が他けに来ると考えているかもしれないが、いざという時に我が国を守るのは、自衛隊である。

ウクライナを見ればわかる。我が国は国民自らが、自衛隊と共に守り切るとの意思が重要だ。

山下裕貴元陸将
「日米安保を実効性のあるものにするうえで、何より重要なのは『自分たちで守ろうとする意思』です。これがなければ、誰も助けてくれません。


また、小野寺五典代議士は日米同盟の強化にあたって防衛費に関して下のような発言をされています。

「NATOを含む仲間の国々はそれぞれ努力している。自分たちの防衛力を高めないと仲間として一緒に守れないのではないか。それに向けて努力をしていくことは日本の国際的立場として大事だ」


こうした発言を引用すると、やれ右寄りだとかレッテルを貼られそうですが、実際にウクライナの情勢をみれば現在の独裁国家ロシア、覇権主義国家中共、北朝鮮らに囲まれた我が国を取り巻く情勢を鑑みると危機感を持って対処しなければならないのは明白ではないでしょうか。これに対して「急迫不正の時には自衛隊を活用する」などという某野党党首の発言は現実離れしています。

国会の憲法調査会はこうした国際情勢の実態に即した実効性の議論を期待してやみません。
posted by 飯沢ただし at 23:27| 岩手 ☀| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月02日

命をつなぐ

五月です。太陽の光線が一年で一番キラキラ輝く月です。

されど、先週末は雪が降ったりして天気の変わり目が激しいこの頃。
こうした不順な天気、寒暖の差が激しくなると高齢者の方々の体調の維持が難しくなります。

昨晩から明日にかけて弔問が4件。永久の別れは辛いですが、その中にあってとても嬉しくなる出来事がありました。

高校の同級生のY君は教師として活躍中でしたが、約20年前に急な病に侵されて他界されました。私は当時ご自宅での葬儀で弔辞を読ませて頂きました。先週Y君のご母堂様が亡くなられたことを聞き、今朝ほど弔問をしてきました。

そこに、Y君の御嬢さんを紹介されてびっくり。29歳になられて現在は薬剤師として活躍中のことでした。

月日の経つのは本当に早いと感じつつも、いまやY君の最愛の御嬢さんが活躍されていることに感激しました。

Y君が亡くなった直後にY君のお父さんも他界され、ご家族は当時大変辛い思いをされたのですが、現在はこうして命がつながれて立派に社会に貢献されていることに心が熱くなります。

あらためてY君とY君のご家族のご平安を心からお祈り申し上げます。

posted by 飯沢ただし at 13:48| 岩手 ☔| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする