本日は東日本大震災発災の日から11年。
政府では国としての追悼式は昨年で一区切りをつけるとし、県がどのように関わるか気になっていましたが、大槌町と合同で追悼式を執り行うことになりました。この判断は正しかったと思います。私も議員として参加を致しました。
大槌町での追悼式は2回目。前回は大ホールで多くの来賓や町民が参加しての式でしたが、今回はコロナ感染症の影響もあり最小限に抑えての式となりました。
大槌町で犠牲になられた方々の名簿が式次第とともに配布されました。多くの命が一瞬の自然の驚異に奪われたことに11年の時を越えて慄然とするものがあります。
折しもちょうど1年前に岩手県議会の議会発議で3月11日を「東日本大震災津波を語り継ぐ日」を条例として制定し、記憶を風化させることなく次世代の人たちへ、あの日の悲しみと教訓を伝承していくこととしました。
遺族代表の芳賀俊明さんが、「自分は奇跡的に救助されたが、失った家族を助けられなかった悔いと寂しさは今でも残る」との言葉は心にずしっと響くものがありました。とても芳賀さんの立場に自分を置き換えてその心の内を想像することさえ私は悲しくてできません。
「今を生きる我々は、しっかりと後世に伝える使命がある」と大槌町議会議長も追悼のことばで述べられていた通り、この日を決して風化させてはなりません。
本日は、駐日米国大使夫妻も式に出席なされ、私の席の前が大使夫人の席でした。
大使ご夫妻は一般来賓と同じ待遇で参列されていましたが、これが米国、もしくは大使のお考えであるとしたらすばらしいと思います。(近くに座していた私は呼名献花の対象となっていないことにその場では式の仕切りに一人憤慨しておりました。事実はどうかわかりません。どうか大使ご夫妻のお考えであって欲しいと願うばかりです。)
ロシアのウクライナ侵攻で街ががれき化する様を映像に映るたびに、11年前の光景が重なります。しかし、相手が自然ではなく人が人を傷つけるなんて本当に馬鹿げています。国際社会の協力で一日も早い停戦にしていかねばなりません。