岩手県南部は震度5強ですが、実際のところ6弱に近いものだっと思います。議会中のため議員会館に泊まっていたので家人から留守宅のウィスキーが3本破損との報告でしたが、実際は「山崎」のミニボトル1本で済みました。今回の地震は東西方向の横揺れだった模様です。
いずれにしてもあの携帯電話のビービー音は気持ちがいいものではありません。
東日本大震災以前の大きな地震の古い記憶といえば、昭和52年の宮城県沖地震にまでさかのぼります。当時高校一年生で古文の授業中でした。普段は生徒に毒づくT先生が窓を開けて足をかけて外に脱出を試みようと窓枠に片足をかけて動揺した場面は後々まで同級生の語り草になりました。
ここ数年、大学の後輩たちへの差し入れに「岩手の米」を戸田艇庫に送っているのですが、馴染みのお店の奥さんに「この時期になると飯澤さんが来ますよね〜」という話の続きで「なぜか地震の後に来るイメージが・・・」と言われてしまいました。確かに3月の地震は大震災の後は多いかもしれません。
私が学生時代とサラリーマン時代に過ごした1980年代は大きな災害もなく、景気もバブルに向かって少しづつ上向き傾向になっている時代で何の憂いもなく大学のクラブ活動や仕事、人との交流ができたいい時代でした。
体育会のセレクション選抜をしない大学は、コロナ禍にあって新入生の勧誘もままならず、部の存続も危うくなっていると聞きます。母校成蹊大学漕艇部も例外ではなく、OB会も積極的に新入生勧誘に助力をする方針です。なかなか直接的な支援は難しいので食糧支援で勘弁願っている状態です。

【1981年の成蹊大 対抗フォア 「疾風(はやて)」クルーメンバー C斎藤(3)S島田(4)3伊藤(4)2飯澤(2)B近田(3)】
ここ2年中止となっている成蹊・成城・学習院の三大戦定期戦も開催される予定とか。後輩たちにはこの厳しい苦境を跳ね返して頑張ってほしいです。